まだⅢ、Ⅳと続くがチョットお休み入れ
http://jal123.blog99.fc2.com/blog-category-0.html - 日本航空123便墜落事故33年目の記録 - 御巣鷹の尾根に捧ぐ
https://ameblo.jp/boumu/entry-12758150180.html 日航ジャンボ機墜落事故 前編:事故の経過・概要
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日経3,000円か300,000円か?VIDEO
森永卓郎が陰謀論頑張ってますが どぅでしょ? だけど そもそも圧力隔壁ぐらいで機体吹き飛ぶの 構造そのものが問題?
修理は、JALがボーイング立ち会いの下におこなった 修理した人達関係者4人位後に 自殺してる 機長良くあれだけコントロールしたよ
最近も羽田でJALと海上保安庁の事故があったけど これも信じられない事故、何があっても不思議でない
「ヒルビリー・エレジー」の著者 中西部の白人貧困家庭出身のバンス 当初はトランプを強く否定していた人物であった 180度姿勢を転換させてトランプの支援を受けて オハイオ州から連邦上院議員に当選 今では最も主張が近い政治家とされ39歳という若さ。 奥さん 黒人?と思ったら インド系 エリート弁護士らしい 子供3人 アメリカの社長さんインド系が多い
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全米売り上げトップ。トランプ政権がなぜ圧倒的に支持を受けたか。泡沫候補と最初は笑い飛ばしていたが、その答えがここにある。
博打のように、泡沫候補のトランプ氏を選んだのも、 もう社会がどうしようもないから
無名の31歳の弁護士が書いた回想録が、2016年6月以降、アメリカで売れ続けている。著者は、 「ラストベルト」(錆ついた工業地帯)と呼ばれる、オハイオ州の出身。貧しい白人労働者の家に生まれ育った。 回想録は、かつて鉄鋼業などで栄えた地域の荒廃、自分の家族も含めた貧しい白人労働者階級の独特の文化、 悲惨な日常を描いている。ただ、著者自身は、様々な幸運が重なり、また、本人の努力の甲斐もあり、 海兵隊→オハイオ州立大学→イェール大学ロースクールへと進み、アメリカのエリートとなった。今や ほんのわずかな可能性しかない、アメリカンドリームの体現者だ。そんな彼の目から見た、白人労働者階級の 現状と問題点とは? 勉学に励むこと、大学に進むこと自体を忌避する、独特の文化とは? アメリカの行く末、 いや世界の行く末を握ることになってしまった、貧しい白人労働者階級を深く知るための一冊。
私は白人にはちがいないが、自分がアメリカ北東部のいわゆる「WASP(ホワイト・アングロサクソン・ プロテスタント)」に属する人間だと思ったことはない。そのかわりに、「スコッツ=アイリッシュ」の家系に属し、 大学を卒業せずに、労働者階層の一員として働く白人アメリカ人の一人だと見なしている。 そうした人たちにとって、貧困は、代々伝わる伝統といえる。先祖は南部の奴隷経済時代に日雇い労働者として働き、 その後はシェアクロッパー(物納小作人)、続いて炭鉱労働者になった。近年では、機械工や工場労働者として 生計を立てている。 アメリカ社会では、彼らは「ヒルビリー(田舎者)」「レッドネック(首すじが赤く日焼けした白人労働者)」 「ホワイト・トラッシュ(白いゴミ)」と呼ばれている。
以下お暇な方だけ σ(^^)レビューのが面白い 😃
痰を吐きまくるアル中の祖父、常に銃とタバコを携えた祖母、ラリって集中治療室をインラインスケートで駆け抜けた看護師の母、種違いの姉、家族の誰とも苗字が違う自分。あまりにも鮮烈な、米副大統領候補の自伝。
抜け出せない白人労働者階級の負のループの存在と共に、ネットワークの価値を知る
オハイオ州、ケンタッキー州の白人労働者階級「ヒルビリー(田舎者)」の一族の中で、もがきながらも統計学上の数値から抜け出し、最終的にはイェール大学のロースクールを修了し弁護士となった一人の青年J. D. ヴァンスの回顧録。
本書は決して彼のサクセスストーリーが主眼ではなく、結果としてアメリカンドリームを掴むことができた男が暮らした容易には抜け出せない負のループをめぐる世界が実在することを知り、なぜ彼らがトランプに熱狂したのかを知り、どうすれば彼らの子供たちが安定した環境を得て学び飛び立てるのかに思考を巡らせる一端を担うところにある。
“私たちが抱えている問題は、家族、信仰、文化がからむ複雑なものであり、ルービックキューブとはちがう。誰もが考えるような形での〝解決策〟はおそらく存在しないだろう。“
ヴァンスもこう結論づけており、決して一意に定まる解は存在しないのだろう。ただ、それでもこうした人々の存在をすることで、それぞれの政策が本当に生きたものであるのか、誰のためのものであるのか、そうしたことを判断するための材料として一人でも多くの人が認識することができれば、ヴァンスが筆を取った甲斐があるということなのではないかと思う。
