ユア・ハイハート、自らの神聖さと共に。

心や魂のこと。生きる勇気と希望。
世界はいつも儚く光に溢れてる。誰もが強くて優しい。No worries, 大丈夫。

自分とは集合体、物事は多面体。

2012-11-28 17:07:05 | 癒し
どんな分野に限らず、カウンセリングやコンサルタントなど相談から得られるものは、自分の今までの理解、意識の範疇外であり、それらを、これからの自分だったり、これからの活動に活かしていくものだと私は思います。

そして、私は心理の分野なのですが、よく思うことは、

起きている問題を、自分が想定するプロセスを経て、現在の自分の望む結果に導きたい・・・とする方が多いようです。

この通りに事が運ぶのであれば、他者に助けを乞う必要もなく、とっくの昔にご自分で何とかできているケースが殆どだと思います。しかし、これを実現させるのが心理カウンセリングと思われている方が実に多いのです(そうは思ってないつもりでも、実はそうだというケース)。

自分の心に向き合うことによって得られるものは、自分の思い通りに事を運ぶテクニックではなく、自分の都合以外だったり、自分が想定する以外の受容です。そして、それら避けてきたものとは、「自分が」避けたいと意図し、そう責任を持ってきたものであって、それら自体が問題を持っている訳ではありません。

また、現在の自分が見る一面だけではなく、それらは、どんなものも多面的です。別方向から見る面、隠れていた意図も数限りなく有ります。このように、決め付けたり諦めることは、非常に早計であり、勿体ないことで、そうした自分が避けてきたもの、見てこなかったものが、いかに自分の人生における大切なピースだったか理解できるようになります。

隠れていた、見えてなかった・・・とは、ストッパー(暴走の制止)の役割を果たしていてくれた可能性も十分にあるのです。

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集合体であること、多面体であること。
どんなものも、単独では存在できず美しくないこと。美しさとは調和美であること。

この理解が、受容であり、成長であり、浄化であり、自尊であり、共存であり・・・結果、物事の展開が早くなり、自分の意識を明晰にしていきます。安心が増え、反対に恐れのエネルギーが少なくなりますから、そこで消耗していた力を在るべき姿で使えるようになるのです。又、過去から未来を貫く永遠の存在たる自分として、今、何をすべきかを適切に判断し、行動できるようになります。自分が、ずっと美しく機能していくということです。

自分とは、過去、今、未来を貫く存在であり、他者との共存者であり、全体の一部としての意識=単独では存在していないという意識が、この状態を創生するのではないかと私は考えます。

そして、その状態が純化されればされるほど、情熱的で、内なる平和や自信に裏付けされた日々になるように思います。勿論、人との出逢い、起きる事象も、更に自分の磨き粉になるようなことが続いていくことでしょう。


目に見える形の、高機能且つ即効性を競う環境で生活してきた私たちは、

「思い掛けなさ」
「見えないもの=見てこなかったもの」
「その後の展開が、今この時点で分らないもの」
「自分で制御できる以外のもの」

にはアレルギーを起こすかもしれません。しかし、これも習慣と観念の一つです。自分個人が、私たちの集合意識が、創造したものに過ぎません。

「身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ」

手放し、身軽になってこそ、流れが変わります。
単独では存在していないが故に、捨てた分、自分以外の存在の力が実効するからです。ただそこに、何かを得る為という意図が入っての行為である場合は、「捨てた」とは言えません。


P.S,
今日11月28日は、2012年の333日目、そして満月です。
皆さんの沢山の願いが、どうぞ叶っていきますように。


今日も最後まで読んで下さって、本当にありがとうございました^^

今日も、皆さん一人ひとりの楽しく健やかな一日でありますように。


正視する力、受け容れる力

2012-10-22 19:20:38 | 癒し
創り出す力、切り開く力を人は求めがちかもしれない。
しかし、受け容れる力がないと、均衡されず、活きない。

このバランスが無いと、自分の現実を正しく見ることが出来ず、自分が立っている場所に上手く作用もされない。

自分らしく生きるとは、自分が進むと決めた聖なる計画を受け容れることが大きいと思う。どんなにがんばっても、クタクタになるまでくたびれ果てても、受け容れるべきことから目を逸らし、そこから逃げる免罪符にしている可能性だってあるのだ。


20世紀最高のヒーラーと今も尚その教えが世界を癒しているダスカロスは言う。

「目覚めるとは、自分を知ることだ」

社会や自分が今見ている世界は、自分自身の映し絵。その映し絵は、「そして、お前はそれを見てどう思うのだ」と私たちの前に立ちはだかり、導く。正しい、間違っているではない。どう思うか。



今日も、皆さん一人ひとりの全てが慈しまれ輝く一日でありますように。

闇と夜明け

2012-09-05 00:56:16 | 癒し
こちらでは殆ど、更新ができなくて申し訳御座いません。。
早いもので2012年も9月に入り、まだ残暑厳しい毎日ですが、皆様お元気でお過ごしでしょうか。引き続き熱中症にはどうぞお気を付け下さい。

私も先月、熱中症で倒れた方を搬送されるのを見ました。
全身の震え、うわ言・・・大変な症状です。一時の猛暑は過ぎたとは言え、こまめな水分補給、睡眠や食事など、決してご自身の無理のない生活を心がけて下さい。私も気を付けます^^


