新宿の損保ジャパン日本興亜美術館の「ランス美術館展」で見た藤田嗣治の素晴らしさに、その展覧会の売店で売っていた近藤史人著「藤田嗣治「異邦人」の生涯」を読んでみた。
欧米の評価に比べて日本の評価が低いのは、讀賣に毎日と安倍政権に忖度する大手新聞が、当時西洋絵画の分野で圧倒的な力を持っていた黒田清輝に忖度した結果であった。
メディアの酷評に嘘の報道、それに嫌気がさした藤田は、日本を捨ててフランスに帰化、洗礼を受けたランスに自分の教会を建てて、そこにフラスコ画で壁画を描いた。これが彼の最後の作品であるが、それのデッサンとかが、ランス美術館展に展示されていて、それがとても素晴らしい!!
この本の表紙にあるトレードマークのおかっぱ頭は、床屋に行けず自分で髪を切った貧乏な時期を忘れないためであると。今まで、奇をてらったパフォーマンスばかりだと思っていたのは、大手メディアの忖度が今も続いているせいだな、きっと。BURUTUSの「死ぬまでにこの目で見たい西洋絵画100」にも、ピカソやモディリアーニ、マチスと並ぶ評価を欧米ではされているのに、藤田嗣治の絵画は載っていないし。
また、同じく表紙に墨とすずりが机の上にあるように、西洋絵画に日本画の手法を取り入れたことも初めて知った。これを知っていれば、もっと詳しく彼の絵を見たんだが。
30歳までの約束で父の援助でフランスに留学し、芽がでないまま30歳を迎えた彼は、父と決別を決意しその後もフランスに留まった。彼は人の百倍働くことを父に約束し、フランス滞在の許しを得て、それを実行した若き日の藤田嗣治。そして一躍エコール・ド・パリの寵児となる。やっぱり、何かを成す人は、TVや新聞などで人生を無駄にしていない。
改めて自分の人生を生きようと決意。
欧米の評価に比べて日本の評価が低いのは、讀賣に毎日と安倍政権に忖度する大手新聞が、当時西洋絵画の分野で圧倒的な力を持っていた黒田清輝に忖度した結果であった。
メディアの酷評に嘘の報道、それに嫌気がさした藤田は、日本を捨ててフランスに帰化、洗礼を受けたランスに自分の教会を建てて、そこにフラスコ画で壁画を描いた。これが彼の最後の作品であるが、それのデッサンとかが、ランス美術館展に展示されていて、それがとても素晴らしい!!
この本の表紙にあるトレードマークのおかっぱ頭は、床屋に行けず自分で髪を切った貧乏な時期を忘れないためであると。今まで、奇をてらったパフォーマンスばかりだと思っていたのは、大手メディアの忖度が今も続いているせいだな、きっと。BURUTUSの「死ぬまでにこの目で見たい西洋絵画100」にも、ピカソやモディリアーニ、マチスと並ぶ評価を欧米ではされているのに、藤田嗣治の絵画は載っていないし。
また、同じく表紙に墨とすずりが机の上にあるように、西洋絵画に日本画の手法を取り入れたことも初めて知った。これを知っていれば、もっと詳しく彼の絵を見たんだが。
30歳までの約束で父の援助でフランスに留学し、芽がでないまま30歳を迎えた彼は、父と決別を決意しその後もフランスに留まった。彼は人の百倍働くことを父に約束し、フランス滞在の許しを得て、それを実行した若き日の藤田嗣治。そして一躍エコール・ド・パリの寵児となる。やっぱり、何かを成す人は、TVや新聞などで人生を無駄にしていない。
改めて自分の人生を生きようと決意。