宇宙のバランス
宇宙のすべての恒星と惑星(太陽系では、恒星の太陽を中心とした水星~海王星までの惑星、地球もその一員)の間の力関係は、ニュートンの万有引力の法則により、微妙なバランス関係を持って成り立っています。でも、「万有引力がある」ということを頭で解っていても目には見えません。
宇宙のすべての恒星と惑星(太陽系では、恒星の太陽を中心とした水星~海王星までの惑星、地球もその一員)の間の力関係は、ニュートンの万有引力の法則により、微妙なバランス関係を持って成り立っています。でも、「万有引力がある」ということを頭で解っていても目には見えません。
引力は地球の表面(赤丸)から中心へ向かって働いています。
この図では太陽は遠いので小さく表示していますが、
その直径は約140万km、地球は12,7万km余りなので地球の約110倍もあります。
引力は2つの物質の間に働くグローバルな力で、2つの物質の質量に比例し、2つの物質の間の距離の二乗に反比例します。(逆二乗則)
重力は地球の質量による引力と地球の自転による遠心力の合力として表わされ、ローカルな力です。
重力は地球の質量による引力と地球の自転による遠心力の合力として表わされ、ローカルな力です。
高校の物理の授業では、重力は地球上どこでも同じと習いますが、厳密には、地球の自転による遠心力は自転軸からの距離によって変わるので、緯度によってその値が違います。同じ重さの物を同じ標高で測っても、赤道面と南極や北極では0.5%も違います。重力ってなに?(← こちらに詳しくあります。)
宇宙ロケットは重力に逆らった大変な力で打ち上げていますが、国際宇宙ステーション(ISS)は、地球から約400km付近にあります。地球の引力に負けないように秒速8キロメートルもの速さで地球を回わり、自ら遠心力を起こしてバランスしているため地球に落ちないのです。人工衛星が地球と同じ速度で回れば、地球の引力に負けて落ちることなく地上から静止して見えます。
つまり、引力と重力は異なることが理解できると思います。
目には見えなくても、この力関係はとてつもなく重要なもので、宇宙ではこれらのバランスが崩れると大変なことが起ってしまいます。
人の魅力
宇宙を考えるのは壮大過ぎるので、身近な人間で考えてみましょう。
人と人の間に働くのは魅力(引力に相当)という不思議な力です。
人の魅力
宇宙を考えるのは壮大過ぎるので、身近な人間で考えてみましょう。
人と人の間に働くのは魅力(引力に相当)という不思議な力です。
ただ、この魅力の構成をなす要素には、何百もの力(脳力・視力・聴力・腕力・体力・学力・財力・権力・・・)が限りなくあります。どの要素が欠けても本人にはとっては不自由なほど、各々の力は重要な役割を果たしています。
しかし、人の魅力というものは、他の力(気力・努力・耐力・念力・知力・筆力・・・)で補った総力として魅力を引き出しているものです。
一方で魅力のない人は、決して人に魅かれることはなく、寧ろ反発力を与えられます。
しかし、人の魅力というものは、他の力(気力・努力・耐力・念力・知力・筆力・・・)で補った総力として魅力を引き出しているものです。
一方で魅力のない人は、決して人に魅かれることはなく、寧ろ反発力を与えられます。
宇宙と同じで近くに居ても遠くに居ても、家族や友人は見えない「愛」(愛情)とか「絆」(友情)などという言葉に置き換えられる引力が働いています。
「情」とは、人間味のある心・他人をいたわる心、すなわち「思いやり」のことを意味します。思いやりの心は、先ず自分の心身を大切することから始まる自分を思いやる気持ちが無いと、他人のために影響力を及ぼす(働く)ことはできません。自分が溺れていては他人は助けられません。
利己欲(自己中心)
以前にも書きましたが、利己欲(自己欲)は他人のことまで考えられない欲の小さい人です。だから、他人の助言も受け入れない、自分さえ良ければ主義の自己中心(元A総理やその周りに居て甘い汁を吸いたがるゴキブリのような議員や取り巻き)で他人(上記の場合なら他の官僚や国民)を犠牲にしても気にしない、すなわち「情」の足りない薄情者なのです。客観的に物事の判断ができないのです。
「情」とは、人間味のある心・他人をいたわる心、すなわち「思いやり」のことを意味します。思いやりの心は、先ず自分の心身を大切することから始まる自分を思いやる気持ちが無いと、他人のために影響力を及ぼす(働く)ことはできません。自分が溺れていては他人は助けられません。
利己欲(自己中心)
以前にも書きましたが、利己欲(自己欲)は他人のことまで考えられない欲の小さい人です。だから、他人の助言も受け入れない、自分さえ良ければ主義の自己中心(元A総理やその周りに居て甘い汁を吸いたがるゴキブリのような議員や取り巻き)で他人(上記の場合なら他の官僚や国民)を犠牲にしても気にしない、すなわち「情」の足りない薄情者なのです。客観的に物事の判断ができないのです。
ところが、世間には highdy も含めてこのような人が多いものです。
そのように自分のしていることはすべて正しいつもり(思い込み)の自己中心主義になってしまうと、周り(世間)が見えなくなってしまうものです。そのため、社会全体のバランスが崩れ、周りはバランスを整えるための活動(力の行使)を始め、時として争いも起こります。
原因は、知力や努力や経験不足によるもので、経験(知識や技術)は勝手に身につくものではなく、自分の過去の努力の成果によるものです。
世の中にはいろいろな人がいます。多才な知識を持つほど、ウイルス感染と同じでレセプター(受け皿)が多くなります。凹凸や磁石のN極S極と同じで、理不尽な攻撃をされてもその矛先を掴んでしまうと、相手は動きようがありません。掴む力がなく矛先と矛先を向けたままでは争いになります、たとえ馬鹿にされてもその場は寛大に相手を受け入れてしまえば、その先相手は動けません。すなわち、相手にしないことです。相手が間違っていても、その評価は第三者がしてくれます。
「私は世間知らずで・・・、勉強不足で・・・」と安易に逃げる人もいますが、それは自分の勉強・努力が足りなかっただけのこと、何も頼まれないのに教えてくれるほど世間は甘いもの(親切)ではありません。素直に自分の非を認めて、改心・努力・勉強をすればいいだけのことです。
宇宙と同様に人生にも世間とのバランスが必要で、それぞれの個性を持ちながらも自分の経験で磨いた支柱で天秤を支えないと、古い錆びた支柱では偏った思考になり、人徳としてのバランスはとれず美しさ失うものです。
人生は他人のためと心得る
夢のない、人生の目的の無い・判らない人は、毎日が楽しくなく、つまらいものだと思いませんか?
