飛田雄一
コロナ自粛エッセイ(その七)
「極私的 ゴドウィン裁判 初・原告団長の記」
●一
「飛田さん、神戸の市民税を払っている人が原告になってもらわなければ困るんです」。指紋押捺裁判などでお世話になっている弁護士からの電話だった。断りにくい、承諾した。たくさん?市民税を払っているわけではないが、それは関係ないらしい。
スリランカ人留学生ゴドウィンさん(一九六一年五月生まれ)の治療費をめぐる「事件」だ。ゴドウィンさんは、神戸YWCAの日本語学校に留学中、くも膜下出血で倒れた。一九九〇年三月のことだ。運よく友人が発見し海星病院に入院させた。緊急手術が必要で神戸大学病院に移された。手術は成功した。普通なら、よかったね、とこれで終わる。
が、その治療費が問題となった。保険に加入していなかった彼の治療費は一六〇万円。本人にも友人にもそのお金がなかった。友人がいろんな人に支援を求めて、最終的に神戸市灘区の保健所にたどりつき、生活保護でその治療費が支払われることになった。生活保護費は、四分の三を国、残り四分の一を地方自治体が支払うことになっている。政令指定都市の神戸市は四分の一全額を支払い、その他の都市はその部分を都道府県と折半するのである。
ゴドウィンさんに生活保護で治療費が支払われることになったと新聞に報道された(一九九〇年五月二九日、毎日新聞)。これがいけなかった。当時の厚生省が、留学生への生活保護適用はよろしくないと神戸市に圧力をかけたのだ。ゴドウィンさんの治療費一六〇万円の四分の三、国の負担分一二〇万円の支払いを拒否したのである。
神戸市はこれに抵抗できなかった。そのお金は神戸市が負担することになった。ここで神戸市民の出番となる。この一二〇万円は本来国が支払うべきもので、神戸市が払うべきものではない。私の市民税がその一二〇万円の一部になっているのはおかしい、許せないということになる。くりかえすが、私の市民税が、その中のいくらであるかは関係ない。
日本政府は実質的に外国人を労働者として受け入れているのに、移民政策をとっていないという。が、労働力が不足するときには何とか理由をつけて都合よく外国人を受け入れるのである。一九九〇年当時は、ブラジル、ペルーなどから日系人を受け入れようとしていた時代だ。外国人が日本に入ってくることはいやだが、日系人ならいいのではということだったようだ。その日系人などに生活保護を適用したくないと考えたようだ。そのような時期のゴドウィンさんの新聞記事で、厚生省が横やりをいれたのである。
●二
外国人への生活保護適用についての「通知」はひとつだけある。一九五四年五月のもので、適用しようとするときにはその外国人の属する国の大使館に問い合わせをして、援助がうけられないときには適用するとある。朝鮮人、台湾人については、その大使館への問い合わせも不要で適用するとされている。強制送還されることになった外国人が仮放免となったときにも生活保護が適用される。緊急医療の場合は、不法滞在者でも適用されるとなっている。
ゴドウィンさんのケースは特段、拒否すべきものではないと思うが、日系外国人の増大等を考えて拒否したのである。その根拠は何か? 一九五四年の通知を改訂するのは目立つのでよくない、ではどうしようかと役人が考えたのが「口頭通知」である。
同年(一九九〇年)一〇月二五日、地方の生活保護担当者を集めて「口頭通知」を行った。生活保護は留学等の外国人にはなじまないもので、「永住者・定住者」に限るとしたのである。当時、日本各地に外国人を支援していたグループの間で、この口頭通知は衝撃を与えた。最後の砦の生活保護が適用されないとなると、困るのだ。ゴドウィンさんへの生活保護からの除外が先例となれば外国人に命の危険が生じるのである。誰か神戸市民が裁判をしなければならない、キリスト教関係団体のネットワーク「神戸NGO協議会」(一九八六年二月結成)のメンバーなどが原告になった。草地賢一さん(PHD協会)、寺内真子さん(神戸YWCA)、竹本睦子さん(キリスト教婦人矯風会)、藤原一二三さん(牧師)と私。私が原告団長となった。事務局長専門の私としては、団長は珍しい。この裁判のための会が「外国人の生存権を実現する会」(九二年二月一三日結成、代表・飛田、以後「実現する会」)だ。仰々しい名前だが、それが私たちの意気込みだった。生存権は憲法二五条で保障されている「最低限度の生活」だ。生存権=生活保護と言ってもいい。
この種の件では裁判がすぐに始められないらしい。まずは「住民監査請求」(一九九一年一一月二七日)。神戸市のお金の使い方がおかしいのでないかと監査請求をして、それが「おかしくない」ということになれば、裁判となる。九二年二月一四日、提訴した。第一回公判は、同年六月三日、神戸地方裁判所で開かれた。弁護士は、原田紀敏さん、林晃史さん、菅充行さん、小山千陰さん、梁英子さん(梁さんは控訴審から)。
実現する会は、裁判の過程で熱心に勉強した。ほんとによく勉強した。勉強会は以下のとおりだ。
「国際人権規約と在日外国人の人権」(芹田健太郎さん、九二年四月二七日)、「在日外国人と生活保護」(庄谷怜子さん、九三年三月四日)、「日本国憲法と在日外国人の生活保護」(棟居快行さん、同年四月二七日)、「外国人に対する生活保護の適用」(高藤昭さん、九四年八月三日)。
庄谷怜子さん、高藤昭さんにはその後、専門家としての鑑定書も出していただいた。
●三
この裁判は民事裁判で、原告は私たちだ。事件を起こして訴えられる刑事事件ではない。民事事件でも借金をめぐる個人間の争いではなくて行政事件、行政を訴えるのだ。このゴドウィン裁判の場合は、神戸市の財政支出一二〇万円が間違っているというものだ。本来は国(厚生省)が支払うべきお金を神戸市が支払っているのがおかしいというものだ。神戸市長を被告にして、国から一二〇万円を取り戻せという裁判も可能だ。でも今回、悪いのは国だ。そこで、国は神戸市にそのお金を支払えという裁判をすることになった。
