ある女の、コール&レスポンス?

日々、心の琴線にふれること、そして、それについて書きつける。音楽のように言えたらええのだけど…

お祭りと私 ひねくれ篇+α

2021-10-18 | このあたりの話

今年もお祭りがなくて、以前みたいに好きじゃなかったらさびしくないのかなと思う。

なので、試しに…お祭りなんか全然好きじゃないんだからね!と、当時に戻った気持ちで追想してみた。

小学校の頃くらいまではどっぷり楽しんでいたのだけど、

いつのころだったか、地区の太鼓台が新調してこれはなんじゃ!?前の渋い方がよかったのに!と思ったくらいからどっぷりとは楽しめなくなっていった。

このころから太鼓のおっかけから屋台に楽しみが移ったような気がする。

そのころ神社の裏の雑木林で、一升瓶を持った泥酔中のレディースおねえさんに「もう離さんけん!」と抱きつかれて「人違いじゃないですか💦」と言いながら離すのに往生したこともあった。

他にも今となっては思い出せないけれどお祭りに出かけてもあんまりたのしくなかったことも多くなってきていた。

そうして、高校生になったとき、ある先生が言った。「おれはお祭り嫌いだ」「昔は好きだったけど友達が太鼓のいざこざで大けがをしても笑って流されてから大嫌いだ」「あんなのただの田舎祭り、いわば奇習なんだから面接で言うなんて恥ずかしいことするなよ」「この期間賢い人は休みを幸いここを出て旅行とかいくものなの」

カルチャーショックだった。けんかも含めてなんだかんだ問題があるね、しょうがないねえと思っていたのに、こんなにあからさまに嫌いと言う人いるんだね。と。

今となってはどうかしてるわ。とはずかしいのだけど、こういったことを聞いて

賢い人は太鼓祭りなんか嫌いなんじゃね…太鼓祭りw野蛮~好きじゃないわ~っていうのが知的なことなんだなと、とんでもない勘違いを起こした。

ここから、誘われたりしたら観に行かないことはないのだけど、進んでは行かないし、斜に構えるように努め始めた。(なんともったいないことを!)

その反面、山手の未明の階段上りは神々しいと思ったし、はなはだ役者不足だけど、太鼓に振袖を着た娘さんが花束を渡す習慣があって、その役ができたときはとてもうれしかった。太鼓台を見かけても無感動ではなかったと思う。

心底苦々しく思うようになっていたら今、喜んでるんだろうか?それはそれでいやだな。

いい思い出があって寂しくてよかったと思う。

けれども、しょうもない努力の成果で太鼓を見かけてもテーマソングを聞いても、冷静でいたがるようになり、いつか試しに脈を確認して、速くなってて、あちゃー悔しいと思ったこともある。

そうこうしているうちに数年前、市外の友達が遊びに来た。

うどん屋に入った。そこでは太鼓の記録dvdが放映していて、あーあ、と思ったけれど、私はテレビから背中を向けて座った。けんかのときの映像らしい、市外の人にはずかしいわ、こんなん。と思いながらうどんを食べ終えて、彼女に「ごめん、やかましかったろ、あれ多分角突き合せる動物みたいなものなんよ」と冗談交じりに言うと、「それも珍しかったけど、XXちゃん、ちょいちょいテレビに振り向いていたのが面白かった。よほど好きなんじゃね」と言われて、心外きわまりなかった。今年は極力太鼓に逢わないようにすると決めた。

一日、二日はなんとかなった。三日目は道を走っていると太鼓の幻聴が聞こえ始めた。きょろきょろしてもいない。少し走ってきょろきょろしてもいない。もう少し走ってきょろきょろしても、やはりいない。

……参りましたよ!!好きですよ!太鼓は必須の栄養なんじゃ!宮入りに行くよ!終わる前でよかった!!

ということで、ツンデレ解除がなされた。ありがとう友達!

数年、幼時のように楽しんでいたけれど、今年は自治会館で子供たちが太鼓を叩いているのを観て、あなたたちこそさびしいね。けど、太鼓叩けてよかったね。としばらく聴いていたのと、街中のお社にお参りしてしのいだ。…そういや今年は不思議と金木犀が匂わなかった。刈穂の匂いはわかるから鼻がおかしいわけではないのだろうが?

 

これからはどうなるのだろうか。太鼓だけでなく、屋台の人たちはどうしているんだろうか。

 

 

 

 


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