もう少し身近なことに紐づけて本書の学びを捉えてみると、一番認識しなければならないことは「ネットワークにはそれ自体に経済的価値がある」ということ。 自身が成長し、周囲や社会に対して与えられる影響力や貢献できる力が増すにつれ、付き合う人も変わっていく。 そして、ヴァンスがイェール大学で学んだように、正面からだけではないルートの存在が明らかとなってくる。格差というのは資本主義的な経済性におけるものだけを指すのではなく、それぞれが持つネットワークの力をもって判断する方が適切かもしれない。
一方で、そうしたネットワークの存在、力を理解せず、自身のいる環境が客観的にどのようなものであるか、どうすれば一つ外に出られるのか。どこで踏ん張らなければならないのか。理解を示さなければ困難な道を歩むことを強いられる可能性が高まる。
これを個々人の心の強さとして処理するのは浅はかであり、幼児期に受けたストレスの強さ、頻度によってはヴァンスですら未だに苦しむような傷を負うことになり、自力での治癒は難しくなる。
親子の関係の中でこうした負のループに陥る中で、“祖父母、叔父・叔母、親族の果たす役割は極めて大きい“という。 実際に、ヴァンスは母と暮らしていたら今のような成功は存在せず、厳しくも優しく支援してくれた祖父母の存在は無視できない。
核家族化、少子化が進み、親族一体として子育てをするような昭和以前の空気が薄れ、地域コミュニティすら希薄化していく現代の日本において、このストーリーが再現されていく可能性も無視できないのではないだろうか。
AIによる効率的な学習システムによる詰め込み生産性向上よりも、子供の心理的安全性の担保をいかに図るか。 出産に先立ち夫婦で参加する自治体のセッションにおいては、男性がおもりのついたエプロンをつけ妊婦の大変さを理解したりする夫婦間の問題を取り上げることはあるが、子育てについて整ったカリキュラムで学ぶというものは乏しかったように思う。 両親からの愛情や、安心できる環境の提供が十分に受けられていない人々が親になったときに、その両親から子育てを学ぶことが難しい以上後天的に学んでいく必要があり、この負の連鎖を断ち切る仕組みを手厚くしていくことに目を向けていくことが大事なのかもしれない。
自身の育った環境に改めて感謝すると共に、本書で理解した世界をまずは自分の身近なコミュニティにおいていかに拡散させないかに幾分かでも意識を向けていきたいなと。
「スコッツ・アイリッシュ」と呼ばれるスコットランドから植民地アイルアランドへ入植した人々の末裔で(したがってプロテスタント)がさらにアメリカに移住し主にアパラチア山脈付近に集まって暮らしていた、その人達が著者の出自である。かつては製鉄大企業の労働者であり民主党の支持者であったが、企業が衰退し(カワサキに買収される!)、失業し、貧困の中に取り残されたしまった。高校を中退し、若くして妊娠し、アルコール依存や薬物依存に陥いて家族が崩壊した人々。おそらくスコッツ・アイリッシュのエスニック文化から来る家族の絆、独立心の高さ、プライドの高さ等が、また教育を得る機会を失い知識が不十分なことが、社会保障を受ける事を難しくし、貧困の悪循環に陥り、ますます政府や社会保障制度・政策に不審をつのらせていく。確かに、彼らは民主党に限らずエリート政治家には強い反感を抱いているのである。 第二に、このような出自の著者はどのように、この境遇を克服していったのか。これも家族の絆、独立心の高さといったエスニックな文化の力(特に祖父母からの強いい影響)でもある。また、中産階級ならごく自然に家庭やコミュニティで教えられること(金銭管理、栄養に配慮した食事、礼儀正しさ等々)を4年間の海兵隊勤務で学び、兵役に付いたものに与えれる奨学金で大学進学、さらにトップ・ロー・スクールへと進学する。
それでは、こうした「取り残された白人たち」をどのように救えばよいのか?著者も正直にその方法は分からないと言っている。一般的な社会保障政策だけでは救えないことは確かである。彼らの基盤にあるエスニックな文化の力、家族の力を(しかし、あからさまな家族への介入が拒否されるのは明らかである)良い方向に導き、社会保障政策や教育政策と繋いでいく必要があるが、具体的な方法を簡単にに思い描くことはできない。しかしどの様な方法を採るにしても、長い時間と資金と努力と忍耐が必要とされるだろう。
「ヒルビリー」の抱える問題はアメリカ固有の問題ではない。日本においても、家族観や社会観が社会保障政策や教育政策と整合せず、貧困の悪循環により取り残される人達が多数存在する。彼らの「文化」と社会保障政策、教育政策を繋ぐという難題に直面していることに変わりはない。