たとえば、〇〇市長が△△社長に□□円分の便宜供与をしたとすると、〇〇市長に△△社長から□□円を返してもらえという裁判もできるし、△△社長を相手に〇〇市長に□□円を返せという裁判もできるのである。ゴドウィン裁判の場合は、この△△社長が国になるのだ。よけい分かりにくいたとえ話となってしまったかもしれない。先に進む。
生活保護は最後のセーフティネットだと言われている。「万策尽きた」ときにこれによって命をまもるのである。万策とは他の行政施策だ。庄谷玲子さんは、この最後のセーフティネットが生活保護の基本で、これが働かなければ生活保護=生存権の意味はないと言われる。
が、国側の証人として登場した元厚生省生活保護課長・炭谷茂さん(九四年八月三日)はそうでないと言う。
九〇年一〇月に口頭通知によって新たに言い始めた「生活保護は永住者・定住者に限る」が、従来からずっとそうだったと言い張る。私たちがそうでないでしょう、〇〇の事例はどうですか、△△の事例はどうですか、□□の事例はどうですか、永住者・定住者でないでしょうと質問すると「知らない」「知らない」というのである。
先に紹介したように外国人への生活保護適用についての通知は一九五四年のものしかないが、仮放免の場合でも可能だとしているのである。
一九九二年六月三日が第一回裁判。私は意見陳述をした。そのむすびは、次のとおり。格調が高い(かな?)。
「国籍をこえて人権が保障される社会が理想的な社会であることは疑う余地がありません。日本は一九七九年に国際人権規約を批准し、一九八一年に難民条約を批准しました。そしてそこに書かれている内外人平等の原則が日本社会に貫かれているはずです。ゴドウィンさんの生活保護適用にたいしてそれにストップをかけることは、これらの流れに逆行するものであると思います。国際化が叫ばれている今日ですが、ゴドウィンさんのケースは、そのような意味で日本社会の国際化の度合いを調べるリトマス試験紙であろうと思います。/裁判所の賢明なる判断を期待しています。」
●四
もうひとつの重要な論点が「緊急医療」の問題だ。ゴドウィンのケースはまさにこれにあたる。
先の一九五四年通知では、「有効なる在留カード又は特別永住者証明書を呈示しなければならない」とあるが、「外国人がその呈示をしない場合若しくは実施機関の行う保護の措置に関する事務に外国人が協力しない場合は如何にすべきか」という設問を設けている。(『令和元年版 生活保護関係法令通知集』、中央法規、二〇一九年一一月)
答えはこうだ。「申請者若しくは保護を必要とする者が急迫な状況にあって放置することができない場合でない限り、申請却下の措置をとるべきである」。すなおに読むと、「急迫な状況」であれば生活保護を適用するということだ。
裁判での提出資料のひとつに『外交フォーラム』(一九九一年八月)がある。この号は「地球規模の難民問題」の特集で、労働省、外務省も文書をのせている。外務省は領事移住部外国人課審査官・菊池龍三は以下のように書いている。
「生活保護法の適用についても、緊急保護を必要とする外国人が治療費を支払う能力がないような場合は、病院をたらい回しされるような事態を防ぐため不法就労者であるか否かを問わず生活保護法を適用し、医療扶助を与えるべきで、不法就労者であることによる退去強制はその後で考えるべきであろう。」
阪神淡路大震災関連で、九六年二月二三日、神戸外国人クラブで外務省の役人との懇談会があった。そのとき私は、この『外交フォーラム』にある外務省の見解は、今もそのとおりかと質問した。答えは「そのとおり」とのことだった。
国際人権規約、難民条約などに直接的な関連をもち、国際的な人権状況についてある程度理解のある外務省は、厚生省とちがってよく分かっている。国際的には言ってはいけないことがあることを、外務省は知っているのだ。
弁護団の菅充行さんは、国際人権法に詳しい。最終準備書面のなかで、次のように主張した。
「社会権規約委員会によれば、社会権規約に定められた権利の中でも、人間にとっての基本的必要性(Basic human needs)に当たる部分は斬新的達成義務では足らず、即時実行義務があると解されている。基本的食糧を得る権利、基本的な健康の保護を受ける権利、基本的な雨露をしのぐ権利又は住居に関する権利、基本的な教育の権利等は、社会権規約に定められた権利といえども即時実現されるべきものとされている。」
これは国連人権委員会の「一般的意見(General comments)三・一〇項」(一九八九年一一月二一日)によるもので、日本政府が国際人権規約の社会権については「斬新的」に進めたらいいとしていう日本政府の見解に対する反論である。命の危険があったゴドウィンさんへの生活保護適用が、即時実現されていなければならないものだ、ということだ。
ゴドウィン裁判を支援してくださった龍谷大学の中村尚司さんは、スリランカで研究中にテング熱で入院したことがある。そのとき「退院の日、医療費を払おうとしたら、「この国では医療は無償です。外国人だからといって医療費を請求できません」と断られた」(「外国人労働者の急迫医療」、『からだの科学』一九九二年七月号)という。そして、「一人当たりの国民所得が、日本の五〇分の一にも達しないスリランカで、外国人の無料診療が行われている。人民の基本的な権利を規定するさい、日本国憲法が「すべての国民は」を記すのに対して、「すべての人は」とか「いかなる人間も」という表現を用いている」と記されているとのことだった。
