何か月か前に、浅草 三社祭のテレビを観ていて、子供たちがカーペットか何かを抱えておみこしを気取っているのに、お祭りがあるところは、どこも、こうやって子供の頃から沁みつくことになるわけね。と感心しました。
そうこうして、お祭りが近づいてくるにつれて、いろいろ思い出されてきました。
明日からお祭りなので、気ままに書いてみましょう。
子供の頃は子供用法被を着て山車…太鼓台略してたいこを追かけまわすのが好きだった。
今はあまり見かけないけれど、たいこに綱を付けて子供らがみんなでついていくこともあって、今考えたら、きんぎょのふんを連想させて面白い絵かも。と思うけれど、思い出しても楽しかった~。
どこから用意してきたのか、子供用着物を着せてもらったこともある。着るのにやたら時間がかかって、重たくて暑くて動きにくくて、けど、なんだかちょっとうきうきしたことを覚えている。その後、桃割れという付け髪だけが鏡台に置いてあるのを見ては、髪の毛のかたまりなので、ちょっと不気味に思いながら、もう一回つけてみようかなあ、普段の服には合わんのかなあ…と思っていた。
当時住んでいた地区の錨と豆しぼりの柄の手ぬぐいがかっこよくて好きだった。
節約家の祖母だったので、小さい時は屋台で天津甘栗しか買わせてもらえなかったけれど、お小遣いをもらい始めていろいろ買えたときはうれしかった。
にぎやかしに紙テープをたいこに向けて投げたときに、角度が浅くて面に当たった。大丈夫だったのかと気が気でなかった…。
小学校に入って太鼓祭り集会という地区の太鼓が集まってそのたいこの周りを演歌の大物歌手が歌うテーマソング?に合わせて紅白のナイロンテープを巻きつけた竹の棒を持って太鼓をたたいているような振りをして踊る…未だになんとなく振付を覚えているのがおかしい。
鉢合わせが始まりそうに荒ぶるたいこに観衆が押されて逃げ遅れ、つぶされるかと思ったことがある。柵の向こうの男の人が引っ張り上げてくれたので事なきを得たのだけど、あの後、お祭り関連の事故のニュースを聞くたびに思い出す。
小学校では地区長という役目があって、これになるとたいこの指揮台に昇ってグラウンドを一周できる特典があった。乗りたさに地区長になるためにがんばった覚えがある。乗れた時は非常にうれしかった。この地区の先代のたいこは渋みのある金色の幕でそれに黒い法被は合うと上で思った。
でも、一番乗りたかったのは天幕の上、高い所にテントで寝そべっているみたいに楽しそうに見えたから…実際どうなっているのかはいまだにわからないのだけどね。
バブルに入るか入らないかの時、たいこから鳩を飛ばしたり、紙吹雪を散らしたりしていた。うわ、面白いと思った。
…とかなんとか打っているうちに、もう数分したら、お祭りが始まりますわね。
つづきのひねくれ篇はまた今度。