日本で子供に教育を受けさせたくなかった理由は、まさにこの「考える力」の問題だ。いうのが簡単だが、「考える力」を育てるには、ある程度の「個人主義」、「混乱」と「不安」が必要だ。
剣が象徴するもの。女性性、勝利、豊穣。本来、剣は、女性と共にあり、男性に授けるものだったと思う。もしくは、男性が女性と共にあって、初めて持てるものか。
誰にでもチャンスがある、というのは嘘でも幻想でもない。だが、自分はどういう人生を望むか、という戦略が無い人間には最初からチャンスがない。自分が何をしたいかがわかっているからその目標に従って科学的な努力が可能になる。
まぁ、得しようというか、危険から身を護ろうとするのは、生き物としての本能かもしれないけど。。そうやって自分の身を護って生きてきた。小さい頃は術がなかったからね。でも、その週刊で生きていくのは、もういいんじゃないかと思った。次へ行こう。
目指したいものがあれば、そこへ進んでる過程ひとつひとつ、既に目指したいものと共にいる。時間は存在してない。未来と今は同じ場所。今という粉の一粒が、全てを貫いている。
良い人になろうとしなくていいと思うし、人生に後悔があってもいいと思う。後悔してる。後ろめたさや、取り返しがつかない感、人との比較を横に置き、そうありのまま受け止めることは偉業だと思うし、そこには必ず救いがある。
自分が汚れてても、今がそうなら、汚れたままに身を浸すのがいいんだと思う。この世の摂理として、不変なのは、変わっていくということだから。そのままってことはないのだから。そこを怖れて、それを信頼できず、今(今、自分が捉えてること)を否定し奇麗なもので蓋しても、追いかけっこなだけだよ。
そのままを見ないで済む蓋を探し続けるんだ。そこにエネルギーを使い、お金を使う。つねに何かに追いかけられながら。でも、その何かって、自分が生んだ想いが形になったものだよ。自分が生んだものに苦しむし、自分が生んだものと闘ってる。
今決して、望んでなかったと思う人生を生きていても、その内容いかんで価値を測る・・というステージからは降りてもいいんじゃないかと思う。生は導かれ、守られて、初めて体を成すもので、私たちが答えを出せたり、言葉で現せる内容で測るものじゃない。
もう、どうでも良くなってきたな。清々しいな。理性の光を意識していきたい。
中国の汚染は酷い。しかし、まるで日本にイタイイタイ病がなかったような、核汚染がないような、隣人の窮状を嘲笑う姿勢は恥じるべきだ。@haruyanagi: きれいな青空です。大気汚染が減るとよいのですが。日本の川崎ぜんそく、四日市ぜんそくの二の舞になってほしくありません。
それは、陰陽全体となるための片割れの力。陰なら陽を導き、陽なら陰を導く。このように後ろの正面と一体となるとき、私と私であるあなた方とで、又は、私とあなた方である私とで、ホ-ルネス、全体となる。