三重を中心に徹底訪城 検索「山城遺産」「セルフコラボレーション」 ペン画で歴史を伝承 時々徒然に

中世の城を主に訪城しています。三重県が多いです。百名城は96/100。総数で600城。新発見が4城です。

堂ノ谷城

2017-11-10 15:09:51 | 古城巡り

 

 

スライド  デジブック

 

城名
 堂ノ谷城
住所
 津市美杉町石名原
築城年 築城者 不明
形式
 山城
遺構
 郭、土塁、堀切、見張台
規模
 東西30m×南北150m
城主 不明
標高 350m 比高 30m
歴史 不明
環境
 雲出川の支流、伊勢地川と伊勢本街道を南に30m程見下ろす尾根筋に城はある。
 多気より西6Km程の所にあって街道を監視する拠点であったと思われる。
現地
 津市役所伊勢地出張所の裏山にあり、伊勢地多目的集会所の脇より入る。
 細い尾根の先端を登り切ると小さな台地がある。中央に1m弱の壇が備えられ4か所に成形された石が配置されている。使用目的が想像できないが、城として想像するには見張台と考えられる。
 本城はさらに北にある。見張台から北に向かいすぐの所に堀切が見られる。堂ノ谷城における尾根の堀切はここだけのようである。規模も小さい。
 細い尾根を北に100m進むと尾根を削平した所にでる。ここを起点に東の斜面へ郭が何段か切り込まれている。北側の城域の境と思われるところには低いが土塁が認められる。
考察
 南端の見張台が重要視された様子が堀切から想像される。
感想
 現在は崩れているが水を集めたと思われる石で補強した斜面があった様子が見うけられる。
 郭の総面積はそれほど広くはないが切込みと土塁とにしっかりと防御された様子は今でも見て取れる。
 しっかりとした築城の意志をもちある程度完成され、長い期間使用された城であると想像する。
地図



山出城

2017-11-04 21:35:35 | 古城巡り

 

スライドデジブック

 

城名
  山出城
住所
 津市安濃町草生
形式
 山城
遺構
 郭、空堀、土橋、土塁、井戸、石積土塁
規模 全体;東西200m×南北100m
 東郭(主郭群);東西100m×南北80m
 西郭(出郭群);東西40m×南北60m
築城・城主
 小河忠左衛門(三国地誌)
 長野工藤家・豪族、草生城主;草生式部少輔(注1)の家臣
標高 225m 比高 130m
歴史
 永禄年間に本城の草生城が信長により落城しているのでその頃落城したと思われる。
書籍
 三重の中世城館
環境
 字名を「城が峰」という。
 経ヶ峰への入口に位置する。草生城を懐に抱くような位置関係にある。
 視覚180度近くを維持しながら距離10Km程度の視界が効く、絶好の位置にある。
現地
 南に林道が取り付けられている。途中の三叉路から北上するがここからは徒歩である。
考察
 草生城主の家臣でありながら頭上の山頂に城を築くという離れ業をやってのけられたのは主君の信頼があった筆頭家老であったと思われる。
感想
 郭群は面積を稼げる地形の有利性から余裕を持った造りとなっている。中世の山城としては数少ない館郭を備えていたと想像させる郭の造りとなっている。
 構造は凝った造りではなく最低必要な物で構成された広さには余裕のある山城という雰囲気である。
注1
 天文年間(1532~1554)草生式部少輔が城主であった。大よそ100年強の歴史をつなぐことになる。
地図

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