ユア・ハイハート、自らの神聖さと共に。

心や魂のこと。生きる勇気と希望。
世界はいつも儚く光に溢れてる。誰もが強くて優しい。No worries, 大丈夫。

虹の翼

2012-10-03 17:23:25 | 
天の川
ノーザンクロス、白鳥座

その翼は、両腕広げ、対岸を結ぶ橋となる


虹の翼
紛うことなき、貴方からの贈り物

受け取ったよ



Over the Milky Way, 天の川の向こう
Beyond myself, 天の川を越えたなら、そこに「私」が待ってる


貴方を愛させてくれて、本当にありがとう


降りてくるもの~天と地

2012-04-16 02:14:16 | 
雨、雪、龍、花びら、光。

降りてくるものは、皆、美しい。
信じられないくらい厳しくて、
有り得ないくらい、それは、優しい。

降りてくるもの、全部、私たち。
地に生きるということは、天に生きるのと同じ。

天にいるかのように地に生きろ。
地にいるかのように天に生きろ。


Rain, Sow, Dragon,petal of flowers and light.

Everything falling are graceful.
They are tough much more than we've believed.
They are gentle much more than we've known.

They are just us. Nothing is different between us.
We've never separated from them before.

Live on the Earth as well as living in the Universe.
Live in the Universe as well as living on the Earth.


一昨日、降龍の御姿を雲の形で見せて頂きました。天から地に向かい、はっきりと降りて来られる御姿でした。
その時、ちょうど携帯を持っていなかったので、カメラには収められなかったのですが。

以前にも書いたと思いますが、
降龍、興隆、交流、広隆寺、弥勒菩薩です。

今、『ダイアローグ』という本を読んでいますが、対話というものは「より良い形の会話や交流」の粋を遥かに超え、創造や問題解決まで力を発揮するようです。もちろんそこには個人の肯定、受容という「寛容さ」が前提に求められます。何より、様々な問題を問題のまま目の前に広げて眺める力が大切なようです。一見何でもないように思える「目の前に広げて眺める」・・・実は、相当体力が要るように思わないでもありません(汗)。


私たちは「昇龍」だけを求めていないでしょうか。
この詩は、そう思いを巡らせているとき、ふと浮かんだものです。
また最後の2行は、私の作ではなく、昔から伝わる錬金術の有名な格言です。



今日も最後まで読んで下さって、本当にありがとうございました。

今日も皆さん一人ひとりの掛け替えのない一日でありますように。


Justice 月の女神

2011-09-09 00:30:37 | 
今から2、3週間ほど前からこの詩が気になっていて(恥ずかしながら、私の作です)再掲させて頂きます。
リンクしてある、私の旧ブログからです。


【日輪と青い月】

あなたはソロモン、太陽の王。
私はジャスティス、月の女神。

あなたの纏った日輪の衣が、西の大地に沈むころ、
ようやく、私はあなたに会える。

私は、あなたの闇があって、初めて生まれる青い光。

あなたが眩しさに包まれているとき、
私は深い土の中で、あなたが見つけてくれるのを待っている。

あなたが神殿の中、深い眠りに落ちたころ、
私はあなたの傍らに座り、
髪をなで、頬に触れ、あなたのために祈る。

どうか、あなたが
光の渦に巻き込まれてしまわないように。

そして、いつの日か、
東から新しい陽が上り、私の姿が消えるまでに

あなたが目覚めて、私に微笑みかけてくれることを。


何故、月の女神をJustice・ジャスティス(正義・公正)としたのか今でも謎です(笑)
ただ、この最初2行は、ずいぶん前から頭にあったフレーズでした。

恐らく、審神者(さにわ)として、公平無比なる神の意志を正しく理解し、聴く者が正しく理解できるよう伝えられる者・・・としてジャスティスとしたのかもしれません。きっと、日(陽)を助けているのは月なんでしょう。


