考える葦のブログ

さわやかに さりげなく

セレンディピティ

2005-11-10 23:56:47 | 徒然なるままに

木曜日は、日経新聞夕刊のコラム「明日への話題」が脳科学者の茂木健一郎先生の担当です。とても面白い話でしたので、紹介します。
今日は「セレンディピティ」について書かれていました。「セレンディピティ」とは「偶然幸運に出会う能力」という意味だそうです。
まずは、「セレンディピティ」の語源について茂木先生の説明を引用します。

もともとは、イギリスの作家ホラス・ウォルポールが1754年に友人への手紙の中で記した造語である。三人の王子が旅先で幸運に出会う物語に基づいて考案されたこの言葉が、時を経て広く使われるようになった。

のだそうです。
「セレンディピティ」ってみなさんはご存知でしたか?
恥ずかしながらボクは初耳。
「偶然幸運に出会う能力」があることもはじめて認識しました・・・改めて考えてみると、確かにヒトの能力のひとつとしてあるんでしょうね。能力として意識しないと、単なる数学の確率の問題になってしまいますね。
※ちなみにYahoo!辞書にも「セレンディピティー【serendipity】」として載っていました。
http://dic.yahoo.co.jp/bin/dsearch?index=10475650&p=serendipity&dtype=0&stype=1&dname=0na&pagenum=1

茂木先生は、歴史に残るような科学的発見も多くの場合偶然の幸運が関与しているとして、イタリアのガルヴァニ氏の電気による筋肉の収縮現象の発見や日本の小柴昌俊氏のノーベル賞の対象となったカミオカンデでのニュートリノの検出を挙げられていました。
偶然とは無縁のような科学の世界でも「セレンディピティ」が大切なんですね。
当たり前のような?不思議なような???

もう少し茂木先生のコラムを引用します。

偶然の出来事自体は、コントロールすることはできない。
しかし、偶然の出会いを生かすよう心がけることはできる。
セレンディピティは、鍛えることのできる能力なのである。

まずは、行動を起こすことが肝心である。待っているだけでは幸運は訪れない。
また、注目すべき出来事が起こったとき、それに気付き、受容することが大切である。
特定の目的に目を奪われて心の余裕がないと、セレンディピティが育まれない。

ボクは偶然を生かすように心がけているのか?セレンディピティを鍛えているのか???
少し考えさせられました。
「行動し、気付き、受容すること」ができていますかね?

もちろん、行動しなければ生きていけないので、広い意味での行動はしています。
ただ、茂木先生のおっしゃる「行動を起こす」って、どんな“行動”なんでしょうね?
少なくとも、「朝起きました。空を見上げました。会社に行きました。飯を食べました。電車で居眠りしてしまいました。ブログを書きました。風呂に入りました。寝ました。」という“行動”ではないんでしょうか・・・
やはり何かを求めた行動、考えた行動、一生懸命な行動などでしょうか・・・
でも、「特定の目的に目を奪われて心の余裕がないと、セレンディピティが育まれない」と書かれているように、あまり特定の何かを意識しすぎるのもダメなんですね。

そんな「行動」について考えていたら、いつものように深い世界に・・・
分かりにくい表現だと思いますけど、実は何気ない行動にも意味があり、人間らしくいろいろな意味を感じたり考えたりすることが「行動」なのかもしれないと思いました。結局、多くの行動がそれ自体は「肉体を動かす」という行為なのであって、それに意味を持たせるのも、単なる行為で終わらせるのも、「考えることや感じること」次第だと考えたわけです・・・

さて、本題の「セレンディピティ」に戻りますけど・・・偶然の幸運を手に入れるのも難しいんですね。
偶然の幸運は“偶然”だと思えば思うほど、自らの手から離れていっているんでしょうか。他人から与えられるものではなく、自分が手に入れるものなんでしょうね。
実際に目の前に偶然の幸運がやってきたときに、それをガッチリと捕まえることができるのか・・・
実はいろいろな幸運が、気がつかない間に目の前を通り過ぎたり、勇気がなくて手を伸ばせずに消えてしまったりしていたと思います。
また、幸運だと思って飛びついたモノが実は幸運でも何でもなかったりしたり。
いろいろありますよね。

