この数日、パタパタパタと類似の言葉に行き当たりました。本から、ネットから、そして遠い記憶から。
それは、次に書いた、3人のお方の言葉です。
「将来自分のかたわらにいる他の人間が不幸な状態にあるなら、いかなる人間も心安らかに幸せを享受してはならない」
ルドルフ・シュタイナー
「天使が人間の中に未来の理想を呼び起こそうとしている」として、
天使が、人間に生み出させようとする理想のヴィジョンを形成する際の原則のこと。
「悟りを求め、涅槃に行くより、悟りを求め、衆生を救わん」
「虚空が尽き、衆生が尽き、涅槃が尽きれば、我が願も尽きる」
空海(弘法大師)
虚空が尽きる宇宙の果てまで行っても、悩み苦しむ人が誰もいなくなり、涅槃さえ必要ないくらいに、すべての生きとし生けるものが幸せに過ごせるときが来るまで私の願いは成就しない、という意味であろうと思います。
「子どものころのあの「悲惨な日々」は神様の贈り物だったのだ。あの日からずっと、人に尽くすことで満足を得る人生へと導かれてきたのだ」
アンソニー・ロビンス
他利、他者愛、自己犠牲。
これらと、エゴイズムの成就は、自分では気が付かない領域で混合しがちです。
自分の幸せを求める心を捨てられるか。
他者の幸せを願い、そのために努力することが、そっくりそのまま自分の幸せ。
それが、そっくりそのまま、限りなく、無限に、自分を包む陽だまりに、自分に差し伸べられる手となる。
言ってみれば、既に幸せなのだから求めない、という内容に置き換えらえるのかもしれません。
そして、これが、ルドルフ・シュタイナーが言う、「人間の未来の理想」なのかと思いました。
(ちなみにシュタイナーは、2000年を過ぎたあたりから、天使は、人間に未来の理想を呼び起こさせようと実力行使に移って行くと、1910年前後に言明していました。)
これらは「人を幸せにするには、まず自分が幸せでないと」という考えとは逆なんですよね。
でも、自分が傷だらけでは、実際は難しいところです。出来ないと言っても良いし、場合により、大変に危険です。
しかし、それでも尚、エゴイズムに呑みこまれない決心。
3つとも、とても厳しい内容の言葉ですが、出逢えて今とてもスッキリしています。
いくつもの壁にも、これからも同じく、出逢って行くのでしょうが。
今日も最後まで読んで下さって、本当にありがとうございました。
今日も皆さん一人一人が慈しまれ、尊ばれる一日でありますように。