楠木新著「人事部は見ている。」読了。
この本、会社近くの本屋に山積みになっていました。オフィス街とはいえ、こういう題名の本が売れるのか、と正直なところビックリしました。
多くの人が「人事部」に興味を持っていることの証左でしょうか。意外と私のような人事担当者、あるいは人事経験者が手に取っていたりして(笑)。
感想は一言で言えば、よくこの内容で新書の文字数が書けるな~と。私だったら書けない。
一方で、古き良き人事部を懐かしみながら、変わりゆく会社環境(人事部も当然に含まれますが)に戸惑いながら、それでも自分たちの仕事、あるいはアイデンティティと言っても良いかもしれませんが、大切な何かを守りたいという愛情すら感じました。
自分もそうですが、「人事の仕事をしている人」というだけで、何となく仲間意識、同志意識を感じたりするんですよね。
この点では、「あなたのところもそうでしょ?」「あなたもそう思うでしょ?」という非常に内輪の、あたかも暗号で語り合っているかのような、メッセージも感じました。
さて、せっかくですので、感想だけではなく、書評も少し残しておきます。
“マネジャーと人事部との間で、最も重要なやりとりは、異動構想の提出と人事評価の原案作成である。”
もちろん、法律でも労働慣行でもなんでもなく、著者の言葉である。
この言葉が代表していると思うが、「人事部は見ている。」ものの中心は「人事異動」「人事評価(考課)」。
これは、著者自身の志向でもあり、もしかしたら、多くの人事担当者の志向かもしれない。
さらに言えば、人事部に配属になったらやりたい仕事、あるいはやるであろうと思っている仕事ではないか。
(人事部に配属当初に言われた言葉の一つが)“「個人の一人ひとりまでは見にいけないぞ」だった。”
“担当する社員の顔を知り、かつある程度の行動予測ができるのは、最大でも300が限度”
これも著者の言葉である。そして、この言葉も人事異動や人事評価を前提にしたものである。
要するに、「個人の一人ひとりまでは分からない」という建前の元、実際には「300名までは分かる」と思っている矛盾。
これは、現実。実際に私もかつて人事部の同僚から同様の矛盾めいた話を聞いたことがある。
要は、個々人までは分からないことが分かっているにもかかわらず、中央集権的な「人事部」という組織が成り立ってしまう現状。
しかも、300人以内なら分かると思っている、あるいは(この本にも記載があったと思うが)部長・マネジャーなどを中心に自分の目の届く範囲の人は分かっていると思っている。
いざ家に帰れば、自分の妻や子どものことすらも分かっているかどうか分からないのにも関わらず。
“人事部員は、自分がコントロールすることによって簡単に職場のパフォーマンスを向上させることができるとか、努力すれば必ず効果が表れるといった錯覚を起こしてはならない。”
ここは大事なポイントだと感じた。私も同意する。
人事異動や人事評価もしかりである。
この本に描かれている「人事部」は、官僚組織の人事制度、まさに旧態依然とした日本の慣習かもしれない。
こうした組織や制度が日本の高度成長を支えてきたとも言えると思うし、反面、多くの権威と権力を生み、硬直的な労働環境を作り出したとも言えよう。
この10数年、人事部の中で変化を感じてきた身としては、正直、かつての「人事部」ではグローバルな競争では勝てない気もするし、日本だけで考えても多様な価値観のうねりの中で人事部の存在価値も薄らぎつつあるとさえ感じる。
一つだけ言えることは、「人」は仕事では扱えない。人事部は「組織事」「仕組み事」になっていかないといけないと私は思う。
古き良き人事部への迷信・妄信からそろそろ脱却しよう。
人事部は見ている。 (日経プレミアシリーズ) | |
楠木 新 | |
日本経済新聞出版社 |