ユア・ハイハート、自らの神聖さと共に。

心や魂のこと。生きる勇気と希望。
世界はいつも儚く光に溢れてる。誰もが強くて優しい。No worries, 大丈夫。

2013年 明けましておめでとうございます。

2013-01-07 01:42:34 | 日記
2013年元旦から一週間が過ぎ、七草粥の日になってしまいましたが、改めまして新年の御挨拶を申し上げます。

明けましておめでとうございます。
旧年中は拙ブログに御訪問下さいまして誠にありがとうございました。本年も何とぞ宜しくお願い申し上げます。
皆様とご家族、御友人の方々の素晴らしい一年となりますように。


今日は、2013年からの私自身の在り方について、少し書かせて頂きたいと思います。

余り多くを語ることは出来ませんが、私にとっては、

「自分を信じ、生きる」

この一年になろうかと思っています。

自分を信じるとは、他者を信じること。
自分の信念を貫くことは、他者の譲れない思いに寄り添うこと。
生きることは、命が絶えることと表裏であること。

三つ目は厭世的になり、斜に構えて考えた言葉ではなく、どうしても生死は対極であり表裏であって、日は昇って沈む、季節は巡る・・という自然の営みの一つとして捉えてみたつもりです。そこには移りゆくことへの「許し」が存在していると私は思います。「生死」という表現がエキセントリックなら、「終わりと始まり」でもいいかもしれません。

日が昇ることが許されている、沈むことも同じように許されている。実りをもたらす秋の終焉が許されていて、寒さに耐える冬の到来も許されている。「変わる」「変えよう」という叫びは昨今よく聞かれるようになりましたが、変化というものを、現状の「積み重ね」や「上書き」とするか、「死から再生」「終わりから始まり」と捉えているかでは大きな違いがあろうかと思います。時を重ねて、日々、日は沈み、季節は終わろうとも、消えたものなど何もないのに。積み重なってないものなど何もないのに。。。あくまでも私の一意見ですが、このように感じています。

終焉への恐怖、執着、未練。新しい世界への戸惑い。後ろ髪を引かれるような葛藤。
それらが圧倒的に強く根付いているのが現状であり、私たちが今住んでいるのは、移りゆくことを「許さない」世界ではないかと私は感じています。「許さない」それは即ち、サイクルから死から再生の部分や終わり始まる部分を避けたい、それを受け容れない世界、ということです。

しかし、私は、それを許していきたい。


物事を巡らせてるのは中心です。中心の引力なくして、物事は循環して行きません。
惑星の軌道もそうです。太陽系惑星であれば、太陽を中心として、惑星が軌道しています。

従って、今に留まり生きることが自身の中心となり、引力となり、結果的に物事を循環させる=許し、受容し、新しい世界を創ることに繋がっていくのではないだろうかと、今、思っています。




最近、よく写真を撮るようになりました。これは、2012年の私的ベストショットです。
江戸川の東西の対岸が夕日で繋がった風景を撮りました。4月8日、復活祭の夕暮でした。



今日も最後まで読んで下さって、本当にありがとうございます。
今日も皆さん一人ひとりの楽しく健やかな一日でありますように。



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