自分の空を飛ぶ翼は、誰もが持っている。そこを飛ばずして、その向こうを飛べる方法を模索し続けているケースってあるんじゃないだろうか。何を以て飛ぼうとしないのか様々だけど、今、何をどうしなくても飛べるのだから、それが、その向こうを飛べる一番効果ある方法。
飛んでしまうと羅針盤を失いそうで、行く先が未知・・・それは怖い・・という感覚が真っ先に予想されてしまう(私の場合)。風に身を預け、風に運ばれて、リキまなくても進んでいくという気持ち良さや、世界を一望できる贅沢さとか、そっち方面を考えたことはなかった。
あと、飛ぶって、好きなところにすぐに行けるとか、ってことも思い付く。あぁ、なんだ、飛ぶって、羅針盤を失うことなんかじゃないんだと、思い込みってあらためてスゴイ。センサーはいつも自分の中にあるのだな。でも、飛ばないとそれは作動しない。
喜びがあれば、悲しみがある。生きていって、挑戦していって、その過程では、いわゆるイヤだと思ってしまうことにも出会い続ける。そこを避ける処方箋探しに注力するのは勿体ない。余計に、いたずらに自分を傷付けてしまう。