
2010/11/14 LIVE@Ginza TACT
先日の投稿↓
音楽というのはたぶん、ある個性が、ある個性であることを超えて、以降の世代にとっての音楽の「成分」と化すものなのではあるまいか。ブルースしかり、ベートーベンしかり、ビートルズしかり。どんな芸術の形式にも人類の歴史が刻み込まれているとしても、音楽の場合にはそれが繰り返し問われるのではなく、溜め込まれていく。だからこそ、1回1回のパフォーマンスが意味を持つものとなり得るのだ。
今日はこの続きであります。
この意味ではパフォーマンスというのはすべてそうであって、舞踏などももちろんそうだし、芝居もそうだしということになる。(そう、先日は前衛舞踏の方も出演されたのだった)
それと比べて音楽がどう違うかというと、たぶん、音楽のほうが記号化(コード化)が進んでいるのではないだろうか。もちろん記号化の筆頭といえば言語であるけれども(言語がコード化って? というあたりについては、こちら
音楽は今後どのように解明が進むのだろうか??
とちょっと期待してしまうではありませんか。
と、このようにクラシックイタチが考えをめぐらすのも、「困った時は左脳処理(!)」のせいである。いやあ、ヒビキくんがどうして初めてでもブルースが叩けるのかは不明だが(きっと音楽バイリンガーだからだろう)、私には頭を絞る体験なのでありましたよ。
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