秋元康氏とユーミンに共通するクリエイターの感覚
興味深かったのは、「他の人の曲にしっとすることがあるか」という話になった時、ユーミンと秋元氏が同じ思いを抱いていることだった。「曲にしっとするというよりも、その曲を生み出した時に感じる、快感、恍惚(こうこつ)感にしっとする」という思いだった。これは並外れたクリエイターにしかない感覚なのだろう
既述のごとく、指原さんとのくだりの部分しか聞いてないんだけど、これはなかなか興味深い。映画「アマデウス」が、この辺りを分かりやすく描いてたと思うけど、クリエイターズ・ハイという言葉は、あんまり人口に膾炙してない模様。
恐らくは、秋元氏をしてワーカホリックに追い立ててるものの正体がこれだろう。良性のジャンキーという表現は失礼に当たるかも知れないけど、この世に創造という名の負のエントロピー、あるいは意味/価値という名のマナを生成するという、極めて困難な労働に対する対価としては、十分にそぐうだけのもの。
そういえば、かつて考察してみたように、秋元氏は筋金入りのギャンブラーでもある。ギャンブルから得られる快感もまた、やはりエンドルフィン経由と考えられる。とすれば、これはあくまでも憶測だけど、秋元氏にとって、クリエイターズ・ハイとギャンブルとは、補完関係にあるのかもしれない。
興味深かったのは、「他の人の曲にしっとすることがあるか」という話になった時、ユーミンと秋元氏が同じ思いを抱いていることだった。「曲にしっとするというよりも、その曲を生み出した時に感じる、快感、恍惚(こうこつ)感にしっとする」という思いだった。これは並外れたクリエイターにしかない感覚なのだろう
既述のごとく、指原さんとのくだりの部分しか聞いてないんだけど、これはなかなか興味深い。映画「アマデウス」が、この辺りを分かりやすく描いてたと思うけど、クリエイターズ・ハイという言葉は、あんまり人口に膾炙してない模様。
恐らくは、秋元氏をしてワーカホリックに追い立ててるものの正体がこれだろう。良性のジャンキーという表現は失礼に当たるかも知れないけど、この世に創造という名の負のエントロピー、あるいは意味/価値という名のマナを生成するという、極めて困難な労働に対する対価としては、十分にそぐうだけのもの。
そういえば、かつて考察してみたように、秋元氏は筋金入りのギャンブラーでもある。ギャンブルから得られる快感もまた、やはりエンドルフィン経由と考えられる。とすれば、これはあくまでも憶測だけど、秋元氏にとって、クリエイターズ・ハイとギャンブルとは、補完関係にあるのかもしれない。