城名 |
小田御崎砦 |
読み |
おだみさきとりで |
住所 |
桑名市長島町西外面(長良川) |
築城年 |
天正年間 |
遺構 |
消滅 |
規模 |
不明 |
城主 |
梅戸高実-高資 |
一族 |
田光氏の後裔。 |
北勢四十八家(八風街道の抑え-六角氏と縁組)の一家。 |
歴史 |
長島の西の守備砦。 |
ウィキペディアでは、1568年(永禄11)織田信長に攻められて滅亡した、とある。 |
三重の中世城館(桑名史)では、1574年(天正2)7月落城とある。 |
上記1568年は、織田信長第2回目の伊勢侵攻の時、下記1574年は、一向一揆3回目討伐の時である。 |
書籍・参考資料 |
三重の中世城館・他 |
現地 |
桑名市教育委員会文化財「「遺跡包蔵地検索」によると、光栄寺の西250m位の長良川の水中を示している。 |
付近にある大智院には長島増山家六代藩主正賢(号雪斉)による、松尾芭蕉の「奥の細道」の旅後、大智院訪問百年を記念して、自筆による「蕉翁信宿処(しょうおうしんしゅくどころ)市指定有形文化財」の碑を寛政元年(西暦1789年)3月3日建立がある。 |
地図 |
輪中の石垣