いよいよ桜の季節も終盤。
今日は天気にも恵まれ、青空の下で雪のように降る桜を満喫できました。
少し寒い春も、こうなると良いですよね。
来週はさすがに葉桜になるんでしょう。
きれいなものは、やっぱりきれいだと心から感じました。
さて・・・
先日、不意に目にした「清濁併せ呑め」との自分への評。
そう思われているのが、本当に意外だったので、結構、気になっています。
こういうところが、そうなんですかね。
とにかく、その場で言われれば、どういう意味なのか分かるのですが、
事後で言われても、何のことやら・・・
自分自身はどちらかと言えば、「濁」を許す幅は広いと思っているんですが。
清濁はまさに価値観なので、見る角度によって大きく違うと思いますので、
「清濁」の度量の広さについては確かに自信はないのです。
人事という仕事柄、基本的には「人」についての『濁』は出来るだけ広く、
信じ、待ち、許してあげる、という山下真司的な立ち位置を目指していまして、
こういうスタイルが、そもそも『清濁併せ呑んでいない』のかも知れませんが・・・
一方で、組織のあり方や、問題の本質への言及は出来るだけ、
厳しくいくべきという思いは強いです。
このブログでは、朝青龍問題もそういうところが出ていると思いますし、
最近だと開星高校の元監督の問題発言、ブログには書きませんが亀親父の問題行動、等など、
基本的には、本人というよりも、周囲や、そもそもそうした協会・団体の問題が大きいと感じていまして、いくら個人を責めても同じ構造が残る限り、同様の問題は出てきて、本質的な問題解決にはならないという考えなんです。
こういうことを言い出すから「清濁併せ呑め」と言われるのかもしれませんが(笑)。
かと言って、基本的にはしがないサラリーマンですから、
意見は言うけど、指示には従う・・・(苦笑)
従い方に、嫌々感は出ている可能性が高いことが一番の原因かもしれませんしね。
それにしても、何が『清』で、何が『濁』か、そういう物差しも示されないまま、
そう思われていると思うと、嫌なものですね。
価値観(意見)を出し合ってこそ、お互いの立場が分かるわけで・・・
内田先生のように『論争するの、キライです』と言えれば良いのですが、
サラリーマンはそうもいかず・・・
だったら「オレに意見するな!」と言われるほうがどれだけすっきりするか(苦笑)。
こういうところが、「清濁併せ呑め!」なのか、と思ったりもしますが。
いつものように訳の分からない話でスミマセン。
さくらの写真のまとめも、更新しました。
(上限の50枚までいっちゃいました・笑)
良かったら、こちらもどうぞ。
http://blog.goo.ne.jp/photo/16924
「もっと度量広く受け入れろ」ってことですよね。
これを言っている人の「意見」を
その人の都合のいいように受け入れることが
「度量が広い」ことにはならないですよね。
久しぶりの一眼レフ写真。
背景がぼけるだけで
こんなにも写真ってイメージが違うんですね。
私によく注意される言葉です。
頑固なのか、強情なのか
自我が強いっていうか、よほど痛い目にあって懲りているのか
でもねそうやって考えるとお互いにそういう事なんですよ。こちらがいくら併せ飲んでもですね・・・対外 自分の姿というのは自分ではわかりにくい物なんじゃないでしょうか。
“あんたが大将!”って 最後話を打ち切ってきた時代がありませんでしたか?そんな言いようも無い冗談も通じないのが現状ですよキット。
「清濁併せ呑め」と言う上司がいるということ自体、
まず清濁併せ呑む必要があるのかもしれません(笑)。
でも、それじゃ寂しいですよね。
人それぞれ、いろいろな感覚があって、
受け入れられる『濁』の範囲は個性だったりするんだと思います。
一眼レフ写真・・・
いいでしょ
私によく注意される言葉・・・
言われて気持ちの良い言葉じゃないですよね
おっしゃるように『お互いにそういう事』なんですね。
同じ価値観、同じ『清濁』の感覚を共有することは無理だと思いますので、
せめて理解し合おう、認め合おう、という姿勢を大事にしたいと思います。