銃砲刀剣類登録証を受領
昨日は山口県庁にて「銃砲刀剣類登録証」の再発行をしてもらいました。先の文化財審査会で過去に登録があることが分かったので、労せず再発行が認められました。
午後は早速宇部警察署に伺い、預かっていただいていた刀の返却を受けました。刀身だけで約 70㎝ ありますので、結構重いです。
大した名刀でもない(ご覧のように刀身にも若干曇りが見える)のに、わざわざ白手袋をして保管庫から出してくださいました。
一応文化財であることを意識しているのか、事件があったときに備えて指紋を残さないため(?)かも知れませんが、何らかの規則があるのでしょうね。
一応文化財であることを意識しているのか、事件があったときに備えて指紋を残さないため(?)かも知れませんが、何らかの規則があるのでしょうね。
現在の県庁は15階の立派なビルになっており、県警のビルと連結されていますが、昔の県庁は2階建ての木造で中庭があり、中央玄関から左右どちらにも周回できる構造になっていました。
現在は県政資料館になっています。滅多にない機会なので、さっと中を一巡してきました。官庁申請で何10回宇部から通ったことでしょうか。
狭い階段が懐かしいです ! 約50年前のお話です。
旧県庁前には、昔の藩庁門があり、観光スポットの一つです。
県庁周辺には昔の山口城の堀が残されており、白鳥や錦鯉がいました。
これから先は台風の影響で雨模様になりそうです。それを予想して昨日は収穫できそうな無花果を採り、先ほどジャムを作りました。
このブログの写真を編集し始めたら、キーボードの「N」とスペースキーが入力不能になりました。急遽、先日裏技の裏技で Windows11 を入れ、230円で 最新の Microsoft 365 を入れた古いPCに各種アプリをインストールしていたら、サポート依頼が入り一時中断、メール覗くと返信も必要なようで、3件返信・・・、昨日も1日忙しく夜が更けていきました。
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本日もご来訪いただきありがとうございました。
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洋風ですが、元々、県庁として建てられた物でしょうか。
向いの萩藩庁門も風格がありますね。
このあたりは空襲をまぬがれたのでしょうか。
山口市、一度行かなくては・・・
廊下を歩くとミシミシ音がして樹脂状のものが塗られていますが、現在の病院などで使われているものではなく、軟質系(下地が木製なので)であったようです。
中には、維新の頃の街道、県内の土産物、県内出身文学者・詩人(宇野千代、金子みすず、中原中也、星野哲郎、国木田独歩など30人位?)、世界との交流関係など、様々な紹介があり、ゆっくり見ると数時間は~半日かかりそうです。
県内には観光地や温泉も多く車なら4泊5日くらいでほぼ回れます。
「山口県庁前に残る藩庁門」の写真を見ていましたら防府市多々良にある毛利氏庭園を思い出しました。瓜二つというか全く同じようです。highdyさんは防府市の毛利庭園ご存じですか?実はその付近に私の自宅がありましたし今も本籍はそのままです。そこから山口県立防府高等学校に通いました。藩庁門にめちゃくちゃ懐かしさを覚えました。
参照URL
https://www.c-able.ne.jp/~mouri-m/
毛利氏庭園、防府宮も家内を連れて行きました。やはり故郷の自慢ですので・・・。5月に行ったので園内もとてもきれいでした。
萩市にあった毛利の殿様が拠点を山口に移したのは正解だったような気がします。
三田尻と萩を結ぶ「萩往還道」は、当時約10個あった県内街道の中でも一番有名ですよね。三田尻の拠点から萩まで、当時は車もなかった時代ですから大変だったと思います。
いまはその一部を利用して良い道ができているので、昔は小郡や美祢を回って2時間余りかかっていたのが、いまは私の実家から45分で行けます。
時間を見つけて、是非山口へいらしてください。
「おいでませ」(いらっしゃい)山口へ。
東京に出て長いので方言は殆ど忘れてしまい、全く喋ることはできません。でも、100%近く聞き取ることはできます。
旅行会社が全国キャンペーンで「おいでませ・山口へ」をやっていましたので、これだけはしっかり覚えています。山口は見どころ満載です。
やはり昔の建造物は良いですね。
元々の物ではなく、作り直されたんのとは言え、やはり重厚な趣きがありますね。
私たち時代小説が好きなものとして「周防」「長門」などは歴史上よく知られた地名ですし、毛利家を中心に考えれば「萩藩」でしょうか。
萩藩、山口藩、毛利藩などと言う呼び方もあるようですが幕末の討幕時代を考えるとやはり「長州藩」という言葉が身近に感じますね。
そうですね、一般的には毛利藩=長州藩(萩藩+山口藩、つまり、長門の国+周防の国)ということですが、長州藩といった方が通りがいいようです。
毛利藩が関ヶ原の戦いで、もし勝っていたら、首都は大阪だったかも知れませんよ。
歴史に「if はない」とよく言われますが、もしそうだったら、安倍元総理はもっと悪事を働いていたかも。そうなれば、いまの日本は衰退途上国どころか「落ちこぼれ後進国」だったかも知れません。