highdy の気まぐれブログ

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究極の親孝行というものは・・・

2021年01月31日 | 処世訓(highdy のことば)
 


ある日突然に・・・
 highdy の親父は私に迷惑をかけまいと、ひたすら隠してひと口の愚痴も言わず、必死におふくろの介護をしていたようです。そのお蔭で本来は2人の親の面倒を看なければいけないのに親父だけの負荷になり、私は2人分のつもりで心を込めて最大限の努力をして老人介護をしました。
それには当然ながら紫陽花(家内)の了承が必要でした。何せ、相談もなくある日突然、勝手に会社を辞めてくるのですから彼女もびっくりです。
しかも、彼女を自宅に放っておいて、highdy が単身で実家へ介護に帰ってしまうのですから。理解のある家内であったからこそ実現できたことです。
しかし、それは結婚当初から「お互いに自分の親は自分で看る」という合意があったので、愚痴一つ言わず快く送り出してくれました。


何が親孝行なの?
 「親孝行」とは、「幸せ」や「愛情」と同じで、ひと口で表現することができない難しいものです。

親孝行とは、
・ 重いものを持ってあげたり、
・ 行きたい所に連れて行ったり、
・ 好きなものを美味しく食べさせたりすることではありません。
もちろん、それも親孝行の一部にはなります。では、
何でも親の好き勝手に自由にさせればよい? のでしょうか?
いいえ、そうでもありません。
自由であっても、素直に受け入れる親の場合と、そうでない場合(見掛けは喜んでいるが、内心では心配をしている状態)もあります。
後者では双方に認識の違いがあり、いずれ何らかの争いに発展します。
highdy 流哲学による究極の「親孝行」というものは、「幸せ」にするという意味とは若干異なるもので、

  ・ 何事においても親に心配をかけることなく、
  ・ 常にも笑顔で、優しく接することです




時間やお金だけではなく犠牲が・・・
 簡単に言いますが、これが意外にできそうでできないことです。いくらお金や時間があっても、最も大切な「愛情」がないと容易にはできません。
一般的には、介護される親の身内には当事者でないと分らない様々な事情や苦労があるものです。介護者を含めて身内全体が犠牲になるケースも多いです。
親に何らかの持病があったり、認知症であったり、はたまた(親の)子供に関する心配ごとがあるとそうはいきません。
加えて、介護中に怒鳴られたり粗相を目にすると、人間だからつい愚痴を言ったり怒ったりするのが人の常です。



報われたことば
 highdy は、完ぺきにやり遂げたつもり(?)です。(老人介護のエピソード参照)
手前味噌ですが、お蔭でご近所でも ”評判息子” になり、病院でも有名になってしまいました。
 生前、親父はいつも私に「無理をするなよ!」、「気を付けて行けよ!」、「ありがとう」とよく言ってくれました。紫陽花が見舞いに来ると、「〇〇子さん、あんたに不自由な思いをさせてすまんのう(すまないね)」と、泣いて詫びてくれていた後日談で聞きました。彼女にとって、大きなひと言報われた「ことばでした。









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