これらの改革については後に、
同業他社から「誰でもできる」と言われました。確かにその通りてすよ、ただ、「早くできるか」は別です
経営に対して定量化にこだわるのは、人間の存在は定量化できないとの苦悩が背景にあるように思います。
かつては文学青年で、太宰治や坂口安吾、コリン・ウィルソンの小説、中原中也の詩、哲学の本を読み漁りました。人間を科学的に分析しても、答えが出るものではありません。文学の道に進んだら出目のないループにはまってしまうのが怖くて、東大では理系を選びました。
哲学的な存在の自己は絶対、定量化できない。感覚でしかないから。「神は生きたかったら生きなさい、死にたかったら死になさい」と言っているのですよ。ここはアンタッチャブルだけど、気になって仕方ありません。何でも数値化するのが私ですから、キャリ
ア曲線というのを作ってみましたが、東大の学生の頃はどん底ですね。
転機になったのは、やはりヘブライ大学への国費留学です。新婚旅行を兼ねて妻とエジプト領のシナイ半島を旅行し、広い砂漠を歩いていた時、生命のかけらもなさそうな砂漠の上を、黒いショールをまとった1人のアラブ人女性が2匹のヤギを連れて悠然と歩いていました。無の砂の海に生命が存在する。「そのことがまさに奇跡ではないか」という衝撃が体を貫きました。
それまで「人生は何のためにあるのか」との悩みがあったのですが、「人は生きているだけで素晴らしい」と何かが吹っ切れ、“啓示"を受けた気分になりました。社会や企業という場における人間は定量化できる。だから規範ができるのです。解ける部分くらいは定
量化したい。経営は業績という解かあるから、まだ苦しくないのですよ。
日経ビジネス 三菱ケミカルホールディングス 小林善光