highdy の気まぐれブログ

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サウイフモノニ ワタシハナリタイ

2020年08月11日 | 日記


Youtube にハマり・・・
 いつもなら、就寝前に翌朝6時にこのブログの予約投稿をしています。一昨日うまくいかなかった研究(?の内容Youtube にアップロードしようとしたのですが、珍しくすんなりいきません。これまでもパソコンや旅行関連など数10回以上アップ(一部限定公開)しているので、ご存知の方もおられると思いますが、「時間をおいてお試しください」ばかりにがっかり。
仕方なく時間待ちに Youtube の観賞をしていたら、ハマってしまいました !
私の好きなアコーディオン奏者『Tomo Yama』氏の演奏です。
 アコーディオニストと言っても、有名な『COBA』(本名:‎小林 靖宏)や横森良造(昔のNHKと言えば、この人を思い出す方も多いでしょうのように日本で数10名に入る完全なプロではなく、趣味が高じて晩年プロになってしまった方です。
ご健在(一昨年確認)であれば今年あたり米寿ですが、息子(歌手:岬英二)さんとご活躍されています。記憶では、人生の半分くらいは川崎市の事務職員だったと思います。
彼は年齢が私より大先輩なので、レパートリーは演歌を中心に懐かしい曲が多いです。老人ホームの慰問などの奉仕活動も精力的にこなしておられます。
ついつい聞きほれている間に、Youtube の投稿を忘れ、午前0時を回ってしまいました。


宮澤賢治を思い出し・・・
 そこで思い出したのが小学校で習った『雨ニモマケズ』です。
仏教(法華経)信仰と農民生活をしながら童話作家であるとともに詩人でもあった、宮澤賢治の『雨ニモマケズ』の最後の一節「サウイフモノニ ワタシハナリタイ」。
彼の父親や賢治の話を小説にした方、彼の作品の一部を作品名にした方はお二人とも芥川賞受賞作家です。「サウイフモノ」にはモデルも存在した、どうして長きに亘り教科書に登場したかなど、宮澤賢治にまつわるエピソードは限りなくあります。



 脱線しましたがhighdy の話は、脱線が多過ぎる 、Tomo Yama 氏のように、「いくつになっても己の知識や技術をもって社会貢献できる人間」でありたいと、私は常日頃思っているし、そのように研究心を忘れず努力しているつもり(!?ですが・・・。

健康であるためには、頭も体も使わなけれなければ、普通に暮らしていてはどちらも老化・退化の一歩を辿るだけです




本日もご来訪いただきありがとうございました。
皆様の ポチッ! に心から感謝します。

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4 コメント

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アメニモマケズの全文に同感です。 (fumiel-shima)
2020-08-11 10:40:25
おっしゃるとおりだと思います。
私も心身共に健全で・・・

丈夫ナカラダヲモチ
慾ハナク
決シテ瞋ラズ
イツモシヅカニワラッテヰル

サウイフモノニ
ワタシハナリタイ・・と思います。

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ともに頑張りましょう! (highdy)
2020-08-11 12:36:17
fumiel-shima さん

 世の中には、病気や身体機能に不具合があっても、社会から求められる存在の方々数え切れないほどいらっしゃいます。
身内や社会から厄介者とゴミ扱いされないように、健康に気をつけながら社会貢献ができるように、ともに頑張りましょう。
他人を助けたくても、先ずは自分の健康や経済面も含めて足元が安全強固でなければ、人は救えませんからね。
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こんにちは! (しんそう館林木戸)
2020-08-11 16:51:08
懐かしい演歌、ありがとうございます。
「TomoYama&岬英二」さんのところも拝見しました。時折聞かせていただこうと思います。
「いくつになっても己の知識や技術をもって社会貢献できる人間」でありたいと願いhighdyさんは実践されていますね。
頭が下がります。私もそうありたいと思っております。
いつもありがとうございます。
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いつもご訪問ありがとうございます。 (highdy)
2020-08-11 17:18:25
しんそう館林木戸 さん

 いつもご訪問ありがとうございます。そしてコメントも。リンクまでご覧いただき、感謝します。
私たち夫婦は、若い頃からご近所のお年寄りに対し、買い物のお手伝いをしたり、親切にしていました。精神的に障がいがあって、我が家の大切な庭の花を抜き去った人に対しても同様です。
それは、両親が生きている頃、何処かでどなたかのお世話になっているかも知れいという思いがあったからです。
年齢を重ねてくると、何かと他人様のお世話になることも多いと思います。
自分が元気なうちに、その分を先に社会のために奉仕しておこうというという単純な発想に過ぎません。
でも、他人様に喜んでいただければ、それは自分の喜びでもあります。
愛とは、見返りを気にせず、”与えよ、さらば与えられん”だと認識しています。
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