当時、京都でもフィリピン人のブレンダさんが、くも膜下出血で緊急入院(一九九一年三月三日)してのち、支援運動を展開していた。運動はブレンダさんの帰国(同年八月二九日)後は、「ブレンダ事件を端緒に、非定住的な外国人の緊急医療と生活を考える会」(略称・ブレンダ会)として活動した。私たちは、緊急入院したときに困る、第二第三のゴドウィンさん、ブレンダさんを作らないためにともに活動した。
京都で実現する会とブレンダ会との合同会議が竹下義樹弁護士の事務所で開かれたことがある。竹下さんは山口組組長を訴えたりした「武闘派弁護士?」として有名な全盲の弁護士だ。NHKの「仕事の流儀」にも登場した。
会議後、竹下さんが「飛田さん、私は残業するから電気を消して帰って」という。「???」。全盲の彼は、ときどき電気を消し忘れて?家に帰ってしまうという。いや、びっくりした。全盲とは、こういうことなのだ。
私は全盲の学者・慎英弘さんとも飲み仲間だが、ある日、「きょうは、ボランティアしてきた、疲れた」という。講演会で、ヘレン・ケラーのように目耳が不自由な人の通訳をしてきたのだという。手のひらに六本の指で点字を入れるという。そのような通訳をできる人はそう多くないとのことだ。私はその慎さんから盲人との歩き方を習った。習うといっても、腕をとり半歩先を歩くだけだ。慎さんは、この超基本的はことを教えない小学校教育をいつも嘆いていた。こんなことこそ、教えないといけない。私もそう思う。
偶然、慎さんと京都駅のホームで会ったとき、取り巻きの三、四人が、「あなたは友人ですか、よろしく」と帰ってしまった。なんと冷たい人たちだと思ったが、慎さんに聞くと、駅前で迷っていたらホームまで連れてきてくれたのだという。仕方ない。酒飲みの慎さんはときどき?、こんなことがあるという。二、三〇〇曲、そらんじて歌えるという慎さん、今度はカラオケもといいながら、飲みすぎて終わってしまっているが、次回は勝負しよう。
●五
もうひとつの論点、仮放免中の生活保護関連で、以前かかわった孫振斗裁判が関連したことも面白かった。
孫さんは、一九七〇年一二月、韓国から密入国して逮捕されたが、そのとき、「自分は原爆被爆者だ、日本政府の責任で治療してほしい」と主張した。そして、原爆手帳を求める裁判となったのである。孫振斗裁判は、親族以外の証言者がいることなどの要件をみたしている孫さんに、原爆手帳が交付されるべきあるという判決が福岡地裁でだされ(七四年三月三〇日)、それが最高裁でも確定したのである(七八年三月三〇日)。完全勝訴の裁判で、その後の在韓被爆者救済に道を開いた画期的な裁判であった。
孫さんは病気治療のため仮放免となったが、すぐに生活保護が適用された。裁判の過程で、孫さん側が、生活保護はOKなのに原爆手帳はなぜだめなのかと問うた。そのとき国は、生活保護はOKだけれど、原爆手帳はダメだと回答したのである。
一九七〇年代の孫振斗裁判では、次のように主張していたのである。
「生活保護法は日本国民のみに適用される(同法一条)であるからこそ、「生活に困窮する外国人に対する生活保護の措置」は外国人に対し、生活保護法に準じた取り扱いをしていることとなるものであるが、そもそも生活保護はいわゆる最低限度の生活を維持されるものであって、例えばまさに飢えようとしている外国人に対してこれを放置することは人道上許されないところから、当該外国人が日本国内に居住関係を有すると否とにかかわらず、当該外国人に対して最低限の生活を維持できるように措置しているのである。かかる理由から、日本国内に居住関係を有しない原告(孫振斗)に対しても右の措置が講じられたのであるが、原爆医療法や原爆特別措置法は、原子爆弾の被爆者の最低限の生活保障というよりは。より積極的な社会保障を目的としているのであるから、右二法が外国人に適用されるためには、当該外国人が日本国内に居住関係を有することが必要である」(『判例時報』七三六号)。
つい熱心に読んでしまった。「。」が少なく悪文だ。引用が長すぎたが、孫振斗、ゴドウィン、ふたつの裁判にかかわった私は、笑ってしまった。厚生省は法律の整合性を考えないのか、としろうとの私はおおいに憤慨したのであるが、「ああいえばこういう」式なのかと思った。
●六
原告の藤原一二三さんは、聖書のイエスの「百匹の羊」のたとえ話を引用しながら次のように最終意見陳述をした。
「このたとえ話を日本本土に限定して読みますと、この場合九九匹の羊は日本国籍のある者、または法の保護を受けることのできる者となり、ゴドウィン・クリストファは失われた一匹の羊と理解されるでしょう。/私は人間の生命に関しては、国家や民族や信条の違いを越えて平等であると信じていますし、その意味では地球上の人間の生命全体は百匹の羊と受け取るべきだと思っています。」(一九九五年三月二七日)
第一審(神戸地裁)は、けっこうがんばったが、負けてしまった。同年六月一九日だった。「市に代わって住民が国に国庫負担金を請求するのは不適法」とする「却下判決」だった。私たちが主張したゴドウィンさんへの生活保護適用の正当性に関する判断を避けた門前払いの判決だった。しかし、ゴドウィンさんのようなケースに生活保護が適用されないことは問題であると考えたようで、判決文は、最後で次のように述べた。
「外国人が同法(生活保護法)によって具体的権利を享有していると解することはできない。/しかし、これは、現行法上、外国人が同法の定める具体的な権利を享有しているとまでは解釈できないというにとどまり、憲法並びに経済的、社会的及び文化的権利に関する国際規約、市民的及び政治的権利に関する国際規約等の趣旨に鑑み、さらに、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利が人の生存権に直接関係することも併せ考えるとき、法律をもって、外国人の生存権に関する何らかの措置を講ずることが望ましい、特に、重大な傷病への緊急治療は、生命そのものに対する救済措置であるから、国籍や在留資格にかかわらす、このことが強く妥当する。」
