スペインのカタルーニャ国際賞授賞式での村上春樹さんの受賞スピーチが話題になっています。
(上)http://mainichi.jp/enta/art/news/20110611k0000m040017000c.html
(下)http://mainichi.jp/enta/art/news/20110611k0000m040019000c.html
そのスピーチでは、広島の原爆死没者慰霊碑に書かれた言葉を引用されながら、こんな風に今回の福島原発の事故について述べられていました。
広島にある原爆死没者慰霊碑にはこのような言葉が刻まれています。
「安らかに眠って下さい。過ちは繰り返しませんから」
素晴らしい言葉です。我々は被害者であると同時に、加害者でもある。そこにはそういう意味がこめられています。核という圧倒的な力の前では、我々は誰しも被害者であり、また加害者でもあるのです。その力の脅威にさらされているという点においては、我々はすべて被害者でありますし、その力を引き出したという点においては、またその力の行使を防げなかったという点においては、我々はすべて加害者でもあります。
(中略)
原子力発電を推進する人々の主張した「現実を見なさい」という現実とは、実は現実でもなんでもなく、ただの表面的な「便宜」に過ぎなかった。それを彼らは「現実」という言葉に置き換え、論理をすり替えていたのです。
それは日本が長年にわたって誇ってきた「技術力」神話の崩壊であると同時に、そのような「すり替え」を許してきた、我々日本人の倫理と規範の敗北でもありました。我々は電力会社を非難し、政府を非難します。それは当然のことであり、必要なことです。しかし同時に、我々は自らをも告発しなくてはなりません。我々は被害者であると同時に、加害者でもあるのです。そのことを厳しく見つめなおさなくてはなりません。そうしないことには、またどこかで同じ失敗が繰り返されるでしょう。
「安らかに眠って下さい。過ちは繰り返しませんから」
我々はもう一度その言葉を心に刻まなくてはなりません。
これからも私たちは「現実」に逃げるのは容易かもしれません。
けれども、私たちは「無常(mujo)」という伝統的な思想の中で、原子力が必ずしも今後もエネルギー供給において最先端で有効であろうとは思い込めない特技もあるわけで。いつかは(もしかしたら近い将来)、原子力以上のエネルギー効率を持つ技術、あるいは本当に自然エネルギーだけで幸福な生活を送れる社会を開発できるかもしれない・・・
そして、何よりも自分たちは未来の子孫に重荷と危険を先送りしてまで、今ここにある「現実」を享受することが許されるのだろうか・・・
そんな風に私は村上さんのスピーチを読みながら感じていました。
表面的な便宜を「現実」という言葉で理解しようとしている人たちも「非現実的な夢想家」であろうし、また、まだ定かではない放射能の怖さや起こるかどうかも分からない自然災害のリスクを原発感じる私自身も「非現実的な夢想家」なんでしょう。
でも、今の自分たちではなく、未来の子どもたちを夢想するほうが、私は好きだな。
コメントありがとうございます。
今後ともよろしくお願いします。
また時間を見つけて、遊びに来させて頂きますね!