ある女の、コール&レスポンス?

日々、心の琴線にふれること、そして、それについて書きつける。音楽のように言えたらええのだけど…

ああ、そうだったの。

2022-04-01 | 

ちょっと前、体調を崩しているときに、気分をまぎらわせようといつか読もうと置いておいた「紫式部ひとり語り」に目を通す。

買ってすぐ見たときは、私には合わないねえと思っていたのに、意外と楽しく読んでいて驚く。

そうこうしているうちに枕草子についてのこきおろしのくだりにかかる。

ほんとうはお家が没落なさって、お産の途中に亡くなったので成仏もかなわないお気の毒な先の中宮様…のはずなんだけど、清少納言ときたらおかし、楽しと華やかに浮ついたことばっかり書いて、世を欺いて、そんなことでこの先どうなの?といったようなことを読んで

…私もキラキラ宮中生活のお話だと思っていたわ、ああ、そんなだったん。でも、清少納言はすてきな中宮様を残したかったのなら、それでいいんじゃない?

この素敵な中宮様の幻と競う方は難儀でしょうけどねえ。

 

…中宮様一途の女房心(?)という点では、この二人通じ合えそうな気もする。

 

 

 

 

 

 

 


えっ 市外へ出るだけでたのしい!?

2022-02-03 | よもやま話

母が崇敬している市街のお寺さんへ節分会に一緒にでかけた。

お参りして、周りを散策して 

金堂を拝観した。

拝観料300円か、なかなか~え、おみくじ代込みなの。どれどれ、冬木から萌えいずるような運気です。かあ。季節感ぴったりでいい感じ☆ 十二神将と日光 月光菩薩 薬師如来のブロマイド?お守りも入っていておもろいね。…え、箱の上に色紙を出すからコンプリートしてみようって!?拝観に何度も来てねという御仏の方便のような、商売上手のようなとむずむず思ってしまって、不謹慎モードに入ってしまった。

内部は干支に対応した十二神将が円く周りを守っている中に 日光 月光菩薩を脇に置いた薬師如来がおわす。薬師如来の薬壺を持った御手から五色の布を編んだ紐が各神将の前に巡っている(説明むつかしいね)  藤原道長は最期阿弥陀如来から垂らした紐を持って亡くなったという話を思い出す。やってみると繋がっている感が思いの外すてきだ、これはよかったぞい。と追体験した気になる。

十二神将はお相撲さんのような東京リベンジャーとかのヤンキーマンガに出てきそうな。と、くすくすする。

薬師如来の真言 オンコロコロセンダリマトウギソワカ と唱えてみて、オンコロコロ…コロナを持ち上げてるようじゃないのよと軽くしゃくに障る。

そうこうしながら拝観を終え、産地直送市場に向かう。道中カーラジオからユーミンの「春よ来い」がかかる。そういや明日から立春なのよね。

市場でお昼ごはんを頂き、お野菜などを買って

新しい靴を求めに新しめのショッピングモールへ行く。中にある二つの店とも目的にかなった商品がなく、昔からの大型スーパーにあるというテナントに行ってみた。

靴がまあまあ雑多に置いてある古びがあるお店で、

この道何十年だろうかというおじさんと紳士の中間の風情がある店の人にスニーカーは革靴の0.5㎝大き目を目安にしたほうがフィット感がよくなる場合がままあること、身体は内重心気味のほうがいいとかさりげなく教わりながら、自然にこの靴ではいかがという丁寧な接客を受けて、さすが商業が盛んな地域だだけあってさすがこなれているわ。品物以上にいい買い物したなーまた来よとホクホクしながら梅を観に天満宮へ向かう。

道中、またカーラジオからユーミン「春よ来い」がかかってる。これはねらっとるね。

この天満宮には何度かおまいりさせてもらっているのだけど、毎度どこから入るんだっけと迷う。今回は目印になるものをチェックした。これで次は大丈夫。

お参りさせていただきながら、菅公祟りをなしたということは、ある意味鬼になったともいえるのではないかな。そのまま外で追い出してすむことでもないし、追い出しているわけでないよねこの場合。と、節分らしいことが思い浮かんだ。