読んでいて、思い出した映画がある。プロボクサー、ミッキー・ウォードの半生を描いた『ザ・ファイター』という作品だ。クリスチャン・ベールがウォードにボクシングを教えた薬物依存の兄の役でアカデミー賞助演男優賞を、再婚を繰り返すダメ母の役でメリッサ・レオが助演女優賞を取った。この二人は『ヒルビリー・エレジー』の著者の家族を思い起こさせる。J.D.ヴァンスにとってのボクシングが、海兵隊への入隊だった。親族や友人の誰も大学など行ったことがない貧困地域で、薬物依存で離婚再婚を繰り返す母親に育てられたJ.D.は、未来、希望、自信、といた言葉とは無縁の人生を送ってきた。海兵隊の厳しい訓練を経て「学習性無力感」から抜けだし、「自分自身に力があるという感覚」を初めて体験し、「自分の選択なんて意味がないという思い込み」から脱することができた。そしてオハイオ州立大学を2年足らずで最優秀の成績で卒業する。その後、イェール大学のロースクールに奨学金付きで入学し、人生で会ったこともなかったようなとんでもなく裕福で寛容な人たちと出会い、自身もアメリカのエスタブリッシュメントの一角に居場所を得る。結果的に彼はアメリカンドリームを体現してしまったわけだけれども、依然として母親は薬物依存から抜け出せず、幼馴染は自分の腹を満たすだけの職業にもつけず、自身も子供時代のトラウマから完全には抜け出せていない。
2016年におけるトランプの大統領選勝利は全世界で驚きを持って迎えられ、本書はトランプ支持層の真実を描いた書としてにわかに注目されたが、白人貧困層が21世紀になって突然ワラワラと現われてきたわけではない。著者の祖母が大好きだったというテレビドラマ『ソプラノズ』から、最近大ヒットした『ブレイキングバッド』など、白人最底辺に光を当てた映画やドラマは途切れることなく話題になってきた。18世紀以来、アパラチア山脈に沿って住み着いたヒルビリーと呼ばれる主にアイルランド(アルスター地方)系白人労働者層は、20世紀に入ると鉄鋼会社アームコのような巨大なメーカーの生み出す雇用にのって中西部に移住し、社会階層も底辺から中流へと順調にこまをすすめた。しかしそんな時代も1980年代まで。海外の安い製品におされてアメリカの製造業が徐々に競争力を失うにしたがって、中流までこまをすすめた白人労働者層の多くが再び底辺へと押し戻され、いまやよほどの幸運に恵まれない限り「努力」くらいではそこから這い上がれなくなった。そんな状態がかれこれ四半世紀以上続いているのだ。「努力なんて意味がない」と思うしかないほどに厳しい現実に生きている者にとって、「チャンス」や「希望」といった言葉はたわごとを通り越してあからさまな嘘である。そういうことを言う人間は詐欺師のようなもので、それが「白人労働者がオバマを嫌う理由」なのだ。
著者が成功したのは、子供時代に体を張って自分を守ってくれ、誇りをもつことや勤勉に生きることの大切さを厳しく教えてくれた祖母(このハードボイルドな婆さんが本書の登場人物のなかでもっとも魅力的だった)の存在があり、また、それを受け止める感受性と知性をもって生まれたという幸運が重なったからだ。彼が努力して他の人が努力しなかったからではない。そのことは著者がいちばんよく知っている。本書はさいさんにわたって書かれてきた「格差の固定化」を当事者の目線で書いたものだ。格差の固定化は個人が無力化されることで生じる。著者は海兵隊に入隊してはじめて自分の健康管理や金銭管理の仕方を身に付けた。大学では社会の構造、そしてそのなかでの人生の切り拓き方を学び、「学習性無気力」、「逆境的自動体験(ACE)」による過剰な「闘争・闘争反応」、社会階級による「社会資本」の格差といった、心理学や社会学のボキャブラリーを身に付けて「成功した人たちはなぜ、どうしてこうも私とちがうのだろうか」という問いに対しての答えをつかんだ。おぼろげながらでもこの答えを得てはじめて「機会の平等」は意味を持つ。そこまで苦労もせずほとんど無意識に行きつける人間と、奇跡のような幸運を重ねてやっとのことでたどり着く人間がいる。そして皮肉にも後者は往々にして「アメリカンドリームの体現者」などと言われる。この欺瞞を日の下にさらしたのがトランプだった。彼が時代遅れもはなはだしい製造業へのこだわりをみせるのは、「製造業が元気だったあの頃」にいったん時計の針を戻すことでで少なくともこの出口のない貧困を自分の代で断ち切ることができると支持者たちに思わせることができると踏んだからだろう。
本書はトランプ当選以前に書かれたものだが、著者は政治に幻想を抱いてはいない。「誰もが考えるような“解決策”はおそらく存在しない」と言い、「アメリカよりヨーロッパの多くの国のほうが、“アメリカンドリーム”を実現しやすい環境」であることもにも気付いている。そのうえで、本当の問題は家庭内で起こっているという事実を認識する、貧困層を特定の狭い地域に閉じ込めない、そして勉強することをポジティブにとらえる文化をはぐくむ(彼はそうでない文化のなかで育った)といった提案を最後にしている。ヒルビリーに必要なのは弱者への施しではなく、自分自身の人生の主導権を取り戻すことである。そもそも彼らはもとから弱者であったわけではない。繁栄の時代はたしかにあった。そのときといまとの違いはなにか。答えは「雇用」である。トランプの「Make America Great Again」は彼らの耳には「Make You Great Again」と聞こえているのだろう。