GWに出かけるのは、どこも混雑するから大嫌いなのだが、
1日だけ、東京の下町に出かけることにした。
東京散歩マップなるものを購入し、「深川」「巣鴨」「谷中」
「根津」「千駄木」の候補の中から、今回は「谷中」を中心
に巡ることに決める。
西日暮里駅をスタートに昭和レトロの漂う谷中商店街を
突き抜け、まずは根津神社を目指す。その道中にある建物風情
は、置き去りにされた「昭和」そのものだ。隣地境界線に重なり
あうように軒を連ねる民家。
サザエさんに出てくるような家ばかり。大人なら3人も入れば
身動きもとれないような駄菓子屋もまだ残っている。地元の
子ども達が、目を輝かせながら駄菓子を手にする姿が自分自身
の幼少期と重なって見えた。
まるで映画「オールウェイズ三丁目の夕日」に出てくる町の
セットの中を歩いているような感覚だ。行き交う観光客の
瞳にも郷愁の色が見てとれた。
しばらく歩くと根津神社到着。根津神社は今から千九百年余の昔、
日本武尊が千駄木の地に創祀したと伝えられる古社。境内には
つつじ3000株が植えられ、ちょうど、つつじ祭りで人だかり。
参拝者も長蛇の列。お願い事をするにも後続から発せられる
無言の圧力を感じながら、そそくさと済ます人達を脇目に、
私は列には並ばず、斜め前方に神様が見える位置から、賽銭も
入れず、お願いごとだけを済ました。
そもそも賽銭は、お願いするためではなく、「お礼」として
奉納するもの。つまり、前回お願いしたことに対する成就のお礼
の品なのだ。
だから、初めて訪問する神社では賽銭は不要というのが神界の常識。
昔は珍しいものや、大事なもの、お米などを祈願成就のお礼として
奉納していたが、貨幣が一般的に流通してからは、奉納の品も貨幣
に変わった経緯がある。
賽銭の「賽」には「神から福を受けたのに対し、感謝して祭る」
の意味があるのだが、この事を知らない日本人は結構、多い。
「賽銭」を入れたら、それはすなわち「祈願成就にて終了」!!
・・・の合図なのだ。
新たな願いごとをするには、まず、前回のお願いごとの成就に
対する「お礼」を心の中で述べてからでないと、神様はすごく
混乱する。
神といえど、頭の整理がつかない。よって、そのような人たちの
願いは無視されるのだ!!
さて、根津神社を後にし、谷中霊園に向かう。谷中は寺町だ。
約70もの寺が集中している。そのどれもが立派。寺があれば、
当然、墓も多い。この辺は墓と民家が共存するように肩を並べる。
彼岸と此岸が一体となった不思議な光景。
墓石の大きさの違いは生前の財力の差だろうが、なぜか、
死んだら身分・財力の差も無くなり、全てがフラット状態である
ように感じた。
徳川最後の将軍、慶喜もこの地に眠っている。徳川一族の大きな
墓石群が広い敷地を占有し、時の権力の大きさを誇示していた。
近代ビル群が立ち並ぶ喧噪の都会にあって、谷中は異空間だ。
世界遺産に登録されてもおかしくない場所だと思えた。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます