教育再生会議からの「いじめ緊急提言」について毎日新聞の記事がありました。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20061129-00000025-maip-soci
緊急提言に記された「毅然とした対応」は、「出席停止」を念頭に置き、例として「社会奉仕、個別指導、別教室での授業」などを示した。
会議後、義家弘介・同会議担当室長は「出席停止という文言は提言に含まれていないが、別教室での授業も出席停止と同じだ。(指導、懲戒の)基準を国が明確にし、学校現場を応援していかないといけない」と説明した。
「毅然とした対応」 とは、「社会奉仕、個別指導、別教室での授業」って。。。
このニュースで、今の教師は、この程度の対応すら制限されていたのか、とはじめて気付きました。そして、「毅然とした対応」を取るには国の基準がいるのかと。
家庭のしつけや教育が多様化(二極化?)する中で、学校の指導は制約される・・・
教師にも、もっと自由な指導を許しても良いんじゃないでしょうかね。
このままじゃ、教師の多くは「指示待ちサラリーマン」と化し、ゆくゆくはパソコン(e-ラーニング)に職を奪われてしまうような気がします。全国統一のe-ラーニングだと単位の漏れもないでしょうしね(苦笑)。
それにしても、子どものいじめの「加害者」の認定はとても難しいとボクは思います。
場合によっては、いじめの被害者以外のクラス全員が加害者となり、別教室の授業は被害者以外の授業となってしまいますよね・・・これこそ、学校によるいじめです。
そして、加害者は狭い視野でこのいじめだけにフォーカスすれば「加害者」かも知れませんが、学校の外、つまり家庭などでは何かしら「被害者」の可能性も高いのではないでしょうか。
子どものいじめの対策を考えるのに、教師や学校、もしかしたら子どもたち自身を犠牲にして、さまざまな政策の実験をするのではなく、まずは、刑法で「大人のいじめ」に「毅然とした対応」を取れるように法整備してみてはいかがでしょうか?
一方で、教師にはもっと自由な指導を認めても良いとボクは思います。「毅然とした対応」くらいは国の基準ではなく、教師の指導法で良いじゃないですか。今すぐ実践可能です。
そして、「恐喝」など本当にいじめの加害者に懲戒処分が必要な場合は警察に任せるべきだと思います。もちろん、未成年者の監督義務者である親も含めて。
みなさん、ハローです。ホディです。
久しぶりに青空が広がっていました。
自民党への復党組もこういう気分なんでしょうかね・・・
選挙の信は、選挙で問い直すしかないわけで。自民党も、復党議員も詐欺ですね。
そんな風に軽く見られたボクらの信も、選挙でしか表現できないんですけど。小泉さんの置き土産は、本当に「自民党をぶっ壊す」ことになるくらいの話だとボクは思います。
さて、「ホワイトカラーエグゼンプション」(White Collar exemption)という言葉をよく聞くようになりました。ホワイトカラーエグゼンプションとは、強引に一言で説明すると、いわゆるホワイトカラーと呼ばれる事務系のサラリーマンに裁量労働制(仕事に応じて給与を払う制度)を適用するという仕組みです。経済界からの要請で、これを法律で認めようという動きがあるので、最近注目されています。
残業代が減らされるとか、労働時間が増えるとか、ボクが見聞きする範囲ではいろいろなネガティブな意見が多いですね。
じゃぁ、ボクはどう思うのか・・・
基本的には、「仕事」に応じて給与が支払われるのは当然だと思います。(「仕事」とは役職とか、職務ではなく、成果全般のことです。)
会社は、「労働時間」では収入は得られません。やはり「仕事」で得るんですからね。
でも、それを本当に適用してよいのか?
現状は仕事を賃金に評価する仕組みはあまり整っていません。営業ならともかく、企画や総務などの仕事量の評価は難しいですからね。そういう点で、能力給(年功給)をベースとして、役職や職務に応じて職務給を上乗せし、さらに時間外労働分を残業代として支払う制度は現実的ではあると思います。
その現実の陰には、稼ぐための意図的な残業や、仕事の早い人と遅い人の給与の逆転現象などあるんですけどね。
そして、裁量労働するための仕事は、給与のように一定ではありません。
年度始に目標を設定する企業も最近は多いでしょうけど、目標以上に仕事を増やさない企業はほとんどないんではないでしょうか。特に仕事ができる人には、天から仕事が降ってきますし。
ここまで見越して、給与を設定するのは難しいでしょうね。
また今日は、こんな話がありました。
「昼間はお客様のところへ出かけて、事務的な仕事は夜やりなさい。」
と知人が上司に指導を受けたそうです。
彼は中小企業のサラリーマンなので、実態はサービス残業の指示なんですけどね。
そういう意味では、中小企業はすでに「ホワイトカラーエグゼンプション」導入済みですが、これで良いんでしょうか?
