井上光晴展@神奈川県立近代文学館記念トークイベント「娘として、小説家として 〜父・井上光晴」での娘さんの話は衝撃的で面白かった。
・瀬戸内寂聴さんが出家した原因は、7年間に及ぶ井上光晴さんとの不倫だったようだ。奥さんが死ぬまで公にすることはなかったが、今は娘さんが父と母、瀬戸内さんの三角関係を題材にした小説「あちらにいる鬼」を「小説 TRIPPER」に連載中であるぐあい公のことらしいが、私は知らなかった。そして、きっと瀬戸内さんもいづれこのテーマで小説を書くのではないかとも話していた。
・母の方がひょっとして文才はあったかもしれない、実際瀬戸内さんはとても褒めていたと。実際に井上光晴の名で、母が書いた小説が出版されたようで、どの作品なのか?は母は言わなかったけれど、母の生前に実は父の名を使って小説を出したと語っていたと。荒野さんは父の作品を読み直してみて「目の皮膚」と「遊園地にて」の短編は、母の作品ではないかと思うと言っていた。
最後のプロレタリア作家と言われる井上光晴さんの作品は、「日本原発小説集」の中の作品を読んだだけ。プロレタリア文学は、やっぱり暗くて途中で読むのがつらくなる。
チェルノブイリの原発事故後に書いた作品だけど、実際に起こった福島原発事故は、井上作品よりもっと悲惨であった。この作品集で一番の秀作は、野坂昭如さんの娘を売らないと生活していけない地方が、原発マネーで潤うが、コミュニティーとして崩壊していく話だと感じる。その他の作家の作品はただの原発プロパガンダ。
展覧会でみた井上さんの原稿は、全て丸善に特注したノートに横書きで書かれている。それも小さな字で一つの小説に一冊のノートがあてがわれている。それを横書きの原稿用紙に書き写していたのが奥さんであり、娘さんも高校生の時にアルバイトで行なったと。なぜ私は原稿用紙に横書きで書けないのか?というエッセイも展示されていたが、雑誌の文字が小さすぎて読めなかった。
それにしても、娘に人と変わった劇的な人生を歩むように「荒野(あれの)」と名付けるとは凄すぎだ。