ここは梅も多いのだけど松原が見事でとっても落ち着く。この周りをのんびり散歩してみたい。

もうちょっといたいなと思いながら市内に戻って、ノルディックポールを見にスポーツ店へ寄る。

母の膝の調子が悪いからリハビリ用、補助用に…ついでに私も坂道・登山用にと思っていたのだけど、

店員さんによると

身長に合わせて調整したポールを用いると姿勢がよくなるので普通のウォーキングより実は運動負荷が高くなります。なので最初から長距離はお勧めしません。

姿勢が良くなりますしポールの支えがあるので必要以上に足元を気にせずによくなりますから歩くのが楽しくなってきますよ。

ポールは杖のように前に出すことを意識せず、歩くときに自然に手を振る延長線上でだすようにしてください。

慣れたらポールの支えを使って屈伸とかストレッチしてみてもいいですよ。

私が知っている限りの最年長使用者は98歳です。前はやはり背中が曲がっていましたが、使ってらっしゃるうちにそれなりに伸びてしっかり歩いてらっしゃいますよ。

とのこと。

実はトレーニング器具でもあるんだね。奥が深いね。相手を前向きにするの上手やね。と勉強になった。活用するね!と買った。

恵方巻を買って帰宅。

 

しっかり買い物をした以外は数年前まではまあちょっとしたお楽しみだったのに、今日はおそろしく楽しかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


お祭りと私 ひねくれ篇+α

2021-10-18 | このあたりの話

今年もお祭りがなくて、以前みたいに好きじゃなかったらさびしくないのかなと思う。

なので、試しに…お祭りなんか全然好きじゃないんだからね!と、当時に戻った気持ちで追想してみた。

小学校の頃くらいまではどっぷり楽しんでいたのだけど、

いつのころだったか、地区の太鼓台が新調してこれはなんじゃ!?前の渋い方がよかったのに!と思ったくらいからどっぷりとは楽しめなくなっていった。

このころから太鼓のおっかけから屋台に楽しみが移ったような気がする。

そのころ神社の裏の雑木林で、一升瓶を持った泥酔中のレディースおねえさんに「もう離さんけん!」と抱きつかれて「人違いじゃないですか💦」と言いながら離すのに往生したこともあった。

他にも今となっては思い出せないけれどお祭りに出かけてもあんまりたのしくなかったことも多くなってきていた。

そうして、高校生になったとき、ある先生が言った。「おれはお祭り嫌いだ」「昔は好きだったけど友達が太鼓のいざこざで大けがをしても笑って流されてから大嫌いだ」「あんなのただの田舎祭り、いわば奇習なんだから面接で言うなんて恥ずかしいことするなよ」「この期間賢い人は休みを幸いここを出て旅行とかいくものなの」

カルチャーショックだった。けんかも含めてなんだかんだ問題があるね、しょうがないねえと思っていたのに、こんなにあからさまに嫌いと言う人いるんだね。と。

今となってはどうかしてるわ。とはずかしいのだけど、こういったことを聞いて

賢い人は太鼓祭りなんか嫌いなんじゃね…太鼓祭りw野蛮~好きじゃないわ~っていうのが知的なことなんだなと、とんでもない勘違いを起こした。

ここから、誘われたりしたら観に行かないことはないのだけど、進んでは行かないし、斜に構えるように努め始めた。(なんともったいないことを!)

その反面、山手の未明の階段上りは神々しいと思ったし、はなはだ役者不足だけど、太鼓に振袖を着た娘さんが花束を渡す習慣があって、その役ができたときはとてもうれしかった。太鼓台を見かけても無感動ではなかったと思う。

心底苦々しく思うようになっていたら今、喜んでるんだろうか?それはそれでいやだな。

いい思い出があって寂しくてよかったと思う。

けれども、しょうもない努力の成果で太鼓を見かけてもテーマソングを聞いても、冷静でいたがるようになり、いつか試しに脈を確認して、速くなってて、あちゃー悔しいと思ったこともある。

