@BuggyLy emiさん、明けましておめでとうございます。こちらこそ今年もよろしくお願いいたします(^^)もうすぐ新しい家族が増えますね。emiさんにとって素晴らしい一年でありますように。より良い選択・・共感して下さって有難うございます。泰司さん、今年は三回忌・・そうですね。
@BuggyLy (続きです)私も出来る事、やっていきたいと思います。いろいろと右往左往するしかない状態なのですが。。emiさん、どうぞ暖かくお過ごし下さい(^^)
受容とは、その存在が確かにそこにいることを知り、そのことを、その在りのままに許すこと。自分の都合の良い解釈で、その存在の在りのままを変えないで。
問題の解決と自分の都合良い解釈へのすり替えは違う。その問題としている事のありのままの状態を、つぶさに、そして細部に渡り観察し、知ること。そこで初めて応え(答え)への扉は開かれ、招き入れられる。問題を解決したいという気持ちが消えたとき、それは、問題が存在することを受容したとき。
そのときに、その問題の(これは、どんなことにも必ずある)肯定的な側面を知る。問題に戦いを挑み、戦いを挑むまでは良しとしても、打ち負かそうとすれば抵抗に合うのも道理だろう。反対の立場になって、考えてみても良いと思う。
自分=中心の一点・・美しく、ピュアなその一点は、経験や感情、イマジネーション、表現、思考、意志など、時分の様々な側面を受け入れれば受け入れるほど、それが増えれば増えるほど統合体としての力が増す。これら自分の側面とは他者であり、自分以外の生きとし生けるものの生命。
自己が確立できたと思っても、このように、それは自分だけで確立されたものではない。自分一人で、自分という存在は、断じて成り立ちはしていない。他者を許し、受け容れることなしに、他者に許され、受け容れて欲しいと渇望していることが苦しさの原因の一つかもしれない。
景気対策と貧困対策はたぶん違うものだと思うんだけど、何故か景気対策をすることで貧困もなくなる、みたいなことをいう人が多くて、どうも眉唾な部分がありますね。景気回復は景気回復で考えなきゃいけないけど、景気が良くなれば貧困がなくなるってわけではない。それは別個に考えるべきですよ。
TAIJIからの10年前の年賀状ですね。今年はTAIJIママからいただきました。TAIJIファンの皆様によろしくとのことですので、お伝えいたします! pic.twitter.com/StqLxLSs
例えば、何年後かに、言われていたこと書かれたこと、全部本当のことだった。。となるのかな。でもそれは、今もう分かってることだと思う。自分の心は、いつでも訴えてる。耳を傾ければいいだけ。
そして、それを選択するしないも、選択する自分を由(よし)とするしないも、選択しない自分の場合も自分次第。常に、自分を内とするなら、内と外を対等(均衡)させること。自分が選択したからと言って、力上位は自分にはない。選択した対象を征服した訳でもない。
行き詰っているなら、沈黙の中に、誰も何も言わない中に、表に出ない中に、答えはある。自分が知り得て、見えて、過去の経験則の中にないのであれば、その反対側にあるのは、一種自然なことだと思う。
X Japan - Phantom Of Guilt Live 1992.01.06: youtu.be/TK-_y6WqVwE @youtubeさんから うは・・・カッコいい。。倒れそう。名曲です。