響けブログ

音楽コドモから「音楽コドナ」へちょっと進化。ドラムとバイオリンと小鼓を弾く、ヒビキの音楽遍歴。

クラシックイタチはビッキーズの底辺を規定する。

2010-11-17 | ドラム・パーカッション

2010/11/14 LIVE@Ginza TACT

先日の投稿↓
音楽というのはたぶん、ある個性が、ある個性であることを超えて、以降の世代にとっての音楽の「成分」と化すものなのではあるまいか。ブルースしかり、ベートーベンしかり、ビートルズしかり。どんな芸術の形式にも人類の歴史が刻み込まれているとしても、音楽の場合にはそれが繰り返し問われるのではなく、溜め込まれていく。だからこそ、1回1回のパフォーマンスが意味を持つものとなり得るのだ。

今日はこの続きであります。

この意味ではパフォーマンスというのはすべてそうであって、舞踏などももちろんそうだし、芝居もそうだしということになる。(そう、先日は前衛舞踏の方も出演されたのだった)

それと比べて音楽がどう違うかというと、たぶん、音楽のほうが記号化(コード化)が進んでいるのではないだろうか。もちろん記号化の筆頭といえば言語であるけれども(言語がコード化って? というあたりについては、こちらをぜひご参照ください)。で、音声データよりも動画データ、さらにマルチモーダルなデータというようにデータ量は嵩んでいくのであり、現に音楽市場は怒濤のようにデジタル化している。

音楽は今後どのように解明が進むのだろうか??

とちょっと期待してしまうではありませんか。

と、このようにクラシックイタチが考えをめぐらすのも、「困った時は左脳処理(!)」のせいである。いやあ、ヒビキくんがどうして初めてでもブルースが叩けるのかは不明だが(きっと音楽バイリンガーだからだろう)、私には頭を絞る体験なのでありましたよ。


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