今回は、太郎坊宮(阿賀神社)の近く 万葉集に謳われ大海人皇子と額田王で有名な相聞歌(そうもんか)の舞台でもある船岡山と、太郎坊宮(阿賀神社)の里宮の位置づけ もう一つの阿賀神社と境内の磐座の紹介です。
太郎坊宮から南西へ5キロほど行った場所に船岡山はあります。
まずは、もう一つの阿賀神社へ
立派な舞殿があります。
拝殿
由緒:
蒲生郡市辺村野口 古老ノ傅言ニヨレバ 天正年間ヨリ 小脇村ニテ協同祭典守護シテ 明治元年四月二十四日本村船丘第一番ノ内三・四番ノ地ニ御分身ヲ受ケ移社セシモ 本社改築ニ接シ 再ビ明治三十一年二月二十四日船丘一番ノ地ニ転社ス 本社ハ 祭神 猿田毘古神(阿賀神社縁起より)
ご祭神は、サルタヒコとありますが太郎坊宮の祭神は天忍穂耳です。
たぶんですが太郎坊宮と言えば天狗ですので、里宮として明治時代に建立されたこちらの阿賀神社は、導きの神として何かと人との繋がりが多く神徳が高いサルタヒコを祀ったのではないでしょうか。
一番奥には、太郎坊宮と同じく夫婦岩をご神体として本宮が祀られています。
境内で見られた巨石
続いて裏手へと連なる船岡山へ
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万葉歌碑 巨石に掲げられた相聞歌の一節
万葉歌碑由緒 写真クリックで拡大。
誰もが、古典の授業などで一度は目にしたはずの「万葉集」
その中でも、有名な一節
『あかねさす 紫野行き 標野行き 野守は見ずや 君が袖振る』(額田王)
『紫草の にほへる妹を 憎くあらば 人妻故に 我れ恋ひめやも』(大海人皇子)
『紫草の にほへる妹を 憎くあらば 人妻故に 我れ恋ひめやも』(大海人皇子)
額田王は大海人皇子(のちの天武天皇)と愛し合いましたが、のち彼の実の兄である天智天皇の寵愛を受けました。
この歌は、蒲生野遊猟のときに交わされたもので、人目もはばからずに袖を振って見せる大海人を額田王が咎めたのに対し、大海人が大胆にも人妻である額田王への激しい恋情を歌い返した歌です。
この舞台“蒲生野”が、船岡山のあるこの一帯だったと伝わります。
船岡山の山中にも巨石がたくさん見られます。
特に名称などは付けられていませんが、ここもこれだけの巨石が纏まってあるのが逆に不自然の様に思えてしまいます。
山中を散策中お社がありました。
参道を振り返ると…。
赤い鳥居が見えましたので稲荷だと思います。
船岡山阿賀神社と、太郎坊宮との関係ですが特に深くは言及している文献などはみつかりませんでした。
ただ、位置関係と同じ社名を名乗っていることから前述のように里宮として後に、ここへ祀ったものという解釈が一番しっくりすると思います。
(撮影:2007-8)
お断り:2007年当時の情報となります。当時とは異なる事が想定されますので訪れる際には、事前に調べて頂き記事は参考程度とお考え下さい。
お断り:2007年当時の情報となります。当時とは異なる事が想定されますので訪れる際には、事前に調べて頂き記事は参考程度とお考え下さい。
【マップ】
万葉歌か覚えてませんでしたが、たしかにこういう話ありましたね。すごく情熱的な歌です。兄弟間の確執も見え隠れしますね。
岩は自然なのでしょうか。人工ならどうやってこんな山の上まで🤔
ちなみにここは安土城の町ですか?
情熱的と言うか大海人の身勝手な横恋慕な歌ですよね。
額田王も今からすれば、ずいぶんですが側室とか普通にあった時代でしょうから大海人の気持ちはわからないでも無いです。
船岡山は、ちょうど近江八幡との境ですね。船岡山阿賀神社の場所は、正確には安土ではないです。(地名も変更しておきました。)
どちらかと言うと太郎坊の方が近かったですかね。新幹線の軌道の北側一帯は安土の城下町です。