子どもは風の子。
今日の午後は子どもと近所の公園へ。
でも、その公園には他には誰もいませんでした。
寒いですからね。。。
でも、子どもは大丈夫のはず?
“風の子”とは程遠いイメージのうちの子ですけど、元気に走り回っていました。
みなさん、ハローです。ホディです。
実はボクはかなりの怖がりなんですよね。
子どもには言えませんけど、ブランコも滑り台も大嫌い。怖いんです。
もちろん遊園地や高いところも怖くて嫌いです。
「さいしょのペンギン」にはなり難いタイプなんでしょう。
ただ、血をひいているはずのうちの子は今はブランコも滑り台も平気です。
だんだん大胆に乗れるようになってきていますね。
元々は怖がりで、なかなか新しいことに慣れることができなかったのに、何度かゆっくり乗って慣れてきたり、周囲のともだちが繰り返すのを見たりしているうちに平気になったのでしょう。
勇気と努力と環境で、元々持っている性格といいますか、資質を克服できるのではないかと心強く感じました。
きっと、ボクも子どもも「さいしょのペンギン」にもなれるんでしょう。
思えば、子どもは立つのも、歩くのも少し遅かったんです。
関係ないのかもしれませんけど、“怖がり”は先天性の資質で、この要素を持ったヒトはそのような立ったり歩いたりする時期などにも影響があるような気がします。
もちろん、後天的な要素は大きいんでしょうけど・・・積み重ねられた経験だけで形作られるモノではない気がします。
どうなんでしょう?
先天的か後天的かはどちらでもいいんですけど、「怖がり」という資質を間違いなく持っているボクは、“視野が狭い”と言いますか、“おおらか”と言いますか、新しいことにチャレンジすることに関しては幸い?にも全体として上手くバランスが取られているようです。
「危ぶめば道はなし」(@一休和尚)と自分に言い聞かせながら、地図にない道を勇気を持って一歩ずつ歩きたいと思います。
昨日は酔っ払いで帰りが遅かったもので、今朝は久しぶりの寝坊でした。
夢を実現するためのヒントとして見たい店があったので、朝は少しだけその店とその店のある街を見て回ってみました。ただ、「見たい」というのは未だ明確な目的はなく、何となく直感で見たいと感じているだけなんです。行動することによって少しずつ自分が見たいと思っている“何か”が整理されていくことを期待しつつ、『実行』してみました。
個人的な思い込みですけど、「見たい」という直感には、きっとボクの経験(のうちの一部)が理由となっているはずなんです。そういう意味では直感はとても大切ですし、もっと大切なのは直感だけでなく、そのひらめく原因であり、「見たい」の次に来るであろう“何か”だと思っています。
しばらく「見たい」と「知りたい」を積み重ねていきます。
ボクのブログのように?迷走を始めているボクの日常でした。
子供って面白い生き物で、うちにも3人いるんですけど、同じ親から生まれているにもかかわらずそれぞれに個性が違うんですよね~。臆病なのは慎重の裏返しであったり、行動的なのは後先考えないことだったり…。でも、生きていくうちに色々経験して学んで、それぞれがその年齢なりに自分の頭で考えて応用していくんですよね。
ホディさんのお子さんは将来どんな風に成長していくんでしょう…楽しみですね!
コメントありがとうございます。
子どもの個性・・・当たり前ですけど、不思議ですよね。
うちの子を見ながら、時々、自分もこうだったんだろうな~、あるいはどっちに似たんだ?なんて勝手なことを感じています。
ボクの子ども、本当にどんな風に成長するんでしょうね?
いろいろ経験して、だんだん親には分からない面も多くなり、いつの間にか大人になっているんでしょう。
これも当たり前のことですけど、今から想像するだけで寂しくなってしまいます。
これからもよろしくお願いします。