そうこうしているうちに数年前、市外の友達が遊びに来た。

うどん屋に入った。そこでは太鼓の記録dvdが放映していて、あーあ、と思ったけれど、私はテレビから背中を向けて座った。けんかのときの映像らしい、市外の人にはずかしいわ、こんなん。と思いながらうどんを食べ終えて、彼女に「ごめん、やかましかったろ、あれ多分角突き合せる動物みたいなものなんよ」と冗談交じりに言うと、「それも珍しかったけど、XXちゃん、ちょいちょいテレビに振り向いていたのが面白かった。よほど好きなんじゃね」と言われて、心外きわまりなかった。今年は極力太鼓に逢わないようにすると決めた。

一日、二日はなんとかなった。三日目は道を走っていると太鼓の幻聴が聞こえ始めた。きょろきょろしてもいない。少し走ってきょろきょろしてもいない。もう少し走ってきょろきょろしても、やはりいない。

……参りましたよ!!好きですよ!太鼓は必須の栄養なんじゃ!宮入りに行くよ!終わる前でよかった!!

ということで、ツンデレ解除がなされた。ありがとう友達!

数年、幼時のように楽しんでいたけれど、今年は自治会館で子供たちが太鼓を叩いているのを観て、あなたたちこそさびしいね。けど、太鼓叩けてよかったね。としばらく聴いていたのと、街中のお社にお参りしてしのいだ。…そういや今年は不思議と金木犀が匂わなかった。刈穂の匂いはわかるから鼻がおかしいわけではないのだろうが?

 

これからはどうなるのだろうか。太鼓だけでなく、屋台の人たちはどうしているんだろうか。

 

 

 

 


にじの万華鏡

2021-04-01 | よもやま話

話は去年の初秋にさかのぼります。

ウン十年前に流行ったあるジャンプ漫画とアニメについての掲示板を見ていました。

あ、なつかしい。主題歌はなんとなくおぼえているね…ありゃりゃ、読んでいるうちにいろいろ思い出してきたがねと軽く驚きながら追って、黄金色の鎧のキャラの画像を見たとき…

よっしゃ!お祭りの代わりに改めて観たりましょ!と妙なスイッチが入ったのでした。

けれども、なぜか原作やアニメを見るには気が進まず、さしあたり、と掲示板から知ったニコニコ動画と、ピクシブを開けてみたところ、すごい作品だ!なんて愛だ!なんて才人たちだ!と驚きに満ちた世界が広がっていたのでした。

最初は好きだったキャラ関連のコンテンツを堪能し、触れ続けてこれしか載ってない気がしてきて、

…むう、これがフィルターバブルというものか(合点)。と我に返り、

これもどうだかねえ、と ほかのキャラのコンテンツも見てているうちに、当時は嫌なキャラだと思っていたはずなのに、あれ?みんなすごくいいじゃん。楽器の名手がそろったオーケストラみたいじゃん。とすっかり感化されてしまったのでした。

しっかし、ギリシャ神話はさておき、占いでおなじみの十二星座を用いるとはうまいこと考えたねえ。やるねえと、思わず感心したとき、わたし、おばはんになったんだね。とちょっとショックではありました。

そうこうして、なんとなく思い出したところで、原作を読んだのでした。

中盤までは今読むとやるせなく悲壮なことも多いけれども、楽しく読んでいたのです。

最終編は…読んでいた当時ただただつらかった。これ、人間にはどうやったっていかんのでは…と無力感に苛まれたことを思い出し、だから、気が進まなかったし、けっこう深入りしたはずなのに、忘れていたんだね。と気づきながら読んでいました。

みんなぼろぼろに苦戦するのだけど、でも、できる限りの事をしている様子と昨今の状況がリンクして、つらくてしょうがない話には違いないのだけど、今読んでよかったとも思ったのでした。

…こんなことで、虚構をあっち向けたらこっち向けたらと飽けず眺めた半年なのでした。

けどね、このおかげで、だいぶ助かったのですよ。ふしぎといえばふしぎですね。

 

 

 

 

 

 

 

ふう、なんとか今日中にアップできそう。

 

happy birthday KIKI🎉

 

 

 

 

 


あばばばばっ💦

2021-04-01 | よもやま話

久しぶりにブログを開けたら …背景にモミジ舞ってるやん!