従業員に家族的な奉仕を求めたいのも分かりますけど。
逆に家族的な奉仕は、従業員の甘えも呼び込みます。
職を選べる人なら、良いんですけど。奉仕の気持ちと甘えの気持ちを並存させつつ、時間の安売りになっている人も多いような気がします。
難しいですね。
今日も長くなったので、そろそろ結論を言いますが、
「ホワイトカラーエグゼンプション」の導入の前に、経営者や上司の教育が先決でしょう。それこそ、目標管理や評価制度など国の基準を設けて、その基準をクリアした企業のみに適用すべきですね。
今の素案にあがっている「年収基準」なんてナンセンスです。
長々と失礼しました。
青木・片山両氏も老害そのもの、このままだと自民の参院選は厳しそうですね。
企画型裁量労働制を拡大することによって無意味な残業を抑制し、低賃金で働く派遣労働者やパートタイマーの待遇改善を図るのであれば、「職務に応じた賃金」も悪いことではないと思います。
だだその前に、個々の労働対価について、あらためて妥当性を検証するプロセスが必要なのではないでしょうか?
使用者側から一方的に示された条件に従わされるだけあれば、"単なる賃下げ""弱い者いじめ"と批判されてもしかたありませんね。
つまり、背負っている責任が重い人ほど多く、品質が高い人が多く、そして責任と品質が同じなら労働量に応じて比例調整すればいいと。(よくこの意見に「経験」を入れるべきと反論する人がいますが、私はそれこそナンセンスで、責任も品質にも反映されない経験なら、組織にとっては無益だとさえ思います。経験あるなら相応の責任を持ちえて、品質を出しえて、それを評価すればいい。)
もちろん、そのためにはあらかじめ責任と求められる品質についてのコンセンサスが得られていることが必要です。そして、特に①、②については、定性的な評価を定量的な評価に置き換えないといけないので、その置換方法について組織内統一のフレームワークを用意しておく。また①については部門の持つ責任、役職者の責任があり、各部門・役職のSpecificationを予め決めなきゃいけません。②、③については結果論で評価するのもありでしょう。何やらややこしいことをいっているようですが、私はそんなに込み入っているものを作る必要はないと思いますし、難しいとは思いません。むしろ本来そういうものがあって当たり前なのに、その必要性に気づくこともなく、理解することもできない経営者が多すぎるような気がします。White Color Exemptionについては、よく知らなかったのですが、こりゃ日本の企業には到底ムリだと思います。その前にやらなきゃいけないことが一杯ありすぎ。代表例が、hoddyさんのいうように評価する側の教育。激しく賛同します。
責任感もなくモノの善し悪しについてのセンスもない人間に評価されては不幸だし、不公平。
余談ですが、私がかねてより持っている強い信条のひとつに、「総務がアホあるいは総務に経緯がはらわれてない企業はダメダメ企業」ってのがあります。
おっしゃるとおり、まずは安倍首相自ら毅然として欲しいですね。昨年の衆議院選挙で大きく崩れた政治のバランスを元に戻そうとしてるとしか思えないくらいの今回の復党ドタバタ劇。
ここまでの詐欺を堂々とされたんじゃ・・・古い自民党に参議院選挙は勝ち目はないでしょうね。
個々の労働対価・・・
まずは国会議員が、自らの労働対価の妥当性を分析してみたら良いんですよね。どれだけ難しいか分かると思います。
税制といい、今回の労働条件の改正方針といい、「法人」に偏って優遇している気がします。まさに“弱い者いじめ”、これじゃ子どもの教育もできません。
行き着く先は、資産階級と労働階級の二極化と言う時代の逆戻りですかね。。。
のんさん、コメントありがとうございます。
これもオフ会のつまみでいけそうですね!
整理された良い刺激をいただきました。おっしゃる通りだと思いますね。
経済界も政治家に献金して、こんな制度をねじ込む努力をするくらいなら、正面から労働対価をできるだけ公平に賃金に反映させる仕組みを考えたら良いと、そのほうが健全だと思います。
こうして労働対価がある程度正確に賃金に反映され、しかも企業間の人材の流動化が図れれば、日本経済も強くなるのではないかと。
そして、最後の・・・
「総務がアホあるいは総務に敬意がはらわれてない企業はダメダメ企業」
激しく賛同します!
でも、こういう会社は多いですよね。
こういったカタカナ言葉でなにか導入しようというときはきっと後ろめたい、なにか裏がある制度だと疑ってかかったほうがいいでしょうね。
ボクも目標管理と評価システムを完備できない以上、正しく機能するとは思えません。
この制度、まず官公庁で実施したらいいんです。制度のいい面、悪い面を役人が自ら検証してから、民間にも導入しても遅くはないと思いますよ。
ホワエグ、制度の中身に比べて少しかわい過ぎる略語のような気がしますが(苦笑)。ks+さんはかなり前に記事を書かれていましたね。ボクも覚えていました。
おっしゃるとおり、カタカナ言葉は怪しいですね。
ホント、何か誰かを騙そうという裏があるような気がしますね~
そして、「まず官公庁」案、ボクも賛同させていただきます。そうすれば人件費予算も組みやすいでしょうし、税金を利用した運営の費用対効果も見えやすくなりますしね!
上層部の人間の権威が、現場を統制するようなやり方は教育の現場には相応しくないですよね。もっと現場の教員が自由に教育を行うことを認めて欲しいです。
おっしゃるとおりですね。教育を型にはめることは、教師にとっても、子どもにとっても不幸だと思います。
一方で、一部の教師の問題があたかも「教師だけ特別に起きている問題」のように強調されて報道されていますよね。教師の復権はますます遠くへ・・・
残念です。
一部の教師は別として、ボクらは教師を信じるしかないんですけどね~