そうだそうだ。裁判官の辻忠雄さんに拍手を送りたい。
しかしつづけて、「右のような措置を講ずるか否か(中略)、専ら国の立法政策にかかわる事柄であり、直ちに司法審査の対象となるものではない」という。まことに残念至極だ。
もちろん、大阪高等裁判所に控訴した(九五年六月二七日)。高裁では、同年一一月九日、一度だけ公判が開かれ、翌九六年七月一二日、「控訴棄却」判決がだされた。当然、最高裁に上告したが、九七年六月一三日、「上告棄却」となった。
●七
裁判には反響が大きく私もテレビにでたりした。読売テレビが外国人の医療問題をとりあげ、私も出演した(一九九二年二月一四日)。それなりにいい番組だった。その日はちょうどゴドウィン裁判を提訴した日でもあった。ゴドウィンさんの映像がないかとテレビ局にいわれて探した。あった。友人の越智清光さんが、自身が主催する団体のボランティアとしてゴドウィンさんが参加したことがあり、そのときの、子どもたちに英語を教えたり遊んだりしている映像だ。その映像も流された。
また、ゴドウィン裁判は、外国人労働者支援、生活保護等に関連するテーマで、私もその支援集会によく出かけた。神戸市内で病院のMSW(メディカルケースワーカー)の会にも参加した。MSWという存在自体もそれまで知らなかった。盛岡で「公的扶助研究全国セミナー」(一九九二年一一月五日~七日)にもでかけた。そのセミナーの冊子が資料の中から出てきたので見たら、私は一四の分科会のうちの「外国人問題」に参加し、報告もしている。高山敏雄さん(墨東病院MSW)、觜本郁さん(神戸市職員)もいっしょだった。三人で、飛田が事前に予習したサンマの刺身の店を探しあてて、食べて飲んだらおいしかった。觜本さんは、神戸市の生活保護ケースワーカーだったが、ゴドウィン裁判に加わったためその担当から外されてしまった。悪いことをしたが、私が悪いのではない。
ゴドウィン裁判は、研究テーマとしても注目された。資料をダンボールごと貸し出すこともあった。法政大学博士論文で外国人の生活保護問題を書いている大澤優真さんは、お貸しした全資料をPDFファイルにして現物といっしょに返却してくれた。ありがたい。博士論文の一部は、「地方自治体による外国人保護」(『社会政策』二〇二〇年六月)として発表されている。私は「収集魔」とまではいかないが、資料収集「癖」がある。このように利用されることは大変うれしいことだ。
他にも、ベ平連神戸の資料は黒川伊織さん(神戸大学から大阪大学)、孫振斗資料は高谷幸さん(岡山大学から大阪大学)、指紋押捺拒運動資料を同志社大学の金宥良さんが利用してくださったりしている。他にまだダンボールセットがある。ぜひ、ご利用いただきたい。そのさい、PDFファイルに変換してくれるともっとうれしい。
今回、ゴドウィン裁判の資料をいろいろ見た。資料集を四巻まで出したが、在庫がない。そこで、それらをPDFファイルにしてホームページに貼りつけた。ゴドウィン裁判の会の正式名は、「外国人の生存権を実現する会」、検索してくだされば入手できる。「ゴドウィン裁判の会」であれば裁判が終了したら、解散か改名をしなければならないが、幸い、「実現する会」はそれが実現していないので、まだ継続中だ(少なくともホームページ上で)。
●八
外国人の生存権を実現する、これは本当に大切だ。実は、裁判に負けたことにより、重大な問題も生じている。生活保護は最後のセーフティネットだ。ということは、それがないのでアウトの場合もある。ゴドウィン裁判以降、厚生省が永住・定住者以外に生活保護を適用しないとしたため、各地の自治体は、それまで適用していた生活保護を適用できなくなった。活字には(パソコンは活字か?)しにくいが、明治時代の行路病人法で救おうと、急病になったとき、アパートに救急車を呼ぶと具合が悪いので、別の「行路」らしいところに呼んだりすることもあったと聞いている。またゴドウィンさんのケース以降、一九九一年三月から国民健康保険の適用を向こう一年間の有効なビザを要件としたため、保険に加入できなくて困ったこともある。某自治体はそれでもなんとか?加入できるという情報を得て、当該外国人を引っ越しさせたということもあるらしい。私は、うわさを聞いただけであるが‥‥
一九九五年一月の阪神淡路大震災のときには、また、外国人の医療問題が生じた。ゴドウィン裁判に勝利していれば、なんの問題もなかったはずだが、そうではなかった。瓦礫に閉じ込められてクラッシュ症候群となり、集中治療室での費用(三〇〇万円)が払えないという外国人もいたのである。しかたなく、「災害救助法」の緊急医療支給で、行政と交渉することになった。そして、それなりの「解決」をみたことは、本コロナ自粛エッセイ(その二)「阪神淡路大震災編」で書いたとおりである。
在日コリアンの問題にかかわった人が、「ニューカマー」(在日朝鮮人ら「オールドカマー」と比較していわれている)外国人の問題につながるのがうまくいかなかったという話もある。幸い私は、ゴドウィン裁判のおかげで、スムーズにオールドカマー問題からニューカマー問題に入っていったことになる。ちなみに、このオールドカマー、ニューカマーは和製英語で、英語圏ではまったく通じないとのことだ。
ゴドウィンさんは、健康を回復してその年のうちに帰国した。よかったと思う。またお会いしたいと言いたいが、実は、私は一度もゴドウィンさんに会ったことがないのだ。これを最初に書くとしらけるので、最後に告白した次第だ。ひょっとしたらゴドウィンさんは、自分をテーマにした裁判が日本で行われていることも知らないかもしれない。まあ、それでもいいのではないかと思っている。
■あとがき
コロナ自粛エッセイ、七冊目となった。でもちょっと?、ペースが落ちてきたかな?