あれ、いま桜が最盛期なんで?!と軽くウラシマ状態になって焦りましたわ。

なんかかんか書く前にインテリア替えましょ。

 

 


蔵出し祭り 2月前半、折込みTVときどきyoutube 2016.3.?

2020-11-21 | 配り物の道中で

2/8 21時に居酒屋巡礼を少し見て、ユーチューブを聴く。auのcmで浦島太郎の唄っている歌を探した流れでビギン特集のようになる。何曲か聴いて、この時季に合う曲が聴きたくなってあやこやと検索する。ユーミンの「春よ、来い」を聴く。次の配りものでは沈丁花が咲いているかもしれないと思う。あの匂いをかげると思うと楽しみになる。

22時から23時半までは定番。NHKの「プロフェッショナル」→「サラメシ」 スキージャンプの葛西紀明選手の事をしている。ジャンプをする人は豪胆だと思うのだけど、フォームが1センチずれると、踏切が一秒ずれると結果が違ってくる繊細なスポーツだということを知る。そうだったのか。と感心しながら、なにか同じようなことを知っているような気がする。サラメシで美容師の手作りまかないを観て、わ、大丈夫かなと思うくらいザクザク切っていくのにすごくきれいになった気がするうちの美容師さんの事だ。と気が付いて愉快になる。…終わったら髪を切りにいかないとね。

2/9 スマスマを久しぶりに見る。稲垣吾郎特集。夜、録画しておいたスーパーボウルを観る。アメフトのルールはぜんぜんわからないけれど、あちらこちらでボールをめぐって取っ組み合いや、ぶつかり合いがあって、妙に楽しくなるこれだけの流れの中で、あれだけのコンタクトがあるのだから、ものすごい。ハーフタイムに急にミニコンサートが始まってどうした!?と思ったけれど、こういうものらしい。

2/10 グッデイかミヤネヤを見て、台湾の地震の寄付送付先を知る。東日本大震災では、台湾の人にひとかたならぬ支援をいただいて、温かい気持ちになった恩返しといったらおかしいかもしれないけれど、寄付をするにも、大使館あっただろうか?と思っていたから、良い情報を得た。中間費用を考えると赤十字にお願いするのが無難かしらね。

NHK BSで宝塚歌劇団の少し前に上演された舞台をしていた。「ホテル・ステラマリス」「レビュー伝説」移り変わることはどうしてこんなにせつないんだろう。という唄が胸に迫る。子供のころに遊んでいた野原が宅地造成されているのを見たからだろうか。…生きているかぎり、じっとしているというわけにはいかないのだから。というセリフも。

2020.11 上記の宝塚TV中継で美沙のえるさんのファンになり、出演する舞台があったら観たいなと調べたら、退団されていると知りがっかりした、のも今はいい思い出。…この芸名でクリスチャンじゃなかったらびっくりするよね。とも思ってたっけね。

 

 

 


蔵出し祭り ちびっこはおもろいね。2015.11.16

2020-11-20 | 配り物の道中で

水筒を地面に祭り太鼓の拍子で打ちつけながら歩く男子小学生。

雨に降られて合羽の上に配りものかばんを引っ掛けその上にポンチョ(床屋さんでするケープを想像してもらうと近いかな)でカバーして配っていたら、集団下校中の子供たちに行き会う。

みんなしてガンガン見つめてきて、この子らなんなん?と思うと、お調子者みたいな男子が「獅子か!」と言った。…どうもこの子達この恰好で何をしているのか怪しい人だと思っているらしい…と思って、「これ配っりょんよ。」と言って見せると、違う男子が「配達か!」と納得する。

「次ここ配るよ、どいてね」「うん」というやりとりを何度かしたころ、女子が「赤ちゃんを抱いてるんですか」と聞いてきてずっこけそうになる。スリングで前抱きにしているのを連想したのかもしれないけど、ケープをかけたらまずかろに…と心でツッコミながら「抱いてないよ」と言ってそそくさと配り終える。

