私はスピリチュアルな話を他人にすることが苦手でした
話すプロセスよりも過去の失敗からのトラウマが強かったから
スピリチュアルな話は私はしてはいけないものだ くらい思い詰めていました
そんな私にも少しずつ話すレッスンが 訪れて
きっかけが用意されているなあと感じました
子供が学校を休むと 親は当然 学校に休む理由の連絡をしなくちゃいけなくて
初めのうちは 頭痛が腹痛がなんて言ったりして誤魔化していました
でも休む日数が増えて いよいよ担任の先生も心配のあまり シビレを切らしているのが伝わり
このままでは 先生だって納得いかないし 子供が怠けてるだけだと思われてるなと感じ
思い切って 本当に思い切って ぶちゃけスピリチュアルトーク しちゃいました
よく話したな と自分でも驚きです
話してる最中は心臓バクバク 手に汗も・・
そうしたら先生が
「正直 今話されたことの全てが理解できるわけではないです
けれど 視えない世界があることは知っています
Mさんとお母さんが立っている場所が其処だというのなら そのまま受け止めます 」
と言ってくれました
私は先生が理解しようと努めてくれる姿勢に感動し 感謝の気持ちを伝えました
さらに有り難いなと感じたのが 受け皿は既に用意されていたことです
後日、伺ったのですが 担任の先生が前任の学年主任からスピリチュアルな話を
聞いていて免疫ができてたそうです
何を伝えたいかというと
魂はどんな体験をするか決めて来ていて
用意してきた流れ があると感じています
本音を話したからスゴイとかでは無く どちらを選んでも良いんです
選んだ先の 無数に広がる 今を選べる
魂がどうしてもやりたかったことなら 形を変え 何度でも訪れるから
同じような場面に遭遇するときは
私はどうしたいのか? を問いかけるタイミングなのかもしれません