太宰治にとって『人間失格』は 遺書のようだ。
2~3年前の1年間、私は毎日ブログを書きました。
こんにちは!
常若美人道を提唱している カラーコンサルタントの琴崎京子でございます。
自分で書くと決めて 1年間はとりあえずやり遂げました。
眠くて、眠くて、もう…無理と思いつつも、自分で決めたことだから なんとかやり遂げようと思って、パソコンにしがみつくようにして書いた日もあります。
それは傍目から見たら、馬鹿げた努力かもしれません。
それによって、売り上げが上がったわけでもないし、余分なお金が稼げたわけでもありません。
がしかし、苦労してでも文章を書きあげるという努力が 自分の文章力の底上げになっていたかなと思うのです。
文章力といっても たいしたものではありませんが、昨年Kindleで本を出版することができました。電子書籍といえども本を一冊書き切ることは 私には結構大変でした。
電子書籍の出版が可能だったのは、私は1年間 ブログを書き続けることができた。
だから絶対、本も書ける という自信が持てたからです。
凡人は あっちちょこちょこ、こっちちょこちょこと書いて なんとかつなぎ合わせて、まるでパッチワークのような作業をします。
それだからこそ、余計に毎日続けて書くということが必要です。
私が毎日継続して書き続けることができたら、本の神様はプレゼントをくださるでしょうか?
そのようなブログですが、一年書きとおした翌年、毎日書かなくても まっ、いいか・・・と思ってやめてしまいました。
その後は 書いたり 書かなかったり、中途半端な状態になっています。
書かない理由は、時間が無い、書く場所がない、忙しい、書いても意味がないなど いくらでも見つけることができますね。
私のブログは コンテンツがすごいわけでもなく、多くの方に支持されているわけでもなく、自己満足の産物に過ぎないかもしれません。
しかし、「それでも毎日書く」と決めることが大事です。
凡人が良い文章を書こうと思ったら、毎日書くよりほかに上達する方法はないのではと思います。
昨日から、太宰治の『人間失格』を読んでいます。
小栗旬さんの主演の『人間失格』を見ているので、あの作品がどういう状況で書かれたのかを
察することができます。
ペンを持って、思うこと、行ったことを思うままに書いて、書き終わった時 それがそのまま作品になるというのは、やはり天賦の才をもった人の仕事ですね。
私は、毎日少しずつ書いています。
焦らず たゆまず 怠らず・・・
それをパッチワークのようにつないで、作品を仕上げていくのが、凡人の楽しみです。
ではまたね
ごきげんよう
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