二七度目のクラクションのあとの殺人事件、三十代のサラリーマンは運転席で生涯の幕を閉じられた、みぞれ交じりの雨が降る二十二時のことだった、アスファルトに流れた血液は真っ先に車道脇の排水口へと姿を消した、犯人は現場から二キロの山中でこめかみにナイフを突き立てて絶命しているのを発見された、その日の午後早く勤めていた職場で首を切られたばかりだったということだった、もしかしたらそのときからそんな結末を考えていたのかもしれないな、駄々をこねることに慣れたやつらは一生そんなふうに生きるものだ、国道のふたつの死体、いいかい、君たちは今頃身に染みて分かっているだろうけど、人生とは決して上手くいかないものだ、一見順調に見えるやつだって必ずうんざりするような気分をどこかで抱えてる、むしろ、そんなものを抱えてしまうからこそ人生なのだ、俺たちは学ばなければならない、どうしてそんなことが起こるのか、どうしてそれは自分じゃなかったのか、それは自分だったほうがよかったのか、そして自分だったらどうしたのか…俺は目を閉じて考えてみる、自分だったら?細かいイメージなんか湧かない、俺は車を運転しないからだ、けれどこれだけは言えるよ、殺すか殺されるかって場面なら、必ず殺す方を取るさ、生きていることが何よりも大事だ、他人の命などどうだっていい、自分がどれだけ生きるのかってことにしか俺は興味が無いよ―考えてもみなよ、人類のために生きて祈ってる宗教家はみんな誰かの首を刎ねてるんだぜ、信じてる教えが違うって、それだけの理由でさ、いまじゃ人殺しのプロモーションビデオまで作って配信してる始末だ、俺は正論を吐くやつを信じないよ、そいつは正義のために拳を振るえるさ、人類愛?動物愛?大いなるものへの愛?笑わせんなよ、俺には自分の命への愛しかない、そんなものこまごまと語る気にもならない、手の届かないものに責任を持っているみたいな口を聞くやつらばかりさ、飢餓に苦しむ地を養って見せな、戦争を終わらせて見せな、快楽殺人者を真心に満ちた言葉で改心させてごらんよ、そうすればお前らの言うことを、お前らの気持ちを信じてやる、真っ当に生きることが大事さ、余所見してたら足元を見失うぜ…俺は犯行現場に立つ、俺はいつだって犯行現場に立つ、良識とプライドに満ちた嘘の正義の言葉などひとつも吐かない、そして印象を抱いて立ち去る、そいつが教えてくれることなんてすぐに言葉に変わったりなんかしない、俺はそうするためにそいつを受け取ったりしていない、言葉は無力だ、もちろんそれは、あからさまな主張や見栄のために使われるのならということだけどね、なんのためにそんなものを並べてる?その奥にあるものを知るためさ、もう少しだけ深く、現象の裏側にあるものを見て取るためさ、そうだろう?それともお前はそうじゃないのか?流れた血はもとに戻ることはない、なら俺は排水口を覗き込んでみるだけだ、その冷たさを、悍ましさを―この目に焼き付けて住処に帰るだけさ、リアリズム?俺はリアリストなんかじゃない、ふざけた名前を付けるのはやめてくれ、リアル以外にイズムなんかどこにあるというんだ…?違う、俺の言っているそれとお前が感じているそれは、まるで違うものだ、リアリストを公言している連中のほとんどは、自分の所属するセクションのキャッチコピーに踊らされている間抜け野郎さ、俺はそんなやつらの為に言葉を吐いたりなんかしない、分からないなら俺の手紙なんか全部捨ててくれていい、人間のリアルは思想や社会の構造の中には含まれない、人間のリアルは人間として感じなければなんの意味もない、先にあるものを、目の前にあらかじめ並べられているものはすべて疑え、認識はそのままにするな、生きている限り基準値などないものだ、そいつを忘れなければいつかはヒントに辿り着くことが出来るさ、俺は解答を求めてはいない、そんなものには子守歌程度の意味しかない、一晩か二晩、ぐっすり眠れたら御の字ってことさ、分かるかね―ふたりの霊魂がいま、俺の隣に来てワードを覗き込んでる、こいつら、俺の話していることに興味があるみたいだぜ…俺は手を打って苦笑いする、人生から解き放たれたやつらのほうが、俺のことを面白がってくれるみたいだぜ―。
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