重く沈みこむようなビートの羅列に休日の午後は侵食されていて、手持ち無沙汰になった心情の中には怠惰と、ほんの少しのいらだちのエッセンスが落された水が満たされていた、ついさっきまで表通りを歩いていた、こうして部屋の中で腰を下ろしているとまるで判らないが表通りはまだ強い太陽の光に照らされていて長く歩いていると少し汗が滲むほどだ、いまが何月なのか思わず忘れそうになる、カレンダーを見直す、そうだ、誕生月だ…日常は麻痺し続け、およそ生きていくための役には立たないもののために費やされている、大真面目にそんなことをしている連中に混じって阿呆のふりをしていると時々本当に阿呆になったような気分になるが、帰ってこられるのならそんな瞬間は決して問題にするべきではない、それはたとえば日中不意に訪れる睡魔のようなものだ、そんな瞬間なら一日に腐るほど訪れる―以前はそんな瞬間をプレッシャーに感じたこともあった、けれど時々うとうとするようなものだと気づいてからはそんな瞬間が訪れたことすら忘れてしまうことが多くなった、そう、たまに眠くなるようなものだ、うっかり眠ってしまったところで、ちゃんと目が覚めるのなら問題にするようなことはなにもない―眠ったまま目覚めることが出来ないのなら、どのみちそのまま死ぬしかやることはない…このところ住処の周辺ではずっと工事が行われていて、そこらじゅうの歩道が掘り返されてはなにかを埋め込まれ手舗装され直されている、重機やバイブレーターの振動がビートに茶々を入れる、それはまるで遠慮がちな爆弾のようだ―こう書くと無害なもののようだが、爆弾である限り人を殺すことは出来る、たとえば電源ケーブルを地中に埋めることになんの感想もない人間にとっては、ただただ地面が騒々しく掘り返されているに過ぎない、そこに雑多な人間の暮らしがある限り、美しい景観などは存在することは出来ない、そこにたとえば向上心があって、美しい建築物が次々と建てられるような発展が無い限りは―この街はずっとそんなふうに、台所のゴキブリのようにいちばん低い地面ばかりを這いながら延命装置に繋がれた植物人間のようにただただ遺伝子を繋ぎ続けてきた、「おまえも動くことは出来ない」続くものたちにそんなスローガンを押し付けながら…区切られた生命を生きてきた、汚れた路面はその集大成だ、とはいえ、そんな場所に生まれたからといってだれもがそんなふうに生きるわけではない、その証拠にこんな街にも生まれたとうたい続ける詩人がいたり、真夜中のアーケードでゲージの音を響かせるうたうたいもいる、だがそいつらのほとんどに希望は無く、そいつらもまたなにかしら窮屈なスローガンに支配されていて、挙句の果ては違う洗脳を行われただけ、なんていきものになってただ生きながらえるだけのものになってしまう…「どこにでも落ちている石に拾うべき価値はない」そんな単純な物事に気付かずにどうしておかしな夢ばかり見てしまうのか?古い映画のセリフにこんなものがあった、「パフォーマンスとは常識を超越して初めて成り立つものさ」それだけが真実だとも思わないけれど、それが正しい入り口であることは確かだ、真っ当な手段であれ騙し討ちのようなものであれ、風穴をひとつ開ける性格を持っていないものにはなんの価値もない、それはつまり、それを生み出したものがなにものにもとらわれていない、そうしたスタンスを証明しているということだ、語るべき場所で語ることだ、語るべき場所で語れずに、余計なテーブルで無駄口を叩いているような連中にはそのことが理解出来ない―それはもう何かを生み出そうとする理由にはならない、ひとつの縛りを外れたところで、もうひとつの縛りに自らとらわれにいくようなものならば…ビート、ビートだ、流れをひたすら追っかけていくことだ、着ているものや言葉遣いなんかにあれこれと考えをめぐらせる時間など作ることはない、乗るべき流れにきちんと乗っかっていくことだ、そのスタンスを証明して見せることだ、それは急げということではない、見極めろということだ、分析するのではなく、感覚を理解しろということだ、そんなことが様々な振動の中で浮かんでは消えていく、休日の午後は夜に向かって少しずつ流れていこうとしている、性急な氷河のように少しずつ少しずつ、ゆっくりと溶け出しながら。
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