ユア・ハイハート、自らの神聖さと共に。

心や魂のこと。生きる勇気と希望。
世界はいつも儚く光に溢れてる。誰もが強くて優しい。No worries, 大丈夫。

2018年、明けましておめでとうございます。

2018-01-02 19:20:00 | 日記
新年明けましておめでとうございます。
2018年も、どうぞ宜しくお願い申し上げます。

沢山の方々に支えて頂きながらの一年・・皆様、本当にありがとうございました。
このブログ゙を読ん下さっている皆様にも、数多の良きことが起こりますように。

さて、新年最初の投稿として、昨年の振り返りをほんの少ししてみようと思います。

2017年、なかなかタフな一年でした。今まで経験したことがない、ハードな状況局面が何度もありました。
でも、9月後半から色んなことが、ドサッ、ドサッと変わっていきました。
私の中で「正解」としていたことは、すでに色褪せ、擦り切れてのですが、それを修復しようと必死でした。何故なら、それが命綱だったからです。切れてしまえばお終い。私はそう思っていました。

でも実際は、それが切れても、堕ちることはなかった。
言い方を変えてみれば、それは、命綱でも何でもなかったのです。

私自身の信念やプライド、または人間関係など、私を私として保てる最後の砦として、最後は何かに頼りたかったのかもしれません。今、そう分析します。でもその一方で、何でそのようにしてたのかな?、なんて思ったりしています。まるで他人事のように。

そして、このブログの概要に入れている「すべては大丈夫」という言葉。
実は「ドサッ、ドサッと変わっていった」きっかけの一つは、この言葉に出会えたことでした。

この言葉が浮かび、入力して、ブログのトップ画面に反映されたとき、「あぁ、この言葉、何だか落ち着く」と、ふーっと息を吐けたことを今でも覚えています。そうなんです。すべては大丈夫。過去はすべて最善。

過去の出来事から生まれた感情や思考、それらの記憶をそのまま、今の前提にしなくて良いのです。いえ、すべきではない。自らの理性で、そこから肯定的な意図を照らし、新たな心の様相を前提にすることが出来るのですから。自分の良心をアップデートするように。
私も「大丈夫じゃなくてももういいやー。すべては大丈夫。」と、意識的にインプットが出来たのかもしれないですね。

それから、2018年は、精神的な部分では、先入観と偏見を溶かしていくことを目標にしたいと思います。
どういう事かと言うと「他者との交流、思いの交換」です。

対する方や方々が、何を思い、何を望んでいるか・・それはその人の幸せだろうか?、それを嬉しい、とその人は思うだろうか?、という点に心を置きたいと思います。思いやりと優しい気持ちですね。一方で、それは、対する方(方々)の気持ちを、先入観と偏見を入れずに受け取ることでもあります。交流や交換というのは、一方的な押し付け、一方的な拒絶、自分が欲しいものだけ、自分のしたいことだけ、では実動しないと思うので。。

私は、自分で気が付いていなかっただけで、かなり一方的な人間でした。決して、過去形で語れはしませんが(苦笑)。勿論、そういった性質の人間が持てるユニークさも愛すべきものと、自分自身を卑下はしていないつもりです。(これは、どんな性質の、どんな人でも!!)

あと、「出来ることは出来る、出来ないことは出来ない」という線引も、昨年後半から始められたことなのですが、この目標も、そのスタンスで(実際、そのスタンス以外では無理でしょうし)進んでいければと思います。

あらためて、2018年、良い一年にしていきましょう。



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