ゆうさんの自転車/オカリナ・ブログ

飛田雄一の個人的なブログ、オカリナ、登山、自転車のことなどを書こうかな・・・

ツアコン生活<6>連載5

2007-05-11 04:38:42 | ツアコン生活
<リード>これは2005年10月、京都の北白川教会で開かれた基督(キリストと読む)共助会主催の講演会で私がお話したもの。『共助』599号(2006年3月)に掲載された。<リード終わり>

「アジアの中の日本―韓国・北朝鮮・中国への旅から-」(5)飛田雄一

●韓国「祭」ツアー
 私は昨日も申し上げたようにもともとはコリア派で、朝鮮半島の方をより多く訪ねています。神戸学生青年センターでも主催プログラムとして韓国ツアーをやりました。
 ひとつはお祭り系です。意義付け的には伝統的な祭りの中にコリアを発見するということですが、このツアーは文句なしに楽しいものでした。
 私の韓国の祭りとしての一番のお勧めは1996年に行った江原道江陵の端午祭ですが、珍島の海割れの「霊登祭」もお勧めです。
 まずはこのお祭りのお話をいたします。この珍島は自然現象としてもほんとに面白いですね。観光ガイドが、みなさん今から海割れの場所に行きますが2時間程すれば、観光バスが通れるような道ができます、というのです。みんなは、まさかと思いましたし、高台のバス道路から見たらどこに道ができるのか全然見当がつかないような海なのです。駐車場までいくと全国からバスが300台、人間が2万人とか集まります。我々は屋台を除いたりしながら最後の店でレンタルの長靴を借りるのです。珍島の入り口でもレンタルしていたのですがガイドさんの、ここでは500円だけど現地に行ったら200円ぐらいで借りられるからという指示に従って最後に長靴を借りました。まだ潮が引かないけど、たくさんの人がみんな長靴はいて歩きだします。我々もまだどこが割れるか分らないけども、みんなが歩き出している所をついていくのです。そしたら見る見る割れるのです。モーゼの十戒(?)のようです。砂地だから本当に潮が引くとバスが通れるような感じです。実際入り口あたりが岩だらけですのでバスは乗り込めませんが、本当に割れたところはバスが通れるような、1mや2mじゃなくて広いところは4m5mの道ができるのです。その長さが3キロ弱ですので時間的に往復はできないのです。面白いのは、貝拾いをしているのもおるし、たこを捕まえているのもいるし、歌って踊って、陸地側、島側でも物凄い屋台も出ますしみんな大騒ぎしています。わたしたちも結構さわぎました。
 最後の方では決断が必要となります。向うに渡って船で帰ってくるか、早めに引き返して歩いて帰ってくるか、なんせ3キロですから、間に合わないですよ。結構いいかげんなツアコンですが、みなさんどちらなにして下さいといって海割れの道で解散するのです。それで一緒懸命に歩いて陸地に戻った人もいますし、うちのメンバー朝鮮語のできる人も結構いるので、まあなんとかなるだろうと島まで渡って値切り交渉して船で駐車場まで帰ってきたグループもあります。私は最後に歩いて戻りましたが、新婦さんが奥さんをおんぶして帰るとかいう光景もありました。潮が満ちるスピードもとっても速いのです。最後にバスに乗って同じ高台に行ったら、もうほとんど道はないんです。是非、おもしろいので行ってみてください。でもだまされていました。年に1回という触れ込みでしたけど、実際は毎月海割れがあるそうです。ただ大潮の時に祭りがあるのです。自然現象だけが面白いのではなく、韓国人の楽しみ方も面白いですから、やはりこの祭りの時にいってください。
●ムーダンと江陵端午祭
 江陵端午祭の方は、屋台の数が半端じゃないところがおもしろいですね。川の両岸に2列に渡って300mほど店ができる。堤防の上にまた300mほど2列に渡ってできるのです。ちょっとおどろおどろしいようなサーカスもあります。ソウルの街での時々見かけますがそれよりおもしろい飴売りもあります。大道芸的もあります。バスケットボール5つ買って何発入れたら商品がもらえるとか、五寸釘を3回で打ち込んだらお金が3倍になって返ってくるとかいうのもありました。そこの人は上手に3回で打つのですが、私は一回目で釘が曲がってしまいました。
