西山城
にしやまじょう
城名 | 西山城 |
住所 | 多気町西山字上奥尻 |
築城年 | 不明 |
築城者 | 北畠家臣・中西図書頭 |
形式 | 山城 |
遺構 | 郭、空堀、 |
規模 | 東西100m×南北110m |
城主 | 中西図書頭 |
標高 | 55m |
比高 | 20m |
書籍・経緯 | 三重の中世城館; 西山集落南方の丘陵頂部にある。西は谷が入り、東に佐奈川を配す。北と南は低い丘陵が続く。 |
伊勢名勝誌には 「北畠氏の臣中西図書頭(ずしょのかみ)之に居るまた清次兵衛、八兵衛外記進あり」とある。35×40mの方形の台状地がある。西側に巾約5mの堀がある。 | |
多気町の歴史散歩;中世の砦にはふさわしい位置にある。 | |
永禄12年(1569)具教は信長の率いる5万とも7万ともいう大軍の攻勢を迎えて大河内城を要に戦うこととなった。具教は諸城へ使いを走らせて守りを固めさせた。西山の砦は中西図書守であった。 | |
長谷城は長井帯刀(たてわき)、篠山城は野呂越前守、三瀬谷砦は長野右京進である。 | |
この時中西清左衛門、中西清兵衛は船江城に籠った本田勢に加わっていた。戦況固着と見た具教は、各地の諸城に一斉夜襲を指令した。 | |
中西清兵衛はこの大河内攻防戦で戦死した。中西図書守らはその後も西山村に住み、現在も中西性の家が残っている。 | |
西山の墓地へ参ると古い板五輪や五輪塔が奥の方に祀られていて歴史をひもときながら城をしのぶのにふさわしい。 | |
環境 | 五佐奈の平野部西端の低い丘陵地にあり足元を佐奈川が櫛田川に向って位置する。4Km先のその櫛田川にはこ神山城がある。 |
一族 | 中西清左衛門、中西清兵衛、中西八兵衛 |
考察 | 東1.4Kmに矢田城があり、その先1.5Kmに笠木御所跡がある。これらの城館と多気御所との通行途上に西山城があり関係を想像させる。 |
感想 | 佐奈川と五佐奈の平野部を目の前にし、さらにその前方には矢田城を見る位置関係から矢田城の背後を守る役目でもあったのではないだろうか。 |
地図 | https://www.google.co.jp/maps/@34.4907557,136.5584156,3552m/data=!3m1!1e3!4m2!6m1!1s1sE7i85-3qeA10HRT1ZDejbj3Ddw |