2020.11.16 最近は区画が変わって子供たちと逢わないのでこんなやりとりはない。今見れば懐かしいね。


蔵だし祭り お盆だからかねえ…2017.8.16

2020-11-19 | …実のところはわからんけれど。

13日、仕事帰りの幹線道路に人気はないが気配が充ちているように感じる。ほんとうに帰ってきているのかなあと思う。

14日、甲子園が大好きだった小学校の先生に、お茶とお菓子を供えて済美、津田学園戦をTV観戦。  話すともなく言い聞きしているような気がしながら、この先生の事をいろいろと思い出す。今思えばずいぶん面白い人だったのだと思う。…野球を観て楽しめるのは、先生の野球話のおかげだわね…私の両祖父は早くに亡くなったから、いわば、名誉おじいちゃんだったのかもしれないと思う。  地元校が快勝したから、おさがりでいただいたわらびもちはひときわおいしかった。

15日、寝際に、かつて私がひねくれてしまって、うじうじしているうちにわだかまりを残したまま亡くなってしまった先生の事を思い出す。「勝つとか負けるとかそういうことではないんだよ」唐突に思いついて、習っていたことはそう言うことだったんだと分かる…気がする…  けど、本心からこういうこと言えるかしら。と思ってずいぶんと勝ち負け、優劣に拘泥していることに気がつく。  その後夢だか何だかしれないけれどその後、一緒に練習させてもらって、これくらい何も考えずに思わずにできたらよかったのにと思う。  起床して、勝負を観たりするのは楽しいものだけれど、それだけじゃない所も探求してみたら…今までみたことがないのだからこれもとても楽しいことのように思う。

2020.11.16  今になっては13日と15日の事は覚えていません

 

 

 

 


蔵だし祭 虫先生へ感謝を ’20.4.27を加筆

2020-11-18 | 奇人の肩にのっかって

…残っているストリーミングをまだ聴いているから、終わった気がしないのだけど

カルチャーラジオ「虫たちの不思議な世界」について。

あのはやり病めのせいで、うつうつとしがちなときに、

虫!すさまじくもすごいな。虫マニアすごいな。先生がいなねえ。ええ、実はそうだったんだ!おっもしろいなあと心底楽しませてもらいました。

…こんちゃあ、げにまっこと愛し虫がぜよ(エセ土佐弁m(__)m…)と毎回こってりとおのろけ聴かされたみたいになって感心半分茫然半分になったところに、最後の決め台詞「私と虫と(虫捕り?)につきあってもらう」…ここまで4/27…にやられてしまいました。

あれから、家や職場で虫を見つけても、無下に退治できなくなって弱っております。

フサヒゲサシガメはわが県のレッドデータに載っていることは確認しました。万が一見つけたら、虫先生へどう連絡して、急行されるあいだどう扱えばいいのか…シミュレートしてみましたが結論が出ず…無知のかなしさを痛感しております。

Ⅲ月紀にもお邪魔して、虫ってすごいデザイン!と時々楽しんでおります。

新しい世界を見せていただいて感謝しております。

 


人は変わる、私も

2020-11-17 | おすもう

琴奨菊関が引退した。

大関だったときは、琴バウアーや塩撒きのケレンといいたくなるような派手さにそぐわない取組の振るわなさに、

エラそうなんだけど、正直なんだかねえと思っていた。

大関を陥落して、琴バウアーをしなくなって、実のある取り組みが多く見られはじめて、あれあれ?見応えある?取組前に気を取られていただけなの?と思い始めた。

そうして、最近は勝ち越したらよかった!と思うようになって、先場所肉離れを起こしたと知ったときは残念だった。このまま引退するだろうか…と思っていた時に十両でふんばると知ってうれしいけど。と思っていた矢先の事で

報道を聞いて残念がっていたら、母が、「あれ、キライじゃなかったん?」と聞いてきた。

「今は、応援してたんよ。もう少しできたらよかったのに~」と言ったら、

母、「あんたも変わったねえ」と言ってきた。

そうか、琴奨菊関が変わったように見えていたけど、それを観ていた私も変わったのかとちょっと新鮮な驚きだった。

閑話休題 琴奨菊関 いままでありがとうございました。秀の山親方として解説にでられたらまた、拝見します。

…荒磯親方のように、華麗なる転身を遂げられたらどうしよう(*´▽`*)

 

 


