高齢者のひとりごと

 日常の出来事に自分の思いをつづっていくつもり

私の戦争追悼記(7)

2012-08-12 15:56:09 | Weblog

 8月12日  今日も蒸し暑かったけど、Pmから風が出てきて外出してもそんなに不快ではなかったね。

 さて、昨日の続きだけど、当時の小学校は前校舎と後ろ校舎の2棟あって後ろ校舎は兵隊さんが

使っていて生徒は前校舎がけだったのですし詰め状態だったよ。 ランドセルはダンボール製で金具の

部分がすぐ取れて教科書は風呂敷に包んで持って登校したよ。 校庭の隅に戦争の必勝を祈願する

コンクリートの塔があって、登校するたびに礼をすることを強制され、それから教室に入ることができたよ。

 教科書やノートはわら半紙だった。 稲のわらが原料のようで、ざらざらしてすぐ破けちゃんだよ。

 鉛筆は接ぎ芯と生徒の間で言われていたように、すぐ芯が折れちゃって大変だったよ。

 「 サイレンと  接ぎ芯、ノート  破れ、ダメ  結局はノート、鉛筆は当てにならないから、

暗記するしかなく、空襲警報もあって、学力は当然低下したよ。

 授業は生徒が多いいから、先生が一方的にしゃべるだけだったし、宿題も出なかったよ。