不定形な文字が空を這う路地裏

それから俺は3分ほど何も考えなかった











病むように降る春の時雨を、腑抜けた心で受けながら急ぐ繁華街の―喧噪の迷路、大きなドラッグストアと、年寄り向けのミュージックショップからの音楽が混ざり合って不快感を計測する実験を実行中、のような、そんなリズムがアーケードに生れ、聞かないようにと携帯電話に格納してあるアンダー・マイ・サムを内耳まで突っ込んだ、弾け過ぎないビート、こそが俺の日常を調律する武器となる
薄汚れた、だけど素敵な小さなペットショップの店先でしおれ変色したレタスをついばんでいる麦芽パンみたいな毛色のミニウサギ、俺はもはや媚を売ることに疲れた、気まぐれに優しくしてもらうことに疲れた、そんな気分を、コロコロとした糞の中に練り込んで押し出しながら、ただただ閉店の時間を待っているみたいに見えた―いつか人待ちの余興にUFOキャッチャーで手に入れた腕時計をプレゼントしてやろうか、ポケットに入ったままになっていたんだ、俺には用の無い代物だから―お前がもしもそれを欲しいと思うのなら無料で譲ってあげてもいい、そう話しかけようとしたけれど、細長い店の奥で椅子に腰かけてにこにことこちらを眺めている店主の婆さんの前ではちょっと難しかった…なので時計はまたの機会に必要な誰かに譲ることに決めた、もっともそんなふうに先延ばしにしてるうちに動かなくなってしまうとしたものだけど
アーケードの出口には無料配布の情報誌が入ったポストが集合住宅の様に並べてある、俺はそれをひとつずつ手に取って確かめていく、出来れば明日にでももうひとつ仕事にあり付けたい、それなりに納得づくで自尊心をどぶに捨てることが出来るような仕事、俺に出来ることなんてそんなにはない、贅沢は言えないが闇雲には動きたくない…歳をとればそういったことはもう少しうまく出来るものだと長いこと考えていたけれど、俺はいつの間にかそれが希望的観測に過ぎないものだったということに気づかざるを得ないほどに長く深く年輪を増やしていたのだ、何処にも根付けないまま古木になってしまった、末端の細い枝はいつも軋むような音を立てている、仕事のある場所を探して移動しているうちに、いつの間にか昔暮らしていたエリアに住みつくようになって…いつかの通学路を逆に、自転車を転がして毎朝仕事に向かう
棟割の木造が並んでいた川沿いの通りが少しずつ、コーポやハイツが立ち並ぶ真新しい通りに姿を変えてゆく、変わるのだと人は言う、だけど俺に言わせればそんな景色はいつも死を連想させるだけの代物だ、いくつもの店がシャッターを下ろし、いつしか更地になる―それもまるで気づくこともないうちに―がらんどうの、明るい砂が敷き詰められた更地から20年ほど昔のことが淡い煙のように立ち上る、俺が無垢な子供だったころの時代は、そろそろ神話ほどの距離になりつつある
おまえの神話は時を食いつぶしながら何を学んだのだ、とチャーリー・ワッツのハイハットが何を奏でるでもない俺の両手に問いかける、ツツタン、ツツタン、と、俺は彼のリズムを口ずさんで何も聞こえない振りをする、生真面目なイギリス人とややこしい話なんてする気はないね…俺の通っていた小学校は校舎が新しくなり、面影をほんの少ししのばせるだけになってしまった、校舎の死、と俺は口ずさむ、もう19回は繰り返されたアンダーマイサム、神話についてはもう誰も話しかけては来なかった、把握出来ないところまで行ってしまったからこそそれは神話と呼ばれるものなのだから
不自然なくらいスタイリッシュに再構成された駅の、高架に切り込むように夕日が沈んでいこうとしている、開発地域のがらんどうのスペースを熱の無い火が赤く染めて…二番線、ドア閉まります、とアナウンスがそこらにこだまする、発射のベルを聞くと次の列車に飛び込んでみたい衝動が生まれる、いまの俺にはどこかに出かけるような持ち合わせなど無い、駅の西側に出来た新古書店に入る、店員の挨拶が大声過ぎて気が滅入る…まるで何かもっと値の張るものを売りつけようと目論んでいるみたいに思える…エドガー・アラン・ポーをペラペラとめくって、ギャグ漫画を読んでるみたいに笑ってみた、となりで何とかいう映画の原作本を読んでた若い女が自分を疑ったことのない目で俺のことを睨んだ、ねえ、おじょうちゃん…俺は少しチャンネルを切り替えればこの場でお前を殺すことだって出来るんだぜ―目を細めてそう囁いたら本を床に叩きつけて店を出て行った…俺はそれから30分ほど店の中をうろついていた
駅の側の自動販売機の前で、アンダーマイサムを再び格納した、携帯電話はどんな高揚も持たないただの便利な塊に戻った、缶コーヒーを買って、プルタブを引いた


駄目だ
自分にノーと言ったことのない
人間のやることは

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