今年らしいお祭り

2020-11-16 | ’20 あやしき えやみ

1カ月あまり前の話。

お隣の町の温泉に行く前に、近くにある大きなお社にお参りしてみようかと行ってみた。

ちょうど、例祭に行きあって

今年は地域のお祭りがほぼなくなったものだから、おもいがけず少し驚く。

いたくありがたいような、軽々しく寄ったことに申し訳ないような気がしながら後ろのほうで本殿で行われている儀式を拝見していた。

祝詞を奏上されると式次第の方が言われて、しっかり聴くのは生まれて初めて!来てよかった!もしかして呼んでくださった?…不肖も不肖な私を…と自意識過剰起こしながらも聴き入った。

今年も豊作になりましたありがとうございます。大きな災害もございませんでした、ありがとうございます。こうしてお祭りできてうれしいです…といったことを古文でいっているのだね、なんとなくだけどわかる。とても朗々としたいい声…と思いながらぼんやり聴いていると、

あやしきえやみ という言葉が耳を打った

気持ちがぎゅっと締まるような気がした。

有効な対策が打てない病気を先人たちがいくつもしのいで私らはここにいるんだね。昔人もたぶんこうやってお祈りしたんだね。と忽然と気づく。

同時にCOVID-19,コロナ、新型コロナ、最初のほうに言っていた武漢肺炎…と、あやしきえやみ…同じものを表しているはずなのにどうしてこんなに違うものに聞こえるんだろうね。といぶかしかった。

所用があって、少しの間本殿から離れて境内を散策する。もう一度祝詞をあげているらしく、声が聞こえてくる。

戻ると、本殿の側に巫女さんたちが集まっている。

あれ、と見ていると巫女舞が始まった。

うわあ、これも生まれて初めて観るわ!!…コンナニシテイタダイテ,オソレイリマス…

見なれない優雅な舞にほれぼれうっとりと眺めながらも

袴の緋、装束の白、銀の髪飾り、金の鈴で、お祝いの熨斗を連想する。

巫女舞が一段落したところで辞去して温泉に。

帰り道に神職のお車らしきものをみかける。ナンバー1982に思わず笑ってしまう。…突然ですが問題です。この一言でどこのお社かわかりますか?(^-^)

そうして、温泉に浸かってうそみたいに元気になった。

帰宅時には、あやしきえやみに今年の序盤ごろから、今まで尋常でないことだらけでくたびれ気味だけど、これからしばらくも大変だろうけどなんとかしましょう。と思えるくらいになれた。

呼んでいただいてありがとうございます。幸いお力を感じる気象状況がなかったこの秋も守ってくださったのですねと深謝する。

…来年はほこりっぽくも賑やかで荒くたいつものお祭りができたらいいなあ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


母上…それでは逆の意味になりまする!

2020-05-11 | よもやま話

母に、都市部の大病院で管理職として働いている後輩さんからメールがあったという。

いまのところ、そこの病院ではそれほど大変なことにはなってないみたい。ひとまず安心したわ~というのをふんふんと聞いていたら、**子ねえちゃん(=後輩さん)ホームステイしてたんだってと言い始め

…!!この状況にありえなかろ。何を言っている…防疫の研修に行くとか…ナイナイ(・・?(・・?(・・?と疑問で頭が一杯になりながら続きを聴いていると

大掃除も凝ったおうちごはんも作れて気分転換はできてるみたい

と言い出したので、ステイホームね!!!と訂正しておいた。

ああこわ、驚いた。と思いながら、

ステイホーム…どこかで聞いたようなと思っていたら、ホームステイでしたか。と合点がいってすこしすっきりした。

 


こんなときにカミュのペストなあ…からの、オイオイ(汗)

2020-04-13 | 百分で名著

土曜日に百分で名著特番 カミュのペストの一挙再放送をしていた。

気が進まないの半分、この状況に役立つ知見があるかもという期待半分で視ることにした。

アルジェの何とかいう町でペストが流行って、そこの街が封鎖されることになるらしいのだけど。

いろいろな反応をする人がいるという描写を聴いているなかに、街の外に恋人がいる登場人物が何とかして出ようとして、医師も説得されてしまうくだりで、

おいおい、そこはなんとか止めないと!とフィクションながらも焦ってしまって、そこからあらぬ方向へ頭が行ってしまった。

その街を出ようとしている人が、出る手はずを整えるまでの間、看病の手伝いを志願して始めることになって、人間から人間にはペストは感染せんのか??…ペストというおそろしい疫病が流行った時代があるということは聞いたが、詳しい症状は知らんけど、だいじょうぶなんか?ともやついているあいだに、