このエッセイのおかげでゴドウィン裁判資料を引っ張り出してきて読むことになった。忘れていたことを思い出したり、初めて見る?資料によろこんだりした。
ゴドウィン裁判のことをもう書くことはないと思うので、もうひとつ告白しておく。ことの発端となった毎日新聞の記事(一九九〇年五月二九日)、実は私がマスコミにリンクしたのだ。私は当然の生活保護適用だと思ったが、「美談」として報道され、それが厚生省の目にとまって(耳にさわって?)、「事件」となったのだ。責任をとって仕方なく原告となったとも言える。裁判は負けてしまったが、まあ、少しは責任を果たしたことになる、と思う。
コロナ自粛エッセイだが、現情勢は、トランプ大統領が入院し、車で一時外出して、熱烈歓迎されながらも、不用意だと批判されているところだ。したがって?、もう少しこのエッセイが続くことになる。
二〇二〇年一〇月五日 飛田雄一
コロナ自粛エッセイ(その七)
「極私的 ゴドウィン裁判 初・原告団長の記」
●一
「飛田さん、神戸の市民税を払っている人が原告になってもらわなければ困るんです」。指紋押捺裁判などでお世話になっている弁護士からの電話だった。断りにくい、承諾した。たくさん?市民税を払っているわけではないが、それは関係ないらしい。
スリランカ人留学生ゴドウィンさん(一九六一年五月生まれ)の治療費をめぐる「事件」だ。ゴドウィンさんは、神戸YWCAの日本語学校に留学中、くも膜下出血で倒れた。一九九〇年三月のことだ。運よく友人が発見し海星病院に入院させた。緊急手術が必要で神戸大学病院に移された。手術は成功した。普通なら、よかったね、とこれで終わる。
が、その治療費が問題となった。保険に加入していなかった彼の治療費は一六〇万円。本人にも友人にもそのお金がなかった。友人がいろんな人に支援を求めて、最終的に神戸市灘区の保健所にたどりつき、生活保護でその治療費が支払われることになった。生活保護費は、四分の三を国、残り四分の一を地方自治体が支払うことになっている。政令指定都市の神戸市は四分の一全額を支払い、その他の都市はその部分を都道府県と折半するのである。
ゴドウィンさんに生活保護で治療費が支払われることになったと新聞に報道された(一九九〇年五月二九日、毎日新聞)。これがいけなかった。当時の厚生省が、留学生への生活保護適用はよろしくないと神戸市に圧力をかけたのだ。ゴドウィンさんの治療費一六〇万円の四分の三、国の負担分一二〇万円の支払いを拒否したのである。
神戸市はこれに抵抗できなかった。そのお金は神戸市が負担することになった。ここで神戸市民の出番となる。この一二〇万円は本来国が支払うべきもので、神戸市が払うべきものではない。私の市民税がその一二〇万円の一部になっているのはおかしい、許せないということになる。くりかえすが、私の市民税が、その中のいくらであるかは関係ない。
日本政府は実質的に外国人を労働者として受け入れているのに、移民政策をとっていないという。が、労働力が不足するときには何とか理由をつけて都合よく外国人を受け入れるのである。一九九〇年当時は、ブラジル、ペルーなどから日系人を受け入れようとしていた時代だ。外国人が日本に入ってくることはいやだが、日系人ならいいのではということだったようだ。その日系人などに生活保護を適用したくないと考えたようだ。そのような時期のゴドウィンさんの新聞記事で、厚生省が横やりをいれたのである。
●二
外国人への生活保護適用についての「通知」はひとつだけある。一九五四年五月のもので、適用しようとするときにはその外国人の属する国の大使館に問い合わせをして、援助がうけられないときには適用するとある。朝鮮人、台湾人については、その大使館への問い合わせも不要で適用するとされている。強制送還されることになった外国人が仮放免となったときにも生活保護が適用される。緊急医療の場合は、不法滞在者でも適用されるとなっている。
ゴドウィンさんのケースは特段、拒否すべきものではないと思うが、日系外国人の増大等を考えて拒否したのである。その根拠は何か? 一九五四年の通知を改訂するのは目立つのでよくない、ではどうしようかと役人が考えたのが「口頭通知」である。
同年(一九九〇年)一〇月二五日、地方の生活保護担当者を集めて「口頭通知」を行った。生活保護は留学等の外国人にはなじまないもので、「永住者・定住者」に限るとしたのである。当時、日本各地に外国人を支援していたグループの間で、この口頭通知は衝撃を与えた。最後の砦の生活保護が適用されないとなると、困るのだ。ゴドウィンさんへの生活保護からの除外が先例となれば外国人に命の危険が生じるのである。誰か神戸市民が裁判をしなければならない、キリスト教関係団体のネットワーク「神戸NGO協議会」(一九八六年二月結成)のメンバーなどが原告になった。草地賢一さん(PHD協会)、寺内真子さん(神戸YWCA)、竹本睦子さん(キリスト教婦人矯風会)、藤原一二三さん(牧師)と私。私が原告団長となった。事務局長専門の私としては、団長は珍しい。この裁判のための会が「外国人の生存権を実現する会」(九二年二月一三日結成、代表・飛田、以後「実現する会」)だ。仰々しい名前だが、それが私たちの意気込みだった。生存権は憲法二五条で保障されている「最低限度の生活」だ。生存権=生活保護と言ってもいい。
この種の件では裁判がすぐに始められないらしい。まずは「住民監査請求」(一九九一年一一月二七日)。神戸市のお金の使い方がおかしいのでないかと監査請求をして、それが「おかしくない」ということになれば、裁判となる。九二年二月一四日、提訴した。第一回公判は、同年六月三日、神戸地方裁判所で開かれた。弁護士は、原田紀敏さん、林晃史さん、菅充行さん、小山千陰さん、梁英子さん(梁さんは控訴審から)。
実現する会は、裁判の過程で熱心に勉強した。ほんとによく勉強した。勉強会は以下のとおりだ。
「国際人権規約と在日外国人の人権」(芹田健太郎さん、九二年四月二七日)、「在日外国人と生活保護」(庄谷怜子さん、九三年三月四日)、「日本国憲法と在日外国人の生活保護」(棟居快行さん、同年四月二七日)、「外国人に対する生活保護の適用」(高藤昭さん、九四年八月三日)。
庄谷怜子さん、高藤昭さんにはその後、専門家としての鑑定書も出していただいた。
●三