今日も最後までお読み下さって、本当にありがとうございました。

今日も皆さんのとびきりの笑顔が、その場所を照らしていく一日でありますように。



道、未知

2011-07-19 19:09:35 | 
誰にも、それぞれに、
掛け替えのない、
特別な、唯一無二の道がある。

それは一本じゃない。
一本の人もいるかもしれないけど、一本じゃない人だって沢山いる。
何本でも、自由に決めていいんじゃないかな。


あなただけの道だから、
すでに目の前に存在し、すでに目に見える道を、

これかな、あれかな?
こっちが歩き易いかな?
あっちが面白そうかな?・・・と、探すのじゃなくて、

あなたが一歩を踏み出した後に、生まれるのが道だと思うんだ。


険しいのか、花や蝶が祝福してくれているのか、
平坦なのか、落とし穴さえあるのか。

今は見えないかもしれない。

だから、未知。だから、道。


あなたの輝きは、
あなたの全てをキラメキで包むけれど、

決して全能で、この世の全てを照らす灯りじゃない。

あなただけが収まる
唯一無二の場所、ちっちゃな窪み、

そこを照らすのが、あなたの輝き。
それが、一人ひとりの掛け替えのない輝き。

そう、一人ひとり。
誰でも、それはおんなじ。

職業も、生き方も、今どこにいるかも、
その輝きは、本当に本当に、

それには決して左右されない。
輝きを動かせるのも、変えるのも、あなただけ。


そして、その灯りが、
一つひとつ。

ダイヤモンドダストのように
くるーり、くるーり地球を包んだら

その灯りは、天上の光となった。




なでしこジャパン。女子ワールドカップサッカー優勝おめでとうございます!!
本当に素晴らしい、素晴らしい試合でした。また近いうちに、観戦記を書きたいと思います。

なでしこの写真があったら良かったんだけど・・・

一輪のバラで^^

ささやかながら、でも何度も、おめでとうございます。
そして何度も、ありがとう。

「私達は日本人だろう」

これからは、この言葉を胸を張って言おうと思いました。



今日も最後まで読んで下さって、本当に有難うございました☆

今日も皆さんの全てが、慈しみ輝く一日でありますように。



再生 巡る命

2011-02-15 18:54:01 | 
何故、人は人と諍う。
何故、人は人を嫌い、憎しみ合うのか。

人と人との営みを覗けば、
嫌い憎しみの気、渦が巻き、
ようよう保たれる世の均衡。

その理(ことわり)は、
勝者と敗者、
強権を持つ者、捥ぎ(もぎ)取られし弱者、
見捨てる者と、見捨てられる者を作り出し、

それぞれが、
安住の地を主張し、強要するのだ。

山頂の雪から流れ出でた清流は
濁流を消すべく
止めどなく、強く、速く。

岩はえぐられ、砂利を吹き飛ばし、もはや魚も住めぬ。


悠久の時が満ち、
その理に、閉じたまなじりを向けた今。

清流に雪の結晶が降り注ぐのを、確かに見た。

六角形の究極の美が、
溶けるを厭わず、その身を流れに捧ぐ。

見よ、命が生き返る。
再び生が生きる。


かくして濁流を許し、
濁流を受け抱く器となったとき、
心は騒ぎ、荒ぶもの。

初めて感じる空気の甘さ。
香しき花の彩り、交じり合った者だけに舞う。

空の青さを胸に吸い込み、土に手を汚せばいい。
命を受け取る者が、命を育み、
命を送り出す者に、命は授けられる。


+・+・+・+・+・+・+・+・+・+・+・+・+・+・+・+・+・+・+・

この詩は、数日前、夜中にムックリと起きて(笑)書いたものです。
上記は、何度か推敲したあとのものですが。

当初は何をテーマに綴った詩だったのか、自分でもよく分からなかったのですが、その翌日、水の神様、祓いの神様と祀られる「瀬織津姫命」についての詩ではないか思い至りました。

大祓詞(おおはらいことば)に次のように記述されている神様です。

遺る罪は在らじと祓へ給ひ清め給ふ事を 高山の末低山の末より佐久那太理に落ち多岐つ
早川の瀬に坐す瀬織津比売と伝ふ神 大海原に持出でなむ 此く持ち出で往なば 


この大祓い祝詞、6月と12月の大祓いの儀式では勿論、(全ての神社ではないかもしれませんが)朝のお勤めの言上でも唱えられる重要な祝詞です。穢れを川に流し、大海原まで運び去り世を清める。その御働きをなさる神様とあらせられるのですが、この神様については調べれば調べるほどに諸説入り乱れ、それこそ百花繚乱と申し上げては大変失礼な表現かもしれませんが、様々な神様に繋がり、同格、同体と見なされ、本当のところが良く解らない神様でもあります。

『古事記』にも『日本書記』にも、そのお名前が出ていません。
もう一つ、この二記を含めて三大歴史書と言われながらその存在を偽書として無視され続け、また神代の神々の実在性について触れている『先代旧事本紀』上での天道日女命様が瀬織津姫様であり、スサノオノミコト様の御子ニギハヤヒ尊のお后であることが、私にとっては最も分かり易く、ここを(あくまでも私的見解として)出発点もしくは核として、その存在に深い敬意を払いながら解釈を広げていければと思っています。

今日のところは平易に現在の思うところを述べたいと思いますが、
この天道日女命様の父君が、天日神命様=(かもしれない)根源神の一柱である天御中主神様の部分からでも、禊ぎ、祓い、水、滝の神様に納まる神様ではないと思うのです。地球意識ガイアに近い存在・・・自然を司り、生きとし生けるものの生殺与奪の権を握る存在なのではないでしょうか。

その方が、日ノ本の大王であったヒギハヤヒ尊のお后になる必要があった。その為に天より遣わされた方なのではないだろうかと。

ニギハヤヒ尊が初代神武天皇に国譲り後、存在を封じられて1千数百年。これもこの方の存在が大きく関与しているようにも思えてなりません。これはその後の藤原氏の隆盛。そして聖武天皇と光明皇后が執念を燃やした東大寺大仏建立にも繋がっていくのではないかと。。。また追々筆がまとまり次第、私的見解を書いていこうと思います。

また最後に、自然を司る・・・循環の始めと終わりを司るということで、五十音の「ア」から「ワ」まで、即ち「アワ」、海の泡より生まれしビーナス、といきなり強引にギリシャ神話まで飛びますが、弁財天様などに繋がるのもこれで頷けるような気が致します。また天も海も「アメ」と読むそうです。


今日も最後まで読んで下さって、本当にありがとうございました☆

今日も皆さん一人ひとりが温かさと安らぎに包まれる一日でありますように。