また、このコラムの最後に茂木先生は「「恋人との出会い」と「ノーベル賞級の発見」には多くの共通点がある」と書かれています。
まず、ボクらの人生にとっても、恋人との出会いとノーベル賞級の発見のどちらかの選択が許されたと仮定しても、どっちを選んだ方が幸運かなんて人それぞれですよね?
ノーベル賞級の発見には才能が必要かもしれませんけど、恋人との出会いには誰もが可能性があります。もしかしたら、ノーベル賞を受賞することよりも幸せな恋人との出会いをしている(する)のかもしれません。
要するに、ボクらは幸運を手に入れられる可能性があるという幸運をすでに手に入れたラッキーマンということなんでしょう。
そう思うと、やっぱり未だ見ぬ幸運が得られないことを嘆くより、すぐ目の前にあるかもしれない幸運を探す努力をしたいと改めて感じますね。

みなさん、ハローです。ホディです。

今朝、ラテを飲みながら何となくボクの頭に浮かんだ思いつきが、何となくボクの気持ちを高揚させています。
他人が聞けばバカバカしいかもしれない発想に、ひとりで「アハ!」と感じるボクは“しあわせなヤツ”なのかもしれません・・・

ボクにセレンディピティがあるかないかなんて分かるはずもなく、その発想が幸運を呼ぶかどうかなんてもっと分かるはずもなく、とりあえず幸運かもしれない自分の発想を、ただ流すか?それとも行動を起こすのか?そんなことを考えています。
そんなことを考えることが実は楽しいと思ってしまいます。

将来、幸運発見器なんてできたら人生の喜びが半減するでしょうね。
あるか、ないか分からない幸運を“偶然”に手に入れることがあるから、ヒトはがんばるんだと思います。
ボクも幸運かどうか分からない未来を想像しつつ、がんばります。

<追記>
茂木先生のブログ『茂木健一郎 クオリア日記』に「あすへの話題 恋人との出会いとノーベル賞」の全文が掲載されています。
http://kenmogi.cocolog-nifty.com/qualia/2005/11/post_58ae.html#trackback

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4 コメント

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セレンディピティ (オカダ)
2005-11-11 23:36:33
セレンディピティについては、茂木さんの『脳整理法』にも書いてありました。なかなか興味深い言葉ですね。

どんな行動が幸運に結びつくのか、はなかなか難しいですね。自分の夢を実現するべくそれに向けて行動する、ということでしょうか。
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うおぉ。 (shiba)
2005-11-12 00:56:22
hoddyさん、こんばんは。



わたしにとってはストライクゾーン超ど真ん中の茂木先生の話題で...。



えーと、セレンディピティについては、ウソみたいな本当の話があります。実は今年の春、都内で偶然(講演会などではなく)、茂木先生にお会いしたことがあるのです。しかもその時、先生の著書(心を生み出す脳のシステム)を持っていました。最初は人違いかもと思って声をおかけしたらやはりご本人。快くサインしていただきました。



あまりの偶然で、こうして書いていてもあの時の衝撃がよみがえってきます。
返信する
(^v^) (hoddy)
2005-11-12 12:17:10
オカダさん、コメントありがとうございます。



オカダさんも『脳整理法』読まれていたんですか。ボクはまだ読んでいないので、早く読みたいと思っていたところです。



>どんな行動が幸運に結びつくのか

ホント難しいですね~。「幸運」とは何か?も含めてボクはかなり混乱しています。

おっしゃる通り着実に「自分の夢を実現する」ための行動を取ることが一番大切なのかもしれませんね。





shibaさん、コメントありがとうございます。



偶然、茂木先生にお会いされたんですか、しかも本を持っているときに・・・

それはすごいことですね。羨ましいです。



でも、そういう偶然はshibaさんのセレンディピティが高い証明かもしれませんね。まず本を読んでいた、偶然がありそうな場所にいた、周囲を見渡せる余裕があった、声をかける勇気があった等々・・・

セレンディピティを高めるって、簡単そうで、かなり難しいですよね。ボクも心掛けたいと思います。

返信する
Unknown (mana)
2005-11-13 19:56:54
はじめまして^^

セレンディピティに惹かれて、TBさせていただきます。
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