人を殺さない英雄などというものは存在しないのですと言ったような、なんだか、考えさせられはするのだけど、とりあえず、この状況が収束してからそういう議論はしようか?と思うようなことを言いはじめ(…今は、現状を追うだけなのもいかんのかなとも思うけれども)

そうこうしているうちにペストが収束して、街は元通りになるのだけど、お医者さんは今までの様にはおれませんでした。と言う話らしいのだけど、

うーん、社会全体で闘病するという点ではあまり見るものはなかったなあ、人たちも実際こう動くだろか?と思うところも多いし…

などと思いながらまとめを聴いていると

このペストというのは第二次世界大戦という不条理とそれに対する人間を描いた作品なのです。ペストはいわば比喩です。といわれて、肩透かしを食らったような気がしながらも納得する。

また、1947年の作品と知って、防疫知識はどれくらい進んでいて、どれくらい作者は参考にしたものなのだろうと関心を持つ。

欧州の人にはペストといったら、いまだに冷静でおられないくらいのインパクトのある歴史上の出来事なのかもしれないね。…私らにもたぶんそういう出来事はあるし、他の国々の人にもあるだろね。とも、ふと思う。

番組を見ないと、あ、名作ですけどちょっと怖そうですね。と流し見して、よくわからないと印象には残らなかったかも知れない。原作読んで、考えがかわるか試してみようかな。と思うくらいには関心を持てた。

 

 

 

 

 


こんなときだから、思い切り虫のいいことを考えてみる

2020-04-01 | よもやま話

たかだか微生物(…なんだよね、ウイルスって。ちがうのかしらん?)のせいでなんだか、ずっとうっすらとしょんぼりしているので、

何もかも思い通りの人生を想像してみたりましょう!

世界中を近所の散歩くらいに行き来できて、親しい近所の人みたいな友人たちが各地に居てさ、愉快に飲み食い、おしゃべりして、お互いおもろいなあと思うようなことがあってさ、なんなら、一緒におもろいこともできるっていいわね。

買いたいなあと思うものが買えてさ、暮しも充分立てられて、少しは誰ぞの助けにもなれるくらいのお金持ちでさ、

世界をあっちゃこっちゃ行く一方で、手間のかかることをひとりでどっぷり楽しめる時間と場所が持ててさ、

心配事や取りこし苦労、自分を疑ったりなんかするという考えがハナから浮かばないくらいの幸せ者でさ、

…書いていて、だんだんこそばゆくなってきました…

あんた、口ばっかりだとよく言われるので、エイプリルフールの機会に意識してやってみようとしてはみたけれど、却ってむずかしいことでしたわね(^^;)

 

 

 


ギョーザ先生の伝説

2020-03-30 | …実のところはわからんけれど。

夕食にギョーザを作った。

包んでいるのを母が見かけると

前に働いていた病院の凄腕心臓外科の先生で、病棟のスタッフと何度かギョーザ会を行ったとき、その先生は餡をのせた皮を掌で握るだけできれいにギョーザを包むというワザもできて、仰天しながらも一緒に包んでいた母はとろすぎて恥ずかしかった。…その先生は腕をやっかまれたみたいで、いろいろあって違う病院に移ってから、もう亡くなっているけどね。早すぎるよね…

という話を必ずといっていいほどし始める。

…この話を聞くと、むこうでかつて助けた患者さんたちとギョーザ会を開いて、包み技を見たもと患者さんたちに、さすが先生!と喝采されているところをいつもぼんやりと想像する。

こんなだったらいいなあ。と思う。

…志村けんさんも、むこうの笑わせてもらって助かったひとや、楽しませてもらったひとに囲まれてたらいいなあと連想する。

さびしいけれども、こっちでもがんばろわい。