髯山狼煙台
城名 |
髯山狼煙台 |
読み |
ひげやまのろしだい |
住所 |
津市美杉町下之川/松阪市嬉野小原町 |
築城年、者 |
不明 |
形式 |
狼煙台、見張台 |
遺構 |
見張台(径 5m)、礎石、窪み |
規模 |
20m×20m |
城主 |
北畠氏 |
標高 687m 比高 410m |
歴史 |
北畠氏の時代 |
経緯 |
ひげ山は火揚(ひあ)げの山から、なまって「ひげやま」、髯山と呼ばれるようになったと地元の話としていわれている。 |
別名を篝嶽(かがりたけ)ともいわれ、北畠氏時代に山頂で篝火(かがりび)を焚いて四方との連絡をとったところでもあった。 |
美杉村多気の篝嶽で焚かれた狼煙(ろうえん)は先ずこの髭山で受けて、松阪市後山の黒米城(こくまいじょう)、松阪市阿坂の白米城へ、そして堀坂山へと伝わりたちまちにして南勢の平坦部全体に通じたようである。 |
書籍 |
一志郡史髯山の記録 伊勢の中世 |
環境 |
中村川を上り白口峠に至るルートは北畠氏にとって重要なものであった。そのルート上の髭山の頂に狼煙台が存在していたとすれば北畠氏に関わるものである可能性が高い。 |
西は霧山城、東は白米城が一望でき、のろしを上げるのに好条件の位置にある。 |
しかし、美杉の多気は雨乞山が障害となって直接は見通せないのでもう1~2ヶ所の中継点が必要になってくる。白口峠の北側の雨乞山や同南側「篝火山」が有力と考えられている。 |
現地 |
狭い山頂部に高さ1.5m~2m、その径5m程の切岸が施された不成型な台がある。中央辺りに髯山大権現の標柱と大日如来座像が置かれている。 |
そこから一段下がった南東側の斜面を切り込んで石組みを三方に積んだ窪みがあり、開口は南東側、黒米城を向いている。ここで篝火を焚いたと思われる。 |
考察 |
狭い山頂において見張台と篝火施設を備えるだけでもう余裕がないほどである。 |
決して城を築こうという意思は見えず、のろし台としての機能のみであるといってよい。一部に髯山城という指摘があるがそれはない。 |
感想 |
清水峠からの登頂は厳しい部分があり、注意を要する。鉄塔ルートは林道が開通してからの清水峠よりは新しい登山道で登りやすい。 |
地図 |