この裁判は民事裁判で、原告は私たちだ。事件を起こして訴えられる刑事事件ではない。民事事件でも借金をめぐる個人間の争いではなくて行政事件、行政を訴えるのだ。このゴドウィン裁判の場合は、神戸市の財政支出一二〇万円が間違っているというものだ。本来は国(厚生省)が支払うべきお金を神戸市が支払っているのがおかしいというものだ。神戸市長を被告にして、国から一二〇万円を取り戻せという裁判も可能だ。でも今回、悪いのは国だ。そこで、国は神戸市にそのお金を支払えという裁判をすることになった。
たとえば、〇〇市長が△△社長に□□円分の便宜供与をしたとすると、〇〇市長に△△社長から□□円を返してもらえという裁判もできるし、△△社長を相手に〇〇市長に□□円を返せという裁判もできるのである。ゴドウィン裁判の場合は、この△△社長が国になるのだ。よけい分かりにくいたとえ話となってしまったかもしれない。先に進む。
生活保護は最後のセーフティネットだと言われている。「万策尽きた」ときにこれによって命をまもるのである。万策とは他の行政施策だ。庄谷玲子さんは、この最後のセーフティネットが生活保護の基本で、これが働かなければ生活保護=生存権の意味はないと言われる。
が、国側の証人として登場した元厚生省生活保護課長・炭谷茂さん(九四年八月三日)はそうでないと言う。
九〇年一〇月に口頭通知によって新たに言い始めた「生活保護は永住者・定住者に限る」が、従来からずっとそうだったと言い張る。私たちがそうでないでしょう、〇〇の事例はどうですか、△△の事例はどうですか、□□の事例はどうですか、永住者・定住者でないでしょうと質問すると「知らない」「知らない」というのである。
先に紹介したように外国人への生活保護適用についての通知は一九五四年のものしかないが、仮放免の場合でも可能だとしているのである。
一九九二年六月三日が第一回裁判。私は意見陳述をした。そのむすびは、次のとおり。格調が高い(かな?)。
「国籍をこえて人権が保障される社会が理想的な社会であることは疑う余地がありません。日本は一九七九年に国際人権規約を批准し、一九八一年に難民条約を批准しました。そしてそこに書かれている内外人平等の原則が日本社会に貫かれているはずです。ゴドウィンさんの生活保護適用にたいしてそれにストップをかけることは、これらの流れに逆行するものであると思います。国際化が叫ばれている今日ですが、ゴドウィンさんのケースは、そのような意味で日本社会の国際化の度合いを調べるリトマス試験紙であろうと思います。/裁判所の賢明なる判断を期待しています。」
●四
もうひとつの重要な論点が「緊急医療」の問題だ。ゴドウィンのケースはまさにこれにあたる。
先の一九五四年通知では、「有効なる在留カード又は特別永住者証明書を呈示しなければならない」とあるが、「外国人がその呈示をしない場合若しくは実施機関の行う保護の措置に関する事務に外国人が協力しない場合は如何にすべきか」という設問を設けている。(『令和元年版 生活保護関係法令通知集』、中央法規、二〇一九年一一月)
答えはこうだ。「申請者若しくは保護を必要とする者が急迫な状況にあって放置することができない場合でない限り、申請却下の措置をとるべきである」。すなおに読むと、「急迫な状況」であれば生活保護を適用するということだ。
裁判での提出資料のひとつに『外交フォーラム』(一九九一年八月)がある。この号は「地球規模の難民問題」の特集で、労働省、外務省も文書をのせている。外務省は領事移住部外国人課審査官・菊池龍三は以下のように書いている。
「生活保護法の適用についても、緊急保護を必要とする外国人が治療費を支払う能力がないような場合は、病院をたらい回しされるような事態を防ぐため不法就労者であるか否かを問わず生活保護法を適用し、医療扶助を与えるべきで、不法就労者であることによる退去強制はその後で考えるべきであろう。」
阪神淡路大震災関連で、九六年二月二三日、神戸外国人クラブで外務省の役人との懇談会があった。そのとき私は、この『外交フォーラム』にある外務省の見解は、今もそのとおりかと質問した。答えは「そのとおり」とのことだった。
国際人権規約、難民条約などに直接的な関連をもち、国際的な人権状況についてある程度理解のある外務省は、厚生省とちがってよく分かっている。国際的には言ってはいけないことがあることを、外務省は知っているのだ。
弁護団の菅充行さんは、国際人権法に詳しい。最終準備書面のなかで、次のように主張した。
「社会権規約委員会によれば、社会権規約に定められた権利の中でも、人間にとっての基本的必要性(Basic human needs)に当たる部分は斬新的達成義務では足らず、即時実行義務があると解されている。基本的食糧を得る権利、基本的な健康の保護を受ける権利、基本的な雨露をしのぐ権利又は住居に関する権利、基本的な教育の権利等は、社会権規約に定められた権利といえども即時実現されるべきものとされている。」
これは国連人権委員会の「一般的意見(General comments)三・一〇項」(一九八九年一一月二一日)によるもので、日本政府が国際人権規約の社会権については「斬新的」に進めたらいいとしていう日本政府の見解に対する反論である。命の危険があったゴドウィンさんへの生活保護適用が、即時実現されていなければならないものだ、ということだ。
ゴドウィン裁判を支援してくださった龍谷大学の中村尚司さんは、スリランカで研究中にテング熱で入院したことがある。そのとき「退院の日、医療費を払おうとしたら、「この国では医療は無償です。外国人だからといって医療費を請求できません」と断られた」(「外国人労働者の急迫医療」、『からだの科学』一九九二年七月号)という。そして、「一人当たりの国民所得が、日本の五〇分の一にも達しないスリランカで、外国人の無料診療が行われている。人民の基本的な権利を規定するさい、日本国憲法が「すべての国民は」を記すのに対して、「すべての人は」とか「いかなる人間も」という表現を用いている」と記されているとのことだった。
当時、京都でもフィリピン人のブレンダさんが、くも膜下出血で緊急入院(一九九一年三月三日)してのち、支援運動を展開していた。運動はブレンダさんの帰国(同年八月二九日)後は、「ブレンダ事件を端緒に、非定住的な外国人の緊急医療と生活を考える会」(略称・ブレンダ会)として活動した。私たちは、緊急入院したときに困る、第二第三のゴドウィンさん、ブレンダさんを作らないためにともに活動した。
