画像提供:highdyの親友の動画から
昔の夏の遊び場
子供の頃、海の近くに住んでいた highdy にとっては、とても懐かしい場所です。
潮が引くと陸続きになる無人島「鍋 島」(なべしま)があり、今は山口宇部空港の滑走路になっている場所があります。
晴れた日に散歩に出かけた親友が、離着陸の航空機に向かって手を振るとパイロットも振り返えしてくれると乗客も振っていることがあります。政治は変でも、日本は幸せな国ですね。
子供の頃、海の近くに住んでいた highdy にとっては、とても懐かしい場所です。
潮が引くと陸続きになる無人島「鍋 島」(なべしま)があり、今は山口宇部空港の滑走路になっている場所があります。
晴れた日に散歩に出かけた親友が、離着陸の航空機に向かって手を振るとパイロットも振り返えしてくれると乗客も振っていることがあります。政治は変でも、日本は幸せな国ですね。
小高い丘の上にある highdy の別宅からも、離着陸や市内などが見え楽しいです!
highdy の別宅から車で5分のところに同級生の親友宅があり、彼はそこで自宅の隣に設計事務所を構えていますが、私達にとって鍋島近辺は夏の遊び場だったのです。泳いだり、潮干狩りをしたり、でも満ち潮の時は潮流が速くなり危険な場所でもありました。
highdy の別宅から車で5分のところに同級生の親友宅があり、彼はそこで自宅の隣に設計事務所を構えていますが、私達にとって鍋島近辺は夏の遊び場だったのです。泳いだり、潮干狩りをしたり、でも満ち潮の時は潮流が速くなり危険な場所でもありました。
古い絵葉書に残って・・・
古地図にも・・・
山口宇部高速道(現在は無料)からそのまま空港に接続する道路を横断、海岸まで歩い3,4分の至近距離で、途中小さな古墳の前を通って浜辺に出ます。
現在、空港傍の公園内には「鍋島」1/2程度の人工島が記念に造られています。
思いがけない所に国境
山口県の瀬戸内海側には多くの古墳が残存しますが、その一つが海辺にあります。傍に「周防」と「長門」の国堺がありました。
東側に「周防」/西側に長門
子供の頃に親父から鍋島が国境と教えて貰っていましたが、陸にできたことは思いがけないことで、この歳にして初めて知りました。鍋島が空港敷地内になって消滅するので、地元の自治会で設置したようです。
この国境と滑走路上の昔の「鍋島」を直線で結ぶ滑走路の護岸壁には、わざわざそれを示す文字板が取り付けてありました。
釣果は聞かないで・・・
午後14時過ぎから3時間余り炎天下の中、心地よい潮風に吹かれながら、釣り竿を持つのもいいものです。冷たい飲み物で水分補給をしつつ、青空と遠くの夏雲や台風一過の白い雲を眺めつつ、都会ではコロナの感染拡大で騒いでいるのに・・・。
でも、ゼロとは言いませんが、釣果は聞かないでください。
帰りに親友宅で、ブランディを使った果実酒を分けて貰いましたが、こちらの成果の方が遥かに大きく、楽しい半日が過ごせました !
本日もご来訪いただきありがとうございました。
したがって、境界と縄張りを主張する
地域の隣組から始まって国家まで・・その昔
縄文時代以前は・・国境も無く境界という言葉
すらなかった時代が・・羨ましいですね
信州にも此れより松本藩此れより高遠藩
此れより高島藩・・みんな街道筋にあります
この境界に守られるもの、泣かされたもの
色んな意味で人それぞれの境界ですね
涙が出る程懐かしいです。
前にも書きましたが、東京に営業所を作り本社を作るまで、山口県が本社でしたので毎週宇部と羽田を往復していました。恐らく20年間位は続けたと思います。金曜日の夜に山口に戻り月曜日の朝東京へと戻る生活をしていました。highdyさんと知り合い「夢のような」写真をいつも見せて頂き感激しています。なお軽井沢も「感染警戒レベル5」と最大になりました。しかし人流は減らないどころか増えているようです。当分撮影で出歩くことは出来ませんのでブログ内容は多少変更せざるを得ません。よろしくお願いします。
仰るように、現代社会は人が卑しくなってなってきたためか、至る所に「境」だらけになってきました。
コロナで中断していますが、旅行の一つのテーマで、縄文、弥生、古墳、飛鳥、奈良、平安・・・の各時代の全国を回って来ました。時代が進むにつれ、集落ができ、他のグループとの争いが始まり、武器の発達とともに、地域や個人の住まいにまでも「境」ができてきました。
やがて、他の国や人間関係、男女の性別にまで及び、いまや「ジェンダー問題」にその境が論じられています。
何処で皆が納得線引きをするか、いろんなしがらみで難しい問題が山積みになりましたね。
Kenさんにとっても、今となっては「涙が出る程懐かしい」郷里なのでしょうね。我々の年代になると、数々の思い出がありますからね。
私もつい最近までどこに「鍋島」が存在していたのか、遠い記憶をたどっても見当がつきませんでした。ネットで調べてやっと、当時の場所が判明しました。
恐らく Ken さんも、私と同じで現在のようにジェット化する前の、国産 YS-11機から乗り始められたと思います。ジェット機になったときに、私は既に東京に転職していました。
数えきれないほど往復しましたが、自宅が鴻巣市(埼玉)なので、羽田まで公共交通機関で2時間前後も離れていて大変でした。
いつもコメントをありがとうございます。
そうですか、ご学友のお住まいの場所とは・・・。何か月か前に、宇部市内の歌人のような方とメッセージの交換を1,2回したことがあります。
ひょっとして、私をご存じの方かも? でも、私は詩歌を詠まないので、それっきりで交流もなく、同じブログに参加されているのか、否かも存じません。
世の中は狭いので、何処でご縁があるか分かりませんね。何かの機会に尋ねてみてください。
自分に疾(やま)しいことが無ければ、あるいは業務上その他で不都合なことが無ければ、堂々と活動できます。
私は、Facebook、Twitter、Instagram、ホームページ、Blogなど、何処でも同じロゴマークにし、それぞれのチャーミングネーム(ニックネーム)は、Amazon、Yahoo、楽天・・・無数にあるサイト上であっても、全て同じ「highdy」を使っています。
そのためか、思いがけない所で、たまに「同じ方だったのですね」なんてこともあります。外国には同じ「highdy」の方が1人だけデザイナーの方がいますが、
最近は国内に、似たものを使う方がおられるようです。ちなみに「highdy6」と「highdy7」は私の IDです。
何処でご縁があるか分かりません。とんでもない所で、とんでもない方に繋がるかも知れませんね。