お金の有る無しに左右されていたのは確か。お金がなくとも、とは思えないけど、私は、お金にまつわること、、出来る、買える、持てる等に、自他の存在意義や価値を反映させていたのは確かだ。
大量生産、大量消費の習慣に気付かなかったとも言える。高齢少子化も含め、生産の基盤が薄い今と今後、経済を回すのは大量消費。これが必要だ、これがなければ、と世の中は煽り続ける。しかし、そう反応しているのは自分。
ずっと引き込まれたくなかったものに、惹き込まれていく。その気持ちに歯止めをかけるのを諦めよう。私の内にある静寂は何もかも知っている。現在の私の物差しでは、間違いや失敗にあたることでも、でも、だからこそ、そこには次の可能性が眠りから醒めるのを待っている。