京都で実現する会とブレンダ会との合同会議が竹下義樹弁護士の事務所で開かれたことがある。竹下さんは山口組組長を訴えたりした「武闘派弁護士?」として有名な全盲の弁護士だ。NHKの「仕事の流儀」にも登場した。
会議後、竹下さんが「飛田さん、私は残業するから電気を消して帰って」という。「???」。全盲の彼は、ときどき電気を消し忘れて?家に帰ってしまうという。いや、びっくりした。全盲とは、こういうことなのだ。
私は全盲の学者・慎英弘さんとも飲み仲間だが、ある日、「きょうは、ボランティアしてきた、疲れた」という。講演会で、ヘレン・ケラーのように目耳が不自由な人の通訳をしてきたのだという。手のひらに六本の指で点字を入れるという。そのような通訳をできる人はそう多くないとのことだ。私はその慎さんから盲人との歩き方を習った。習うといっても、腕をとり半歩先を歩くだけだ。慎さんは、この超基本的はことを教えない小学校教育をいつも嘆いていた。こんなことこそ、教えないといけない。私もそう思う。
偶然、慎さんと京都駅のホームで会ったとき、取り巻きの三、四人が、「あなたは友人ですか、よろしく」と帰ってしまった。なんと冷たい人たちだと思ったが、慎さんに聞くと、駅前で迷っていたらホームまで連れてきてくれたのだという。仕方ない。酒飲みの慎さんはときどき?、こんなことがあるという。二、三〇〇曲、そらんじて歌えるという慎さん、今度はカラオケもといいながら、飲みすぎて終わってしまっているが、次回は勝負しよう。
●五
もうひとつの論点、仮放免中の生活保護関連で、以前かかわった孫振斗裁判が関連したことも面白かった。
孫さんは、一九七〇年一二月、韓国から密入国して逮捕されたが、そのとき、「自分は原爆被爆者だ、日本政府の責任で治療してほしい」と主張した。そして、原爆手帳を求める裁判となったのである。孫振斗裁判は、親族以外の証言者がいることなどの要件をみたしている孫さんに、原爆手帳が交付されるべきあるという判決が福岡地裁でだされ(七四年三月三〇日)、それが最高裁でも確定したのである(七八年三月三〇日)。完全勝訴の裁判で、その後の在韓被爆者救済に道を開いた画期的な裁判であった。
孫さんは病気治療のため仮放免となったが、すぐに生活保護が適用された。裁判の過程で、孫さん側が、生活保護はOKなのに原爆手帳はなぜだめなのかと問うた。そのとき国は、生活保護はOKだけれど、原爆手帳はダメだと回答したのである。
一九七〇年代の孫振斗裁判では、次のように主張していたのである。
「生活保護法は日本国民のみに適用される(同法一条)であるからこそ、「生活に困窮する外国人に対する生活保護の措置」は外国人に対し、生活保護法に準じた取り扱いをしていることとなるものであるが、そもそも生活保護はいわゆる最低限度の生活を維持されるものであって、例えばまさに飢えようとしている外国人に対してこれを放置することは人道上許されないところから、当該外国人が日本国内に居住関係を有すると否とにかかわらず、当該外国人に対して最低限の生活を維持できるように措置しているのである。かかる理由から、日本国内に居住関係を有しない原告(孫振斗)に対しても右の措置が講じられたのであるが、原爆医療法や原爆特別措置法は、原子爆弾の被爆者の最低限の生活保障というよりは。より積極的な社会保障を目的としているのであるから、右二法が外国人に適用されるためには、当該外国人が日本国内に居住関係を有することが必要である」(『判例時報』七三六号)。
つい熱心に読んでしまった。「。」が少なく悪文だ。引用が長すぎたが、孫振斗、ゴドウィン、ふたつの裁判にかかわった私は、笑ってしまった。厚生省は法律の整合性を考えないのか、としろうとの私はおおいに憤慨したのであるが、「ああいえばこういう」式なのかと思った。
●六
原告の藤原一二三さんは、聖書のイエスの「百匹の羊」のたとえ話を引用しながら次のように最終意見陳述をした。
「このたとえ話を日本本土に限定して読みますと、この場合九九匹の羊は日本国籍のある者、または法の保護を受けることのできる者となり、ゴドウィン・クリストファは失われた一匹の羊と理解されるでしょう。/私は人間の生命に関しては、国家や民族や信条の違いを越えて平等であると信じていますし、その意味では地球上の人間の生命全体は百匹の羊と受け取るべきだと思っています。」(一九九五年三月二七日)
第一審(神戸地裁)は、けっこうがんばったが、負けてしまった。同年六月一九日だった。「市に代わって住民が国に国庫負担金を請求するのは不適法」とする「却下判決」だった。私たちが主張したゴドウィンさんへの生活保護適用の正当性に関する判断を避けた門前払いの判決だった。しかし、ゴドウィンさんのようなケースに生活保護が適用されないことは問題であると考えたようで、判決文は、最後で次のように述べた。
「外国人が同法(生活保護法)によって具体的権利を享有していると解することはできない。/しかし、これは、現行法上、外国人が同法の定める具体的な権利を享有しているとまでは解釈できないというにとどまり、憲法並びに経済的、社会的及び文化的権利に関する国際規約、市民的及び政治的権利に関する国際規約等の趣旨に鑑み、さらに、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利が人の生存権に直接関係することも併せ考えるとき、法律をもって、外国人の生存権に関する何らかの措置を講ずることが望ましい、特に、重大な傷病への緊急治療は、生命そのものに対する救済措置であるから、国籍や在留資格にかかわらす、このことが強く妥当する。」
そうだそうだ。裁判官の辻忠雄さんに拍手を送りたい。
しかしつづけて、「右のような措置を講ずるか否か(中略)、専ら国の立法政策にかかわる事柄であり、直ちに司法審査の対象となるものではない」という。まことに残念至極だ。
もちろん、大阪高等裁判所に控訴した(九五年六月二七日)。高裁では、同年一一月九日、一度だけ公判が開かれ、翌九六年七月一二日、「控訴棄却」判決がだされた。当然、最高裁に上告したが、九七年六月一三日、「上告棄却」となった。
