元外資系企業ITマネージャーの徒然なるままに

日々の所感を日記のつもりで記録

(SLS-4) Are you lonesome tonight? (今夜は一人かい?)

2014-07-29 22:34:49 | ショートショート
エルビスと言う名前のお店が茅ヶ崎の国道134号線沿いに出来て三年たつ。茅ヶ崎駅から海に向かう道、通称加山雄三通りをまっすぐに行くと海に出る。海に出たら右に曲がって茅ヶ崎野球場方面に4分ぐらい歩いたところにある。店の名前のとおりエルビス・プレスリーの曲しかかからない。夏の間は金曜日、土曜日、日曜日と地元の生バンドが入り、エルビスに扮した歌い手が曜日毎に代わる代わる登場する。エルビスの店のオーナーは、太田和也と言ってラグビー部三年生の橋本圭介と同級生太田武司の父である。最初のオーナーは和也の父であったが彼の死と共に店も閉めた。エルビスの曲ばかりでは客が来なくなったからである。それが近所のボーリング場が潰れて、その一角を安い値段で借りて和也が復活させた。定年退職した金のある中高年が昔を懐かしがってサーフィンにこうじたり、大型バイクに乗って湘南に遊びに来た帰りにエルビスに寄って帰ると言うパターンが多い。週末はボーリング場のレーンがライブハウスとなる。橋本はこの近所に住んでいて、和也に頼まれてギターを弾いている。内田智子の姉の内田玲奈も同級生の太田武司に頼まれて開店当時からウエイトレスのアルバイトをしている。
「よく来たわね。こんな古臭いエルビスなんて」とカウンター越しに玲奈が言った。沙織と智子、それに智子が呼んだ慎一は多少緊張しながらカウンターに座っている。
「古臭いおじんばかりだと思っていたけど、若者の方が多いじゃん」と智子が店内を見回しながら言った。
「それにしてもみんなリーゼントなのね」
「そう古きも若きもエルビスになり切る為にライブのある時はリーゼントでおしゃれして来るの、ツイストを踊ったり見ているだけで楽しいわ。最初はお金の為のアルバイトだったけど、今では楽しんでる。」
「沙織ちゃんだったわね、バンドは夜の七時から始まるわ。お目当ての橋本くんのギターも見ものよ」
沙織は橋本先輩目当てに来ているのが見え見えで恥ずかしくなった。
「今日のボーカルは志賀直士と言って政治家の志賀次郎の息子なんだけど、彼が歌うバラードは最高なの。特に「今夜はひとりかい?」と言う歌。昔のエルビスの歌だから君達は聞いた事がないと思うけど、「今夜はひとりかい?寂しくないかい?俺と寄りを戻したかったら、帰ってやってもいいぜ」見たいな、とっても腹の立つキザで自分勝手で嫌な男のタイプの歌なんだけど、彼が歌うと最高なの。なんて言うのかしら、逆に男の優しさが出ると言うか、弱さや寂しさが出て母性本能がくすぐられると言うか、まあとにかく聞いてごらん」
「やだお姉ちゃん、そんなに男を見る目があるの?」
「これ実は私が言ったんじゃなくて、とても素敵なおばさまが言ったの、そうちょうど今沙織ちゃんが座っているカウンターで彼の歌を聞き終わった後に。男がこの歌を歌っているのを聞いたら、その男が、どんな男なのか分かるわって、嫌な気分がしたらダメ、そいつは自分勝手で優しくはなく女の敵、素敵ないい気になったら、その男に何処までもついて行きなさいって。きっと幸せにしてくれるから」
「へえーそんな事を言うおばさんが居るんだ。今日は来てないの」
「そう言えば最近来てないわ」
その人は母かもしれないと沙織は感じた。母は湘南が好きでよく、鎌倉から茅ヶ崎当たりをドライブする。一度「今夜はひとりかい?」を母が運転する車で聞いた事がある。その時「やっぱりエルビスは最高だわ」と母は言っていた。「エルビスはロックの神様として扱われているけど、本当は繊細でナイーブで優しいのよね。奥さんと別れちゃって、その時子どもも取り上げられちゃって、寂しかっただろうな、この歌を気分良く聞けるのはエルビスしかいない」。母の言葉を思い出す。やっぱりきっとその人は母に違いない。
「これは噂なんだから気にしちゃダメよ、特に沙織ちゃん、いいい。その素敵なおばさまの恋人が橋本くんじゃないかって」