鼎談のテーマは「立憲主義の危機はなぜおきるのか?」
2時間10分の長い素晴らしい鼎談であったが、テーマの答えはシンプルで時の政権が勝手に憲法を独自に解釈して暴走するからである。憲法は時の権力者を制限するものであり、それが立憲主義。
このテーマの答えを証明するための幾つか、下記の興味深い話があった。(他にもいろいろあるが、寝る時間なので)、なんたって憲法学者と歴史学者と政治家の鼎談であるから、
・大正デモクラシーの時代も明治憲法のもと、立憲民主主義の時代であった。不完全な民主主義ではあるが。
・ではなぜその時代の立憲主義がないがしろにされ、第二次大戦に走ってしまったのか?それは勝手に憲法を解釈したからだ。
・具体的には軍部が天皇の軍の統帥権を利用したからである。
・日本は鎌倉時代から合議制で話し合いで全てを決める民主主義であった。立憲主義になったのは明治憲法施行後である。
・中世に人間は不完全であると認識した。法然や親鸞の他力本願が流行ったのはそのためである。お釈迦様の助けで成仏する。
・人間は不完全で絶対はあり得ないと言う思想が、独裁者政治を防止し、それが明治まで立憲主義の憲法の役割をした。
2時間10分の長い素晴らしい鼎談であったが、テーマの答えはシンプルで時の政権が勝手に憲法を独自に解釈して暴走するからである。憲法は時の権力者を制限するものであり、それが立憲主義。
このテーマの答えを証明するための幾つか、下記の興味深い話があった。(他にもいろいろあるが、寝る時間なので)、なんたって憲法学者と歴史学者と政治家の鼎談であるから、
・大正デモクラシーの時代も明治憲法のもと、立憲民主主義の時代であった。不完全な民主主義ではあるが。
・ではなぜその時代の立憲主義がないがしろにされ、第二次大戦に走ってしまったのか?それは勝手に憲法を解釈したからだ。
・具体的には軍部が天皇の軍の統帥権を利用したからである。
・日本は鎌倉時代から合議制で話し合いで全てを決める民主主義であった。立憲主義になったのは明治憲法施行後である。
・中世に人間は不完全であると認識した。法然や親鸞の他力本願が流行ったのはそのためである。お釈迦様の助けで成仏する。
・人間は不完全で絶対はあり得ないと言う思想が、独裁者政治を防止し、それが明治まで立憲主義の憲法の役割をした。