ピザ作りはやさしいようでやさしくない。
そこそこのピザならやさしく作れる、おいしいピザは難しい。
ポイント
1、生地
2、チーズ
3、トッピング
4、焼きの温度
1、2、3、は良い材料が必要
更に1、はその工程に愛情も必要。
4、は設備、400度の窯がいる。
ということで、今日のピザは80点。
おかあさん、ありがとう。
またこの次を期待してます。
そこそこのピザならやさしく作れる、おいしいピザは難しい。
ポイント
1、生地
2、チーズ
3、トッピング
4、焼きの温度
1、2、3、は良い材料が必要
更に1、はその工程に愛情も必要。
4、は設備、400度の窯がいる。
ということで、今日のピザは80点。
おかあさん、ありがとう。
またこの次を期待してます。
’08年の春がやっと来た。
今年も鈴鹿市の菅原神社の梅を撮らせていただいた。
’07年の記録を見ると 2月24日 5分咲き
3月 3日 ピーク過ぎる
とあった。
’08年は3回行ったが 2月29日 1分咲き
3月 8日 8分咲き
3月10日 満開
とみた。
2月の冷え込みで1週間から9日位の遅れ。津の積雪は記録的だったとか。
今年の梅の様子は。
3月8日の様子。
3月10日の様子。
着いて間もなく日差しが無くなった。半時間くらい待ったが雲は薄くなりそうではない。暗い写真になった。
影が出来なくてムードのある写真が撮れた。
3月14日 天候;雨 花びらが雨に打たれる。
明日の朝はシャッターチャンスかも!?
今年も鈴鹿市の菅原神社の梅を撮らせていただいた。
’07年の記録を見ると 2月24日 5分咲き
3月 3日 ピーク過ぎる
とあった。
’08年は3回行ったが 2月29日 1分咲き
3月 8日 8分咲き
3月10日 満開
とみた。
2月の冷え込みで1週間から9日位の遅れ。津の積雪は記録的だったとか。
今年の梅の様子は。
3月8日の様子。
3月10日の様子。
着いて間もなく日差しが無くなった。半時間くらい待ったが雲は薄くなりそうではない。暗い写真になった。
影が出来なくてムードのある写真が撮れた。
3月14日 天候;雨 花びらが雨に打たれる。
明日の朝はシャッターチャンスかも!?
庄古墳(こうもり穴)
松阪市庄町に古墳がある。暖かくなってきたので訪ねる。
庄バス停の北側の山麓に紀師神社があるが、その西50メートルの山斜面の狭い道を登ると写真の案内立て札がある。
更に狭くなり、勾配が急になる。10メートル程で説明の看板がある。それを一通り読み、斜面を見上げると更に10メートルのところに古墳の開口部が見える。埋もれてない。くっきりと内部の暗黒部が見える。
入口まで近づく。
開口部は狭い。
天候のよい日であったが内部の奥のほうまでは視力が届かない。
ストロボを焚いて写真を撮る。この方がよく見える。
地元では「こうもり穴」と呼ばれている。
説明書きの一部
・円墳で、斜面方向の径は16,5メートル。
・石室現在長8メートル、玄室長7メートル、奥壁幅1,7メートル。
・長大な玄室をもつ片袖式。
・玄室天井石は7枚。
・築造時期は6世紀後半。
どんな人たちがこの辺に住んでいたのだろうか。説明書きでは分からなかったがこの古墳の規模は大きいんだろうか。お墓とすればどんな位の人のなんだろうか。
1400年前の構造物である。よくまあーここにこんなに残っていたものだ。周辺は土が露出してるところもあるが1400年も埋もれずに壊れずに良い保存状態だ。
松阪市庄町に古墳がある。暖かくなってきたので訪ねる。
庄バス停の北側の山麓に紀師神社があるが、その西50メートルの山斜面の狭い道を登ると写真の案内立て札がある。
更に狭くなり、勾配が急になる。10メートル程で説明の看板がある。それを一通り読み、斜面を見上げると更に10メートルのところに古墳の開口部が見える。埋もれてない。くっきりと内部の暗黒部が見える。
入口まで近づく。
開口部は狭い。
天候のよい日であったが内部の奥のほうまでは視力が届かない。
ストロボを焚いて写真を撮る。この方がよく見える。
地元では「こうもり穴」と呼ばれている。
説明書きの一部
・円墳で、斜面方向の径は16,5メートル。
・石室現在長8メートル、玄室長7メートル、奥壁幅1,7メートル。
・長大な玄室をもつ片袖式。
・玄室天井石は7枚。
・築造時期は6世紀後半。
どんな人たちがこの辺に住んでいたのだろうか。説明書きでは分からなかったがこの古墳の規模は大きいんだろうか。お墓とすればどんな位の人のなんだろうか。
1400年前の構造物である。よくまあーここにこんなに残っていたものだ。周辺は土が露出してるところもあるが1400年も埋もれずに壊れずに良い保存状態だ。
わが町の端っこの方に写真のような石碑がある。町内に幾つかあるものの中で二番目に歴史を醸し出しているのがこれだ。後方は櫛田川で石碑の後ろは20m位の絶壁になっている。歴史に思いをはせるなら絶好の場所だ。
表面には文字が刻まれている。風化によって小さいほうの文字は読み取りにくいが南無阿弥陀仏の文字はきれいに読み取れる。
真実は定かではないが・・・・。
ここから1里ほど東に位置する北畠氏の出城、中万町の神山城(こやまさん)が1342年に、高師秋、佐々木高氏、仁木義長等に攻められ、田丸城とともに落城したと言われている。この後北畠氏は拠点を上多気の霧山城に移した。(以上は史実)
ここからロマン。
神山城から逃げ出した北畠軍の一部が、ここで追っ手に行く手を阻まれ全滅したのではないだろうか。(私が小さい頃村の老人から聞いたような話)(諸説あり)
これ以外にわが町で1番歴史を物語る場所がある。教育委員会の案内板もある。
また今度写真を撮りに行こうかと思う。桜の咲くころにしよう。