 そして端午祭のおもしろいのは、本当のムーダンの祭りをそのまま残していることです。端午祭では祭りのど真ん中でムーダンが祖先の霊を呼び込むような儀式をするのです。簡単な屋根のある空間におばさんたちが2、3百人で座り込んで、その中でムーダンが踊るのです。おばさんたちはムーダンの胸元などにお金をドンドン挟むし、ムーダンは熱狂的に踊るし、知りませんが完全に霊が乗り移って、亡くなっただんなに成り切ったりして喋るのです。男のムーダンもいました。
●「民草ツアー」
 祭ツアー以外にもうひとつ「民草ツアー」というのも企画しています。
 日本語でも民衆とかいう意味で「民草」という言葉がありますが、朝鮮語でもまさに民の草という言葉があるそうですから、一応これを命名して韓国民草(ミンチョ)ツアーというふうにしてスタートさせました。一回目は1999年で、先ほどの旅順のお話をしたときにも出てきましたが、日清戦争の原因になった東学農民戦争関連のツアーです。韓国の南西部・全羅道を中心として1894年に「甲午農民戦争」とか「東学農民革命」とか言われている地域をまわるものです。農民の反乱があったときに、日本と清の条約によって、日本軍と清軍が朝鮮半島に攻め入り日清戦争が始まったのです。農民軍がソウルに攻め入ろうとした道を我々はバスで、たった2日間ですけど、ツアーしました。途中で温泉に泊まったりもしました。いろんな石碑もありますし、あるところでは朴正煕大統領が作った石碑があって、それに抵抗するように横に別の解釈を書いているような結構立派なのがあったりしました。なかなか興味深いツアーでした。
●「済州島4・事件」
 もうひとつ民草ツアーとしては、2000年に済州島の四三事件をテーマにしたものも企画しました。韓国では今もう独裁政権ではありませんが、解放後にはパルチザンなどで活動した人は「逆賊」とされていました。政権が変わっていまは名誉が回復されました。1948年の済州島の四三事件の時に赤だといって行って殺された人の名誉も回復されています。日本では、戦前の横浜事件のような事件でも名誉回復がなされませんが・・・。
 済州島に我々行った時は、済州島四三事件の被害者のお墓があるのでが、それが興味深いことに、戦後の歴史が表れているのです。例えば朴正煕がつくった石碑が壊されてそのまま置かれており、その横に新しく四三事件の追悼碑がたっているのです。私たちが済州島にいった2000年は、四三事件再評価の歴史の変わり目のようなときだったと思います。現在はもっと立派な記念公園ができていると聞いています。
 我々のグループは大静教会の方で歴史の勉強もされている方が案内してくださいました。済州島の南西部には日本軍の史跡がたくさん残っています。さっきのハルビン平房の731部隊も一部が爆破されたのに残っていましたが、済州島にも日本軍が作った飛行機格納庫などが残っているのです。私は神戸大学農学部の卒業ですが、兵庫県加西市にある大学の実習農場の敷地の中にも飛行機格納庫等が残っていることを後に知りました。戦中はセメント不足だったけども,飛行場の施設は結構立派に、セメントで鉄骨も入れて作っているのですね。だから簡単に壊せないのです。済州島にもそれが残っていました。畑の真中にそのまま残っていました。
●韓国の「人間魚雷」基地
 フィールドワークのためには事前の勉強も必要ですが、あまり勉強しすぎるのもよくないですね。あまり写真などで予備知識を沢山つめこみすぎると、ちょっと見て安心して、これかと思って、すぐに通り過ぎたりしますから。最近は済州島のフィールドワークノートがでていますが、その時は余りありませんでした。案内を聞きながら、ここがパルチザンの司令部だったのかなどと納得しながらフィールドワークしました。
 人間魚雷の基地も日本軍は済州島に作ろうとしました。海岸に大きな穴が7個ほどあいていました。日本軍が米軍の上陸地点として考えて済州島の南西部に、最後の総攻撃をするための軍事施設として作ったのです。未完成で穴は途中で行き止まりですが、そういう穴が残ったりもしていました。日本国内もそうですけど,戦争末期には朝鮮人を動員して作らせた地下工場やトンネル工場がたくさんのこっています。済州島にもこんなものを作っていたのか、というのが驚きでした。

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