続いて北関東自動車道 伊勢崎インターより北西方向へ約7キロ行った場所に安産の神様で有名な産泰神社が鎮座しています。
産泰神社 一の鳥居(陵墓鳥居)
立派な権現造の拝殿
本殿(県指定重要文化財)全体に多くの彫刻で飾られています。
本殿の下に飾り屋根がついているのは、あまり見た事が無い様式です。
果たして彫り師たちはどれ程時間をかけて、製作されたのでしょう。
鯉の滝登りと老莱子 他にも緻密な彫刻が周囲に施されています。
祭祀:木花咲耶姫命
由緒:社伝古志故事録は小田原北条氏の乱に焼滅し定かではありませんが、縁起書によると「日本武尊の東征の折り此地に勧請せし」といい、また履中天皇元年鎮座ともいわれています。 本殿の裏には約13万年前に赤城山の「石山なだれ」により出現したといわれる磐座があり、原始古代から信仰の土地であったことが推測されます。
(引用:産泰神社公式)
案内板 こちらにも「巨石崇拝にその起源があるとみられる」とあります。
石山へは、突き当りの二の鳥居を潜ります。
二の鳥居(珍しい春日?と思ったのですわずかに笠木の木鼻が斜めでした。)
金毘羅宮 祭祀:大物主命
裏手には石塊が山となって積み重なっています。
この巨塊群は、13万年前に起こったとされる赤城山の山体崩壊に伴う「石山なだれ」によるものと由緒は伝えています。
「古代より神々が鎮まる磐座として信仰されております。」と、由緒は伝えているのですが…。
岩屋の様になっていますが、人為的に置いたような何か不自然な感じがします。(自然に構成されたものなら普通は割れた面同士向き合うはずだが右側の石の向きが正面を向いていておかしい。別の石を人為的にここへ並べておいたものと思われます。)
七福神を祀っていますがやはり土台となっている巨石の方に目が行きます。
宝船を意図して船形の石を利用したものと推測します。
石の正面を引っ掻いたような跡が気になります。
ここも石垣状に人為的に並べたと思われる痕跡です。
やはり石の構成が不自然です。
古代、赤城山の山体崩壊があったのは間違えないでしょうが、ここはかつてこの地域を開拓した際に邪魔になった岩をここへ纏めた岩捨て場だったのではないかと思っています。
あくまでも主観ではありますが、ここは磐座の体裁を保っていないのが主な理由です。
本来、磐座であるなら聖なる地(イヤシロチ)を選び祀っている訳ですがどうもここは違う様に思えるのです。
実は、ここへは2度ほど参拝に訪れているのですが、2度目の際にこの石山に居ると気分が悪くなったことがありました。毒気に当たったと申しますか長居は無用とさっさと境内から出てしまった記憶があります。
以前も千葉の神社で同じような事があった事を思い出し改めてマップを確認してみると…。
同じ敷地に「大黒塚古墳」と、言う古墳がありました。どうやらこの負のオーラとでもいいますか、この毒気に当たってしまっていたようです。
「安産胎内くぐり」として置かれた巨石ですが…。
以前までありませんでした。(写真はこちらから転載)
こちらは同場所を以前撮影したもの。すっかり様変わりしています。
(撮影:2007-3・2010-10)
お断り:例によって、2010年当時の情報となります。当時とは異なる事が想定されますので(巨石の場所は変わりようがありませんが…。)訪れる際には、事前に調べて頂き記事は参考程度とお考え下さい。
【マップ】
お断り:例によって、2010年当時の情報となります。当時とは異なる事が想定されますので(巨石の場所は変わりようがありませんが…。)訪れる際には、事前に調べて頂き記事は参考程度とお考え下さい。
【マップ】
岩は自然にではなく、人の手が入っているのでしょうか?
人工物であれば磐座のような神々しさでなく、古墳のような人の念みたいなものが出るのも頷けます。
たしかに言われると古墳は気持ちよく見れるのと、早く立ち去りたいのがありますね🤔
楽しく拝見しました。
滅多にないのですが、やはり勝手に磐座として祀っている神社があるので見極めは大切です。自分の見解としては、ここの石山はただの石塊が集まっているだけであって祭祀として祀られていた磐座では無いと思っています。