自分を追求しようとするとき、知らず人や、今までの自分と比較している。そうでないと分からないから。そして、それは果たして「自分」なのかと思う。
我を忘れて愉しむ、夢中になってるときが「自分」なのかもしれない。自ら分かれた者が自分なら、その本質は分かれる前の大元(源)と同じものだろうし、自分という認識は、個であるという区分けに過ぎないのかも。人間は、判断、選択、行動し、ぶつかり、許して、源に近付いていこうとするのだから。
自分を追求しようとするとき、知らず人や、今までの自分と比較している。そうでないと分からないから。そして、それは果たして「自分」なのかと思う。
我を忘れて愉しむ、夢中になってるときが「自分」なのかもしれない。自ら分かれた者が自分なら、その本質は分かれる前の大元(源)と同じものだろうし、自分という認識は、個であるという区分けに過ぎないのかも。人間は、判断、選択、行動し、ぶつかり、許して、源に近付いていこうとするのだから。
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