自分の産んだ子供を育てるだけなら、動・植物の単なる子孫の繁栄のための本能にしか過ぎず、自然界の諸動物をはじめ、野良の犬・猫だって餌のとり方を自分でやって見せて教えつつ育てます。
人間のような高等動物とは次元が異なります。人間の場合は可能な限り少しでもいい子に偉い人になり、幸せを願って育てるのが普通でしょう。
宇宙と同様に人生にも世間とのバランスが必要で、それぞれの個性を持ちながらも自分の経験で磨いた支柱で天秤を支えないと、古い錆びた支柱では偏った思考になり、人徳としてのバランスはとれず美しさ失うものです。
人生は他人のためと心得る
夢のない、人生の目的の無い・判らない人は、毎日が楽しくなく、つまらいものだと思いませんか?
自分の産んだ子供を育てるだけなら、動・植物の単なる子孫の繁栄のための本能にしか過ぎず、自然界の諸動物をはじめ、野良の犬・猫だって餌のとり方を自分でやって見せて教えつつ育てます。
人間のような高等動物とは次元が異なります。人間の場合は可能な限り少しでもいい子に偉い人になり、幸せを願って育てるのが普通でしょう。
人生の目的は「自己の最高顕現」で、自分の命は他人のためにあると心得ることです。どれだけ多く他人のために尽くせるか、喜びを与えられるかです。
前掲のような政治力を利用した利己欲は全くもって人生の目的が解っていない人の所業と言わざるを得ません。
highdy も他人のことは言えても、自分のことは意外に疎かになっているもので時折反省しています。他人のフリを見て我がフリを直すことで、自分の評価は、他人でないとできないことがしばしばあるものです。
highdy も他人のことは言えても、自分のことは意外に疎かになっているもので時折反省しています。他人のフリを見て我がフリを直すことで、自分の評価は、他人でないとできないことがしばしばあるものです。
いま一度、自分は何のために生きているのか、これからどうあるべきか、考え直してみるのも老後を楽しく充実したものとするために大切なことではないかと思います。
他人を変えようと思ったら、先ずは自分を変えることです。
天命は変えられませんが、運命は自ら変えることができます。
天命は変えられませんが、運命は自ら変えることができます。
本日もご来訪いただきありがとうございました。
スマホでどうぞ
まったく・・おっしゃる通り、自分は自分自身で生きている
と思いがちですが 世の中の皆さんに生かしてもらっている
水も電気も衣服も食料の多くもこの建物もみんなの協力で
維持されているんですから・・
素晴らしいご指導です。ありがとうございました。
自分に親も子も兄弟姉妹がもない人でも、誰でも独りでは生きていけませんよね。誰の世話にもならずに、無人島で暮らすなら別にしても、一般社会では多くの方々のお世話になって生活しています。
仰るように、水や電気、衣服や食料も多くに他人の見えない力で支えられています。先ずはそのことへの感謝の気持ちを忘れないことです。
生きている間には、自分と意見が合わない人もおられます。何でも自分の意見に相手を合わさせよう(他人の意見を変えさせよう)とすると、争いに発展することがあります。
それは自分中心に物事を考えているからです。凸と凸のままではおさまりません。ある部分は凹、ある分は凸のように歩み寄りも必要です。そのためには先ずは自分が変わらないと、相手も変って来ません。
すべて自分が正しいと思うと、ロシアのように世界を敵に回すことになってしまいます。
私のために書いてくださいましたか?
ありがとうございました。
私の場合、昔から自分のことは日記のような形で書くことはありますが、特定個人に対する記事は一切書かないことに徹しています。
私の発表する処世訓は、自分の人生で学んだ教訓、経験で得た人の生き方について書いています。
ここに掲げるものは、40年位前にある会社で講演した「社会人としての50訓」に、その後の経験・実績を加味・修飾したものを発表しています。