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STU48 音楽、歴史 などいろいろ

◎マリー・アントワネットとルイ16世 1

2014-10-13 18:31:28 | マリー・アントワネット
マリー・アントワネットとルイ16世 1

ルイ16世の誕生

・1754年8月23日、ルイ16世がヴェルサイユで誕生

 祖父はルイ15世
 父はルイ・フェルディナン
 母はマリー・ジョゼフ・ド・サックス

ルイ15世は子どもをルイ・オーギュストと名付けることを決め、ベリー公の称号を与えた

ルイ・オーギュストには王位継承者である兄ブルゴーニュ公がいた

ブルゴーニュ公は1760年、紙製の馬から落ちて、腫れ物ができ、手術をしたが、病状は改善せず、悪化した
1761年3月21日、ブルゴーニュ公は亡くなり(まだ9歳だった)、ルイ・オーギュストが王位継承者となった

★帝王教育

・ベリー公ルイ・オーギュストは科学に強く引きつけられた
 国王付き主任地理学者のフィリップ・ビュアッシュはベリー公に地理に関する知識を与えた
 地図帳、白地図、地理パズルを与えた

 気候、生産物、産業、宗教的区分、軍事区分など学んだ

 ベリー公は1日7時間勉強し、夜は自室で読書に励んだ

・宗教、法律、歴史、地理、ラテン語、ドイツ語、イタリア語、スペイン語、数学、物理、航海術、デッサン、ダンス、フェンシングなどを学んだ

・ベリー公はほとんど外出せず、部屋で地図を作ったり、鉄片をやすりで研いだりしていた

・ベリー公は無愛想で、無口で、自分を良く見せることがへたで、優雅さに欠けていたが、公正で、善良、勤勉、才気もあり、ユーモアもあった

・ベリー公の教育の欠陥は、「国王の務め」ができるように礼儀作法を身につけることを教えられなかったこと、軍事教育を欠いていたことである(「ルイ16世」ベルナール・ヴァンサン、祥伝社 「ルイ十六世」ジャン=クリスチャン・プティフィス、中央公論新社)


マリー・アントワネットの誕生

・1755年11月2日、マリー・アントワネットはオーストリアのハプスブルク家の皇女(第15子)として生まれた

母はマリア・テレジア
父はフランツ・シュテファン

・ハプスブルク家の皇女の名前には必ず最初にマリアとつける慣わしがあり、生まれた赤ん坊はマリア・アントニア・ヨーゼファ・ヨハンナと名づけられた
 家族のあいだでは、アントワーヌと呼ばれることになった
宮廷の人びとのあいだでは、マダム・アントワーヌとして知られる

・皇帝一家はシェーンブルン宮殿に住んでいて、皇女たちは5部屋からなるスペースをもっていた
・フランツ・シュテファンは植物と庭園が好きで、温室には熱帯植物のコレクションがあった
動物園も1751年にできた
・1753年にはラクセンブルクの宮殿に劇場ができた

 ラクセンブルクはヴェルサイユのプチトリアノンとよく似ている
マリー・アントワネットはラクセンブルクの宮殿で少女時代を送った

・1762年10月13日、モーツァルトがシェーンブルン宮殿にやってきた

 ヴォルフガングと姉ナンネルが皇帝の家族の前で演奏を披露した
 6歳のヴォルフガングはクラヴィーアを弾き、ヴァイオリンも弾いた

 アントワーヌは6歳だったが、ヴォルフガングは1756年1月27日生まれで、アントワーヌはモーツァルトより3か月ほど年上であった
・このとき、ヴォルフガングがアントワーヌにキスをして「大きくなったら、お嫁さんにしてあげる」と耳元にささやいた、というエピソードは作り話である
 ヴォルフガングの父レーオポルトは「ヴォルフガングは女帝陛下の膝に飛び乗り、首に抱きついて、したたか気のすむまでキスをした」と手紙に書いている

・マリー・アントワネットがいちばん好きな楽器はハープで、かなり進歩したという
 最も得意なのはダンスで、刺繍も好きだった

・アントワーヌは痩せていて、背はそれほど高くなかったが、美しい金髪をしていた
 アントワーヌは「人の心を捉えずにはおかない微笑」をもっていて、魅力にあふれていた
 その微笑は人を喜ばせたいという気持ち、あらゆる人を幸せにしたいという欲求からきていた

・アントワーヌはダンスや音楽の授業には喜んでとりくんだが、面倒な授業はすりぬけてしまうのが問題だった

 アントワーヌは文字を読む能力が欠けていて、文章能力は高くなかったようである
 アントワーヌは知性がないわけではないが、気まぐれで、集中力に欠けていたようである

・1768年、アントワーヌが13歳のときにヴェルモン神父が朗読係としてやってきたが、アントワーヌ専任の個人教授、のちには相談相手となった
 そのときアントワーヌはフランス語もドイツ語も正しい読み書きができていなかったが、1年後にはフランス語はかなり上達した

 フランスへ向かうころには流暢なフランス語を話すようになっていたという(「マリー・アントワネット」アントニア・フレイザー、早川書房)