●七
裁判には反響が大きく私もテレビにでたりした。読売テレビが外国人の医療問題をとりあげ、私も出演した(一九九二年二月一四日)。それなりにいい番組だった。その日はちょうどゴドウィン裁判を提訴した日でもあった。ゴドウィンさんの映像がないかとテレビ局にいわれて探した。あった。友人の越智清光さんが、自身が主催する団体のボランティアとしてゴドウィンさんが参加したことがあり、そのときの、子どもたちに英語を教えたり遊んだりしている映像だ。その映像も流された。
また、ゴドウィン裁判は、外国人労働者支援、生活保護等に関連するテーマで、私もその支援集会によく出かけた。神戸市内で病院のMSW(メディカルケースワーカー)の会にも参加した。MSWという存在自体もそれまで知らなかった。盛岡で「公的扶助研究全国セミナー」(一九九二年一一月五日~七日)にもでかけた。そのセミナーの冊子が資料の中から出てきたので見たら、私は一四の分科会のうちの「外国人問題」に参加し、報告もしている。高山敏雄さん(墨東病院MSW)、觜本郁さん(神戸市職員)もいっしょだった。三人で、飛田が事前に予習したサンマの刺身の店を探しあてて、食べて飲んだらおいしかった。觜本さんは、神戸市の生活保護ケースワーカーだったが、ゴドウィン裁判に加わったためその担当から外されてしまった。悪いことをしたが、私が悪いのではない。
ゴドウィン裁判は、研究テーマとしても注目された。資料をダンボールごと貸し出すこともあった。法政大学博士論文で外国人の生活保護問題を書いている大澤優真さんは、お貸しした全資料をPDFファイルにして現物といっしょに返却してくれた。ありがたい。博士論文の一部は、「地方自治体による外国人保護」(『社会政策』二〇二〇年六月)として発表されている。私は「収集魔」とまではいかないが、資料収集「癖」がある。このように利用されることは大変うれしいことだ。
他にも、ベ平連神戸の資料は黒川伊織さん(神戸大学から大阪大学)、孫振斗資料は高谷幸さん(岡山大学から大阪大学)、指紋押捺拒運動資料を同志社大学の金宥良さんが利用してくださったりしている。他にまだダンボールセットがある。ぜひ、ご利用いただきたい。そのさい、PDFファイルに変換してくれるともっとうれしい。
今回、ゴドウィン裁判の資料をいろいろ見た。資料集を四巻まで出したが、在庫がない。そこで、それらをPDFファイルにしてホームページに貼りつけた。ゴドウィン裁判の会の正式名は、「外国人の生存権を実現する会」、検索してくだされば入手できる。「ゴドウィン裁判の会」であれば裁判が終了したら、解散か改名をしなければならないが、幸い、「実現する会」はそれが実現していないので、まだ継続中だ(少なくともホームページ上で)。
●八
外国人の生存権を実現する、これは本当に大切だ。実は、裁判に負けたことにより、重大な問題も生じている。生活保護は最後のセーフティネットだ。ということは、それがないのでアウトの場合もある。ゴドウィン裁判以降、厚生省が永住・定住者以外に生活保護を適用しないとしたため、各地の自治体は、それまで適用していた生活保護を適用できなくなった。活字には(パソコンは活字か?)しにくいが、明治時代の行路病人法で救おうと、急病になったとき、アパートに救急車を呼ぶと具合が悪いので、別の「行路」らしいところに呼んだりすることもあったと聞いている。またゴドウィンさんのケース以降、一九九一年三月から国民健康保険の適用を向こう一年間の有効なビザを要件としたため、保険に加入できなくて困ったこともある。某自治体はそれでもなんとか?加入できるという情報を得て、当該外国人を引っ越しさせたということもあるらしい。私は、うわさを聞いただけであるが‥‥
一九九五年一月の阪神淡路大震災のときには、また、外国人の医療問題が生じた。ゴドウィン裁判に勝利していれば、なんの問題もなかったはずだが、そうではなかった。瓦礫に閉じ込められてクラッシュ症候群となり、集中治療室での費用(三〇〇万円)が払えないという外国人もいたのである。しかたなく、「災害救助法」の緊急医療支給で、行政と交渉することになった。そして、それなりの「解決」をみたことは、本コロナ自粛エッセイ(その二)「阪神淡路大震災編」で書いたとおりである。
在日コリアンの問題にかかわった人が、「ニューカマー」(在日朝鮮人ら「オールドカマー」と比較していわれている)外国人の問題につながるのがうまくいかなかったという話もある。幸い私は、ゴドウィン裁判のおかげで、スムーズにオールドカマー問題からニューカマー問題に入っていったことになる。ちなみに、このオールドカマー、ニューカマーは和製英語で、英語圏ではまったく通じないとのことだ。
ゴドウィンさんは、健康を回復してその年のうちに帰国した。よかったと思う。またお会いしたいと言いたいが、実は、私は一度もゴドウィンさんに会ったことがないのだ。これを最初に書くとしらけるので、最後に告白した次第だ。ひょっとしたらゴドウィンさんは、自分をテーマにした裁判が日本で行われていることも知らないかもしれない。まあ、それでもいいのではないかと思っている。
■あとがき
コロナ自粛エッセイ、七冊目となった。でもちょっと?、ペースが落ちてきたかな?
このエッセイのおかげでゴドウィン裁判資料を引っ張り出してきて読むことになった。忘れていたことを思い出したり、初めて見る?資料によろこんだりした。
ゴドウィン裁判のことをもう書くことはないと思うので、もうひとつ告白しておく。ことの発端となった毎日新聞の記事(一九九〇年五月二九日)、実は私がマスコミにリンクしたのだ。私は当然の生活保護適用だと思ったが、「美談」として報道され、それが厚生省の目にとまって(耳にさわって?)、「事件」となったのだ。責任をとって仕方なく原告となったとも言える。裁判は負けてしまったが、まあ、少しは責任を果たしたことになる、と思う。
コロナ自粛エッセイだが、現情勢は、トランプ大統領が入院し、車で一時外出して、熱烈歓迎されながらも、不用意だと批判されているところだ。したがって?、もう少しこのエッセイが続くことになる。
二〇二〇年一〇月五日 飛田雄一
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