ゆうさんの自転車/オカリナ・ブログ

飛田雄一の個人的なブログ、オカリナ、登山、自転車のことなどを書こうかな・・・

ツアコン生活<5>連載4

2007-05-11 05:37:26 | ツアコン生活
<リード>これは2005年10月、京都の北白川教会で開かれた基督(キリストと読む)共助会主催の講演会で私がお話したもの。『共助』599号(2006年3月)に掲載された。<リード終わり>

「アジアの中の日本―韓国・北朝鮮・中国への旅から-」(4)飛田雄一

●「侵華日軍南京大虐殺遇難同胞紀念館」
 お話してきましたように神戸・南京をむすぶ会がSARSの年をのぞいて毎年8月に南京を訪問しているのですが、15日朝には侵華日軍南京大虐殺遇難同胞紀念館前で中国の人々といっしょに追悼集会を開きます。記念館の庭には虐殺された30万人を象徴して石が30万個近く敷きつけられているのです。その一角に休憩するような広場があってそこを我々が1年目2年目とそのあたりをうろうろしていたのです。次の年行ったらそこを掘り返しているのです。記念館の拡張工事で掘ったところ骨がたくさん出てきたというのです。その遺骨はまだ吹きさらしでそれぞれの遺骨に名札の番号がつけられているのです。親子のもありますし、頭骸骨が陥没している遺骨もあるのです。その前の年に、この辺も虐殺現場に近いとか一部その場所であると言いながら、うろうろしていたところです。その上も歩いていたはずのところです。記念館あたりは共同墓地というか池があったところで南京大虐殺のころにも多くの死体が埋葬されたところです。そういうことを知らずに毎年歩いていたところから遺骨が見つかったということにショックを受けたのです。
 毎年ツアーが終わると来年は南京のあとどこに行こうかという話がでてきます。南京、重慶といったからあと三大熱釜の武漢に行こうとかいう冗談めいた話もでてきます。武漢ももちろん日本の侵略戦争に関係したところです。昔の戦闘機は上海・南京を占領しても重慶まで戦闘機を直接飛ばすことができなかったようです。飛行距離が400キロ程度に限られていたからです。蒋介石政府は南京、武漢、重慶と首都を移しますが、首都である南京を占領して、次に武漢、重慶に逃げるのですね。南京・重慶は800キロぐらいあるんでしょうか、日本軍は武漢地域を占領してやっと重慶爆撃することができるようになったそうです。その重慶を訪問しようという話がでています。まだいろんな話がでて3月ごろには決定することになりますが。

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