さて、今日はここ最近のことで、個人的に感じたことを書きます。

・・・私は、何事も、まず暗い部分にフォーカスする考え方の癖があって。

よって、楽しいこと、嬉しいことを余り考えないんです(苦笑)。今まで人並みに辛い思い、苦しい出来事もありましたが。私はそれについて、非常に大きな被害者意識を持っていたことに気が付いた日がありました。そして、自分を憐憫し、相手を責めるという図式が、私の深層心理に強靭に根を張っていたことも理解しました。

しかし、これらは私の魂の成長のために、私自身が選んだことであって、私がダメだった訳でも、私がそう思うように至った出来事の相手こそ悪かった・・・という訳ではないのですよね。

私に出来ることは、本当に小さいことでしかありませんが、
自分を許す、他者を許す・・・憎しみ、争いのない世界へ・・・まず自分から始めたいと思いました。


私は、自分自身を常に卑下し、常に罪悪感の中に置き、そして、そうするに至った出来事に関係する人々を憎んで、恨み続けてきたようです。どうやら、憎しみや、恨みが私の生きる原動力やガソリンだったようです。ですから、白状してしまうと、愛が何たるか、そして愛し方も知りません・・今まで分っていたようで何も知らなかったのだと思い知りました。

実はこれらの意識のもっと奥底には、出来事の多くは過去世ですが、暴力、略奪、陵辱、殺人・・・などの忌まわしい記憶があります。私は、自分がされた場合もあれば、自分がする側だったときもあります。ある過去世では、自分の身代わりに、大切な人の命が奪われたときもありました。

そのときの恐怖、狂気、人が人であることを捨てた獣の空気。

それらが一斉に蘇り、私自身も気が狂いそうになり、絶望の淵に引き摺りこまれそうなときがありました。永遠に希望がないような・・魂の旅路は永遠です・・しかし、永久に希望がない、喜びがない。これから未来永劫、私に許されるのは孤独と闇のみ。

これからどれだけ生まれ変わり死に変わろうが、私は永遠に孤独で、未来永劫、私には希望がない。そう何者かに宣言されてしまったときがありました。

そのとき、私がいた場所は、紛れもなく「絶望」という真っ暗闇だったように思います。
私の魂の旅路には一片の「希望」も残っていないと底の底に突き落とされたような時間でした。1ヶ月ほど前のことです。何故こんな流れになったのか。。。必要とする経験だったのでしょうが、正直、とても、とても恐ろしかったです。


そしてその日、とても長い時間眠り、目覚めて真っ先に思ったことは、

「もう、これ以上、ここにはいられない」
「明るい場所。安心できる温かい場所。喜び、愉しめる場所へ行きたい」

それは、死に物狂いで手を伸ばすような感覚だったと記憶しています。

まるで生れ落ちたばかりの赤子が、ただただ本能のままに泣き、乳を求める感覚でした。

明るく、安心でき、喜べること、これを求めるのは「人間の本能」なのだと確信できた瞬間です。私がこれらを自分自身に求めることを許せた瞬間でもあったように思います。

私はずっと憎しみ、恨みが原動力だったので、ただ生きてることの素晴らしさや、私がどのような状態であっても、常に慈悲の愛が降り注がれ、生かされ、愛されているのだということに自ら心を閉じていたのだと思います。だから今までは、これを自分に許すことが出来なかったのでしょう。これからは素直に求めていければ・・・と思っています。急には出来ないかもしれないけれど(*^^*)






最後までお読み下さって有り難うございました。

今日も皆さんの全てが輝き、慈しまれる一日でありますように。



Flowers ~真夜中に咲いた花

2012-05-27 02:26:35 | 癒し
ただいま深夜2時、そしてお花の写真集。
タイトルに深い意味はありません(^^;)

また写真が集まりましたので、よろしかったらご覧頂けますと嬉しいです。
画面右下のXマークをクリック頂けますと画面が大きくなります。

Flowers



お花だけでなく、写真の被写体との出会いは・・・それこそ一期一会です。
奇跡の出会いを、本当にありがとう。

何を現実とするか ~What is your REAL ?

2012-04-22 01:45:40 | 癒し
「現実」「非現実」これも自分が各個に想定するイメージがあると思います。
そして私たちの多くは、この2つに、境界線を引いているのではないでしょうか。太いブラックの線で確実に、またはグレーラインの曖昧な線でも。然しながらこれも習慣であり、観念であるのだと思います。

境界線を引くのが私たちなら、私たちは境界線に橋を架けることも出来るのではないでしょうか。


非現実を非現実として存在させているのも私たちなら、
非現実を現実に変えるのも私たちなのだと思います。


非現実だと思い込んでいた世界、これは非現実だと微塵も疑わなかった世界を、
本当は自分の現実として生きたい自分が、どこかにいるのかもしれません。


それを知るためには、
まず自分自身に起こっていることを落ち着いて見てみることだと思います。

「目に見えない世界が大切」と良く見聞きします。

しかし、自分が見えない世界には応えがあるわけではないのです。
自分が実際に見ているものの中に「込められた見えない世界」に応えがあるのです。

これこそ、自分だけが知る世界であり、これが「答えは自分の中にある」に繋がっていくように私は思います。

そして自分の中にある答えとは、過去の回答例の中から自分にフィットする答えを探すことではなく、前例がなくとも、自分のためだけにカスタマイズした答えなのではないでしょうか。

What is your REAL ?
Are you living as yourself being in your REAL ?



今日も最後まで読んで下さって、本当にありがとうございました。

今日も、喜びと感謝、そして熱情を持って過ごせる一日でありますように。